第44話 別世界


 今、私がいるのは一点の光すら存在しない、闇の空間。

 昔見たSF映画で、宇宙船が地球に帰還する途中、トラブルに見舞われ乗組員が宇宙空間を彷徨さまようシーンがあったが、私が置かれている状況はそれに近いかもしれない。


 帰還信号を送ってかなりの時間が経ったが、状況が変わった様子はない。

 周りからは、相変わらず、たくさんの子供――NLによって命を落とした子供の声が聞える。

 この空間では人が心に抱くトラウマが増幅されるのかもしれない。気を張り詰めて耳を貸さないようにしても、その声は私の心に直接語り掛けてくる。こんな状態が続けば、いつかは滅入ってしまう。

 頭がぼんやりしてきた。ただ、正気を失うわけにはいかない。闇に取り込まれて自我が消滅してしまう。そうなれば、現実の世界の私も植物状態に陥る。「村上、頼む」。私は心の中で必死にSOSを発信し続けた。


 不意に、身体が動いている感覚を覚えた。見えない何かが私の身体を引っ張っている。

 目を凝らすと、遠くの方に小さな光が見えた。それは少しずつ大きくなり、まばゆい光が私の身体を包み込んだ。


 耳元で音が聞こえた。何の音かはわからないが、気持ちが落ち着くような音だ。

 同時に、甘い香りが漂い、口の中に甘酸っぱい味覚が広がった。

 闇の空間では、五感では何一つ感じられなかった。そう考えれば、文字どおり「別世界」に来たような気がした。

 右手が何かに触れた。表面がザラザラしていてしっとり濡れているような感触がある。すぐに左手と両足にも同じ感触が伝わり、それは身体全体へと広がっていく。


「……ミ」


 何か聞えた。


「……ミ……カミ」


 途切れ途切れでよく聞き取れないが、誰かの声のようだ。


「……カミ……フ……カ……ミ……フカミ」


 私の名前だ。誰かが私の名前を呼んでいる。


「……深見! おい、深見! 蘇生は完了しているんだぞ! 早く目を開けろ! 頼むから目を開けてくれ! 深見!」


 耳元で聞き覚えのある声がした。

 ゆっくり目を開けると、まばゆい光の中に見慣れた顔があった。


「村上……?」


 白衣に身を包んだ村上が私の顔を覗き込んでいる。

 私が話し掛けた瞬間、その顔に安堵あんどの表情が浮かぶ。


「十分以上叫び続けて声が枯れちまったよ。とっくに蘇生処理は終わっているんだ。早く起きてくれよ。寝起きが悪い奴だ」


 村上は冗談交じりに言いながら満面の笑みを浮かべる。


「深見、おかえり。無事でよかった。本当に良かった」


 村上は私の右手を両手で強く握って「うんうん」と何度も頷く。


「みんな! 深見の無事を確認した! 深見はSJWから帰還したんだ!」


 村上の一言に、怒涛どとうのような歓声と割れんばかりの拍手が沸き起こる。

 コントロールルームは歓喜のうずに包まれ書類が宙を舞う。スタッフの間で握手と抱擁が交わされ、どの顔にも笑顔が浮かんでいる。

 まるでNLの弱点が見つかったときのような光景だった。

 私は自分の帰還が村上たちにとってどれほど重要なものであるかを悟った。


 ふと脳裏に「ある情景」が浮かぶ。

 それは私がSJWで見た、最後のシーン――涙を流しながら必死に笑顔を取り繕うかをりの姿。そんなシーンが頭の中で繰り返し再生された。

 額に手を当てて荒い呼吸を繰り返した。


「どうした? 頭でも痛いのか? 無理もない。ここ三ヶ月のSJWでの経験が膨大なデータとしてお前の記憶に上書きされたんだからな。精神面にかかる負荷は決して小さくない。それが肉体的苦痛となって現れているんだ。ただ、心配しなくていい。一過性のもので後遺症ではない。数時間もすれば落ち着く。少しベッドで休んだらどうだ?」


 私を安心させようと、村上が声を掛ける。


「ありがとう。でも、そうじゃないんだ。ちょっと気になることがあって……」


 村上の気遣いに感謝しながら、私は首を横に振った。


「何だ? 遠慮せずに言ってみろ。俺とお前の仲じゃないか」


 スタッフから渡されたコーヒーのカップを手に村上は笑顔で言う。


「村上……私を今すぐSJWへ戻してくれないか?」


 コーヒーを噴き出しそうになった村上は、慌ててハンカチで口を押さえた。


「なんだって? SJWへ戻る? お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?」


 村上が驚くのも無理はない。私の言っていることは、地球に帰還したばかりの宇宙飛行士が「これから宇宙に戻りたい」と言っているようなものだ。非常識にも程がある。


「深見、SJWで何があった? 聞かせてくれないか?」


 村上はコーヒーカップを机の上に置いて真剣な眼差しを私に向ける。私の様子から何かを悟ったようだ。


「お前からの報告は、明日以降、健康診断メディカルチェックの後で行う予定だった。ただ、お前さえよければこれから始めても構わない。そんな状態では、ゆっくり休むことなんかできないだろう?」


「ぜひそうして欲しい。キミには話したいことが山ほどある。そして、今すぐキミの力を借りたいんだ」


 神妙な面持ちで告げる私に村上は黙ってうなずく。


「まずは栄養ドリンクを飲んでシャワーを浴びてこい。その後、俺の部屋に来てくれ。ただ、無理はするな。なにせ三ヶ月も眠っていたんだからな。頭や身体がまともに機能しなくても不思議はない。そこはスタッフと自分の身体に相談してくれ」


 村上はケア担当のスタッフを私に紹介すると、そそくさとその場を後にした。


★★


 一時間後、私は村上の部屋を訪ねた。

 足元は少しふらついていたが、頭は思いのほかすっきりしていた。後遺症らしきものも感じられない。

 ソファに腰を下ろしながらそのことを告げると、村上はホッとした表情を浮かべて、ボイスレコーダーとA四サイズのノートを取り出した。


「お前のSJWを生成したとき、SJシステムを使って記憶を読み取ったのを憶えているよな? 今回も記憶を読み取ってデータを整理したうえで、お前から話を聞こうと思っていた。ただ、読み取ったデータを整理して形にするには一ヶ月以上かかる。そんなに待てない理由があるんだろう?」


 村上はコーヒーカップを口に運ぶ。私の気持ちを察してくれている。


かしこまる必要はないし言葉尻も気にしなくていい。お前がSJWで経験したことを自由に話してくれ。もちろん質問も好きなときにしてもらって構わない。答えられるものはその場で答えるし、確認が必要なものはすぐに確認させる。重要なのはを話すことだ。良ければ始めてくれ」


 私はSJWで経験したことを村上に話し始めた。

 支離滅裂にならないよう、順を追って丁寧に、そして、努めて冷静に説明した。

 村上に状況を正確に把握してもらうことで、私とかをりを繋ぐ、細い糸を手繰り寄せることができると思ったから。


 かをりのこととSJシステムの修正機能のことは、特に詳しく説明した。今すぐSJWに戻らなければならない理由がかをりにあることもしっかりと説明した。

 村上は私の言葉一つ一つに頷きながら、真剣な表情でペンを走らせる。


★★★


 私の話が終わると、村上はペンを置いてボイスレコーダーのスイッチをオフにする。

 説明を始めてから三時間が経過していた。


「深見、まずは礼を言わせてくれ。本当にありがとう」


 コーヒーを口にする私に、村上は深々と頭を下げる。


「お前がSJWでの経験を話してくれたことで、これまで未解決だった、多くの疑問が解決に向かう。俺自身『目からうろこ』と思ったことも少なくない。これでSJの研究は二次曲線を描くように飛躍的に前進する。実用化の目処が立ったと言っても過言ではない。お前にはいくら感謝してもしきれない」


「役に立ててうれしいよ……村上、単刀直入に訊く。私はSJWへ戻ることができるのか? かをりに会うことができるのか?」


 村上は眉間にしわを寄せて何かを考える素振りを見せる。そして、私に鋭い眼差しを向けた。


「その答えは『YES』でもあり『NO』でもある」



 つづく

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