第7話 親友再会
★
私の大学院での研究分野は「免疫学・感染症学」。研究の傍ら非常勤の医師として現場診療にも携わったが、常に父や祖父と比較されることで、受けるプレッシャーは半端ではなかった。
もともとエリートでもなければ高い志しがあったわけでもない。にもかかわらず、エリートのふりをして医師の
NLプロジェクトのメンバーに選ばれたのも父の鶴の一声によるものであって、私の実力などではない。
プロジェクトが成果をあげたことで、医師としての私の評価も上がったが、私個人が何かをやり遂げたわけではない。にもかかわらず、帰国すれば相応のポストが用意される。
傍から見れば、順風満帆なのかもしれないが、今の私は虚しさしか感じない。言葉では言い表せない虚脱感に見舞われ、何もする気になれない。
十五年前、九十九パーセントの不安と一パーセントの期待を胸に渡米した。
心のどこかで「父の敷いたレールの外へ踏み出せるのではないか」といった気持ちがあった――が、何も変わらなかった。
NLウイルスとの戦いが一段落したことで、
立上げのときからNLプロジェクトにいる私は近々帰国する可能性が高い。帰国すれば、引き続き、父の敷いたレールの上を進む。そして、このまま人生を終える。「それでいいのか?」。私の自問自答はいつも答えを見いだせないまま終わる。
★★
デスクの上の携帯が鳴った。メールが着信したようだ。
着信音から相手は二人に絞られる。妹の真知子ともう一人。
『元気か? オーロラ模様も一段落して暇を持て余してるってとこか? 永遠の文学少年のお前のことだ。本でも書いて出版したらどうだ? 印税の使い道に困ったら俺が相談に乗ってやるよ。
冗談はさておき、そろそろ帰国の話があるんじゃないか? そこでだ! 心優しい俺がお前の慰労会を開催してやろうと思ってな。
オーシャンドライブの裏通りに日本料理の店があるんだが、これが結構いける。マイアミでまともな日本料理が食えるなんて驚きだ。俺は「マイアミの奇跡」なんて呼んでいる。百聞は一見に如かずだ。遊びに来い。ただし、飛行機代はお前持ちだ。都合の良い日を教えてくれ。じゃあな』
書き出しを見た瞬間、すぐに誰からのメールなのかわかった。
歯に衣着せぬ物言いは相変わらず。口の悪さがそのまま文章に現れている。ただ、私にとっては、とてもありがたいメールだ。これまで何度彼の言葉に救われたかわからない。
差出人は「
勉強ができる秀才タイプではなく凡人では思いつかないような発想をする天才肌。
大学は私立南里医科大学。学費が全額免除される特待生に選ばれたことで旧帝大の医学部を辞退した。特待生は六年間で数千万円の学費が免除されるとあって、毎年若干名の枠に数千人の応募があるらしい。旧帝大の医学部以上の狭き門だ。
そんな特待生を蹴って、村上が東都大の大学院に来たのには理由がある。「どうしても弟子入りしたい教授がいるから」。以前尋ねたとき、そんな答えが返ってきた。
二〇一一年にアメリカの研究施設からオファーがあり大学病院を辞めて渡米したが、今も神経科学分野の第一人者として、日本だけでなく世界でもその名を轟かせている。
そんな村上だが、問題があるとしたら口の悪さと女好きの性格だろう。
後者について指摘すると、村上はいつもこう言う。
「俺は一度だって自分から誘ったことなんかない。向こうから寄って来るから相手をしてやっているだけだ」
確かに、女性に対しても歯に衣着せぬ言いぶりは変わらない。マメでもなければ褒めるようなこともしない。
厳しい口調で突き放すような態度を取り、お世辞にも好感が持てるタイプだとは言い難い。にもかかわらず、どこへ行っても必ず女性が寄ってくる。
細身で色白で女性のような顔立ち。例えるなら、歌舞伎で女性の役を演じる
話をすると外見とのギャップが大きいが、それがかえって魅力なのかもしれない。言わずもがなだが、私と同じ独身だ。
村上はフロリダ州マイアミにある研究施設で
村上は私の置かれている過酷な状況を誰よりも理解してくれた。そして、誰よりも気遣ってくれた。
渡米してからも村上からの電話やメールは絶えることがなく、私が落ち込んでいると、まるでその状況が見えているかのようにメールが送られてきた。
四年前、村上が渡米することを聞いて声をあげて喜んだのを憶えている。「唯一無二の親友が同じアメリカにいる」。それだけでどんなに心強かったことかわからない。
ただ、村上のいるマイアミと私のいるシアトルとは、同じアメリカでも四千キロ以上の距離がある。お互いの仕事が多忙を極めていたこともあり、会うことはままならなかった。
今回の話が実現すれば、四年越しの悲願達成となる。実際に会うのは十五年ぶりだが、数日前に会っているような錯覚さえ覚える。離れていてもどこか通じるところがあるのだろう。
休みが取れそうな日を確認した私は、村上へ返信メールを送った。
積もる話をするのがとても楽しみだった。加えて、「あること」についてどうしても訊いておきたかった。
★★★
「二人の腐れ縁に乾杯!」
洒落たホテルやオープンカフェが立ち並ぶ、海沿いのリゾート地オーシャンドライブ。マイアミビーチが一望できるとあって、昼夜を問わず多くの観光客で賑わっている。
喧騒を避けるように、一本通りを入ったところにひっそりと佇んでいるのが、村上お薦めの日本料理店「
「畳の上で飲む酒は一味違うな。深見、お前もそう思うだろ?」
村上はグラスになみなみと注がれたビールを一気に飲み乾すと、幸せそうな表情を浮かべる。
「私は酒をあまり美味しいと思ったことがないんだ。だから、付き合い程度でしか飲まない。でも、今日のビールはすごく美味しい。それは、畳があることに加えて、村上がいるからだよ」
「うれしいこと言ってくれるじゃないか! よし! 明日は休みだし今夜は思い切り飲むぞ! 店には悪いが後から来た客には頭を下げてもらおう。『申し訳ありませんが、日本酒は売り切れでございます』ってな」
「だから、そんなに飲めないって言ってるじゃないか」
私たちは個室の外まで聞こえるような、大きな声をあげて笑った。「声をあげて笑ったのなんていつ以来だろう?」。心の中でそんな自問自答をしたが、答えにはたどり着けなかった。
村上は私と同じ四十五歳。しかし、顔も体型も十五年前とほとんど変わっていない。「ナイスミドル」というのは村上のためにあるような言葉だ。
私はと言えば、もともと太らない体質で体型こそ変わらないが、頭には白いものが増え顔つきはかなり疲れている。
渡米して目が悪くなり、当時かけていなかった眼鏡も今では分厚いレンズが入ったものが必需品となっている。「冴えない中年オヤジ」というのは私のためにあるような言葉だ。
村上が年齢より十歳以上若く見えるのに対し、私は十歳以上老けて見えるのではないか? 二人でいると、年の離れた兄弟、いや、親子に見えるかもしれない。
「どうした? 眉間に皺なんか寄せて……。当てて見ようか? お前がそんな顔をしているときは、決まって『どうでもいいこと』や『しょーもないこと』を考えているときだ。昔から全然変わってないよな。だから、俺からのアドバイスも同じさ。Don’t worry about others. Let’s go our own way.(他人のことは気にするな。俺たちは俺たちのやりたいようにやろう)」
私はどうでもいいことを考え込む癖がある。そんなとき、いつも村上が声をかけてくれた。不思議なことに、村上の一言で胸に痞えていたものがスーッと消えていくような気がした。
思い起こせば、いつも同じ台詞だった。一人称は「俺」や「お前」ではなく「俺たち」。「いつも俺はお前の味方だ」。村上は遠回しにそう言ってくれていたのかもしれない。
「深見、長い間、大変だったな。本当にお疲れさま。でも、お前が昔のままでいてくれて良かった。俺は最高にうれしいよ」
村上はあの頃と同じ笑顔を浮かべて照れくさそうに言った。
そんな村上を見ていたら、時間が二十年前に巻き戻った気がした。
つづく
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