第46話 待ち人来りて
★
「深見……確認させてくれ」
村上は鬼気迫る表情を浮かべる。床に散らばったコーヒーカップの破片をそのままに、私の方へ足早に近づいてきた。
何があったのかはわからない。しかし、村上がこんな顔をしているのは、決まってとんでもないことが起きているときだ。
「岡安かをりは自分のことを『カヲリ・ハートフィールド』と名乗った。そして、NLを憎んでいる様子を
「間違いない」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
村上は鋭い眼差しで私を
「俺は『カヲリ・ハートフィールド』という名前の女性を知っている」
「かをりのことを……知っている? 本当なのか!? どこにいるんだ!? 教えてくれ! 村上!」
動揺を隠せない私は村上の両腕に掴み掛った。
村上は視線を逸らすように目を伏せる。
「ただし、彼女は四十七歳ではなく三十一歳。普通に考えれば別人だ……しかし、俺はそうではない可能性を疑っている」
「それはどういうことだ?」
「悪いが今は話せない。このまま待っていてくれ。すぐに戻る」
「村上! おい! 村上!」
私の手を振りほどくと、村上は足早に部屋を後にした。
村上には珍しく歯切れが悪かった。それに「カヲリ・ハートフィールド」という名前を聞いたときの驚きようは
年齢がひと回り以上違えば、同姓同名の別人と考えるのが普通だ。にもかかわらず、それを否定するようなことを言った。
私の思考をはるかに超えた何かが起きているとしか思えなかった。
★★
二十分が経過した頃、村上が神妙な顔つきで戻ってきた。
「待たせて悪かったな」
「大丈夫だ」
詫びを入れる村上に、私は何もなかったように答える。
「深見、明日、俺と付き合ってくれないか? エンドレスになるかもしれないが」
「『YES』でもあり『NO』でもある。用件次第だ」
私の言葉に村上の口元が緩む。
「詳しいことは言えないが、明日はお前の人生を大きく左右する『重要な日』になる……こんな説明じゃダメか?」
「まるで『最後の審判』でもなされるような言い方だ。でも、きっとそれに近いことなんだろう? もちろん付き合うよ。いつだってキミのことは百パーセント信じているから」
「サンキュー、深見。俺もお前のことは百パーセント信じている。だからこそ、お前の話を聞いて『今すぐ行動を起こさなければならない』と思ったんだ。
明日午前六時に『ある人物』に会ってもらう。その後の予定は展開次第だ。じゃあ、明日に備えて休むとしよう。お前の部屋は廊下を出て右に行った突きあたりだ。五時に電話する」
村上は私に部屋のカードキーを手渡す。
「おやすみ、村上。今日はありがとう」
「ああ、おやすみ」
軽く手を振って私は村上の部屋を後にした。
★★★
次の日の朝、私と村上は研究所内のカフェを訪れた。
五時過ぎだというのにたくさんのスタッフが朝食をとっていた。
「村上、キミの研究所のスタッフは、こんな時間から働いているのか?」
「言っただろ? 今日はお前にとって『重要な日』だって。だから、みんなには早朝からスタンバってもらってる。頼りになる連中だ。大船に乗ったつもりでいてくれ」
村上はしたり顔でニヤリと笑った。
朝食を済ませた私たちは村上の部屋へと移動した。
緊張した面持ちで待っていると、村上のデスクの電話が鳴る。
「おはよう……わかった。部屋に案内してくれ。四人で話をすることは昨日の夜に伝えておいた」
電話は受付係からだった。どうやら待ち人が到着したようだ。「四人で話す」ということは相手は二人。
村上が受話器を置いて間もなく、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
ドアが開く。案内役の女性スタッフの後ろに、上品な雰囲気が漂う、五十代から六十代ぐらいの紳士と淑女が立っている。
二人とは初対面だったが、どちらもどこかで見たことがあるような顔だった。
「おはようございます。ご無沙汰しています。遠いところをわざわざお越しいただきありがとうございます。朝早くお呼び立てして申し訳ありませんでした」
「村上、連絡ありがとう。本当は電話をもらってすぐに行きたかったんだが、ニューヨーク州は自家用機の夜間飛行にうるさくてね。連邦航空局の高官に電話をして、何とか二時三十分の離陸を許可させたよ」
ブラウンのダブルのスーツに身を包んだ、パナマ帽をかぶった、黒人の男性は、白い歯を見せながら、村上に握手を求める。
「おはよう、村上さん。相変わらずいい男ね。いつかあなたを主人公にしたお話を書きたいわ。そのときは連絡するからぜひ協力してね。印税の一部を差し上げるから」
花柄のシックなワンピースにつば広の女優帽をかぶった、美しい顔立ちの白人の女性は、屈託のない笑顔で村上の頬にキスをする。
村上の表情を見る限り、二人とはかなり親しい間柄のようだ。
「こちらが電話でお話した深見真です」
「SJWから帰還した彼だね。はじめまして、深見くん。会えてうれしいよ」
「はじめまして、深見さん。今日はSJWのこと、いろいろ聞かせてね」
二人の口から自然にSJWという言葉が飛び出した。にこやかな表情を浮かべる二人と握手を交わしながら、自分が緊張しているのがわかった。
「深見、二人のことは知っているか?」
村上の問い掛けに私は首を横に振る。どこかで見たことのある顔だが、名前が思い出せない。
「こちらの男性は、
それから、隣の女性は、アメリカの作家『メアリー・フェアリー』。お前の方がよく知っていると思うが、世界中で大ヒットしたファンタジー小説『サリー・コッターシリーズ』の作者だ。訳あって今は休載中だ」
村上の話を聞いてピンと来た。投資に興味のない私でもロバートの武勇伝や逸話はいくつか聞いたことがある。まさにニックネームが示す通りの人物のようだ。メアリーについては言わずもがなで、世界的に有名な、超のつく人気作家だ。しかし、メアリーはある時期から全く本を出していない。すでに筆を折ったようなイメージさえある。
それはそうと、この二人は村上とどういう関係で、かをりとはどのような接点があるのだろう?
「深見、お前はおそらくこんなことを考えているんじゃないか? 『この二人はかをりとどんな関係があるのだろう? 全く接点が見えてこない。村上、早く説明してくれ』。違うか?」
「その通りだ。わかっているなら、早く頼むよ」
村上はロバートとメアリーに視線を向ける。
二人は「わかった」と言うように笑顔で首を縦に振る。
「ロバートの本名は『ロバート・ハートフィールド』。メアリーの本名は『メアリー・ハートフィールド』。そして、二人の娘が『カヲリ・ハートフィールド』だ」
つづく
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