第47話 かをりとカヲリ


 村上が私に引き合わせたのは、なんとカヲリ・ハートフィールドの両親だった。

 二人は極秘事項であるはずのSJシステムのことも知っているようだった。


 カヲリ・ハートフィールドは現在三十一歳で一九九三年当時は九歳。「かをり」とは別人としか思えない――にもかかわらず、村上は深夜に連絡を取り、次の日の早朝に二人と会う約束を取り付けた。


 村上がそこまで緊急性を求める理由が、私には理解できなかった。

 仮に、かをりとカヲリが同一人物だったとしても、SJWにNPCのカヲリが存在すること自体、驚くことではない。

 実際問題として、私は現実の世界のカヲリ・ハートフィールドに特別な感情を抱いてはいない。なぜなら、私が愛しているのは、後にも先にも、あのSJWにいるNPCの彼女なのだから。


「深見、お前がSJWで経験した、岡安かをりに関することをロバートとメアリーに話してやってくれ」


 腑に落ちなかったが、村上に言われるまま、私は二人に「かをり」のことを話して聞かせた。


★★


「深見くん、ありがとう。とてもわかりやすい説明だった。君には感謝しているよ」


「ごめんなさいね。お忙しいのに。本当にありがとう」


 私の話が一通り終わると、ロバートとメアリーは丁寧に礼を言う。

 そんな二人の様子に私は違和感を覚えずにはいられなかった。

 NPCである「かをり」のことを話しただけなのに、二人は私の一言一言を感慨深げな表情で聞き入っていたから。


 そもそも二人は何のためにマイアミまでやって来たのだろう? 

 SJWにおける、私の体験談を聞いてメリットがあるとは思えない。


「ロバートさん、メアリーさん、あなた方はなぜここへ来たのですか? 差支えなければ教えてください」


 私は思い切って尋ねてみた。

 二人は顔を見合わせる。一瞬間が空いて、メアリーが口を開いた。


「その前にお願いがあるの。深見さんがSJWで出会った彼女のこと、もう少し詳しく教えてもらえないかしら? 彼女と接したことで気づいたこと。彼女の仕草や口癖。どんな小さなことでもいいの。話してくださらない?」


 質問の意図はわからなかった。ただ、メアリーの真剣な表情を見たら、断るわけにはいかないと思った。


「わかりました。では、私が感じたままにお話します。彼女はショートヘアとモノトーンの服装がトレードマークで、外見はボーイッシュな雰囲気があります。でも、内面はとても繊細で、優しくて思いやりのある女性です。

 一人称として『かをりさん』を使います。ただ、私が『さん付け』で呼ぶと怒ります。しゃべり出したら止まらず、話をしているといつの間にか独演会になります。私はいつも聞き役でした。

 天然なところがあって、時々話がかみ合わないことがあります。今思えば、そこがチャームポイントでした。

 小首を傾げて笑う癖があります。笑顔がとても綺麗でした。嘘が何よりも嫌いで、つくのもつかれるのも嫌なのに……私のために嘘をついてくれました……目が大きいせいか……真珠のような大粒の涙を流します。でも……いつも笑顔でいようと……泣きながら笑っていました……涙を流しながら笑っていました……」


 話しているうちに、かをりとの思い出が蘇ってきた。胸がいっぱいになり熱いものが込み上げてきた。


「申し訳……ありません」


 目頭を押さえながら声を絞り出すように言った。大の大人が情けなかった。


「カヲリちゃんは素敵な方に巡り合えたみたい。わたしにはわかる。そのはカヲリちゃんに間違いない。SJWで元気になって、こんなに大切にしてもらえて……深見さん、本当にありがとう」


 メアリーが口元を押さえて涙を流しながら笑顔を浮かべる。


「メアリーが言うなら間違いない。深見くんが出会った、その幸せそうな彼女は私たちの娘のカヲリだよ」


 ロバートは白い歯を見せて視線を村上の方へ送る。まるで、村上に何かを求めるかのように。


「二人の許可が出たようだ。深見、本題に入るぞ。やっと、俺も回りくどい言い方から解放される。国家機密って言うのは俺の性に合わない。ただ、二人がOKしたんだからアメリカ政府も何も言えないだろう。時間がない。深見、手短に言うからしっかり聞いてくれ」


 村上は淡々と話し始めた。


「『森下かをり』は一九八四年に東京で生まれた。物心がつかないうちに父親を事故で亡くし、彼女は女手一つで育てられた。一九九三年、今度は母親を病気で失い養護施設に引き取られた。そして、その年の十二月、施設を訪れたハートフィールド夫妻の目にとまり、彼女は二人の養女としてアメリカへと渡った。そのときを境に彼女は『カヲリ・ハートフィールド』を名乗ることとなる。

 カヲリは聡明で、他人にはない、素晴らしい感性を持ち合わせていた。さらに、他人を敬いいつくしむ、優しい心があった。特に、自分に対して大きな愛情を注いでくれた、ロバートとメアリーを実の父母のように大切に思っていた。

 当時、ロバートは事業に失敗し無一文に近い状態だった。また、メアリーも書いていた小説が認められず、彼らの生活は希望とは無縁のものだった。

 しかし、カヲリが来てから生活が一変する。失敗続きの生活が嘘であるかのように、すべてが良い方向に向かっていく。

 ロバートが始めた新事業が軌道に乗り、生活が安定する。時を同じくして、メアリーの作品がある出版社の目に留まり、作品がベストセラーとなる。

 その後、ロバートは、事業で得た資金とノウハウをもとに株式投資を始める。最初は少額の取引きを行っていたが、世界情勢や環境情報に自分の感性を加えた判断がことごとく当たり、三ヶ月で元手の資金が百倍近くに膨れ上がった。そのとき、彼は自らが持つ天性の才に気づく。そして、取引の範疇はんちゅうを有価証券・外国為替に拡大し、さらに、原油・金といった工業品にまで手を広げた。市場の動きを的確に把握する冷静な分析力と二手三手先を読む、非凡な感性はあらゆるものに応用が効き、彼は『投資王』の名を欲しいままにする。いつしか畏敬の念を抱かれた彼は『恐怖のボブボブ・ザ・フィアー』と呼ばれるようになった。

 メアリーについては、三作目のファンタジー小説『サリー・コッターと闇の城』が世界三十ヶ国で三千万部を超える大ベストセラーとなりシリーズ化される。彼女は、納得のいく作品を書くことを第一に考え、じっくり構想を練って一年に一冊のペースで執筆を続け、シリーズ十三作の累計発行部数は六億部を記録する。

 メアリーは、金銭に対する執着がなく、ロバートとカヲリがいて文章を書く環境があればそれで満足だった。『金銭は自分たちが生きていけるだけあればいい』。それが彼女のポリシーであって、印税のほとんどを恵まれない子供たちに寄附した。それは、カヲリのおかげで自分たちが幸せになったことに対する、彼女流の感謝の形だった。

 そんな二人の愛情にはぐくまれカヲリは幸せな生活を送った。メアリーの影響もあって文学に興味を持ち、コネティカット州の名門Y大学の芸術学部へ進学する。そして、優秀な成績を収め、わずか二年で大学を卒業する。

 そのとき、彼女は初めて二人に我儘わがままを言う。それは、自分の故郷である日本の出版社へ就職すること。二人は彼女の意思を尊重し、喜んで彼女を送り出した。こうして、二〇〇四年、二十歳のカヲリは夕日出版社へ就職し、同時に月刊トワイライトの編集者となった」


★★★


 そこまで話し終わると、村上は小さく息を吐く。


「以上が、カヲリ・ハートフィールドがトワイライトの編集者になるまでの話だ。ちなみに、SJWで彼女が名乗っていた『岡安』という姓については、ロバートとメアリーにもわからなかった。

 調べてみたところ、それは母親の旧姓だった。なぜ彼女が母親の旧姓を名乗っていたのかはわからない。ただ、これで『かをり』と『カヲリ』はつながった。深見、ここまで大丈夫か?」


 村上の説明を聞きながら、私は絡まった糸が少しずつほどけていくのを感じていた。

 しかし、肝心なところがどうしても理解できなかった。


「村上、一つ質問がある」


「なんだ?」


「これまでの話を聞いていると、岡安かをりは、SJシステムが作り出したNPCではなく、現実の世界にいるカヲリ・ハートフィールドそのもののような印象を受ける。それについてはどう理解すればいい? それから、彼女は今どこにいるんだ?」


 村上は視線を天井へ向ける。部屋の中に沈黙が訪れた。

 そんな沈黙を破ったのは、村上の衝撃的な一言だった。


「……彼女は地下二階にいる。SJコンパートメントの中で眠っている。三年前から」



 つづく

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