第45話 NOとYES


「『YES』でも『NO』でもある……? どういう意味なんだ?」


 謎かけでもするような、村上の答えに、私はテーブルに両手をついて身を乗り出した。


「そう焦るな。順を追って説明する」


 私をなだめるように、村上はいつものポーカーフェイスで続ける。


「まず、『NO』の意味はこうだ。お前は、SJシステムにより論理的矛盾因子と判断され、SJWから排除された。システムに著しい混乱をきたす存在と認識され、いわゆる『ブラック・リスト』に登録された。そう考えれば、今後あのSJWを訪れるのは不可能だ。お前の精神の特徴が大きく変わらない限りはな」


 村上は両肩をすぼめて首を何度も横に振る。


「余談だが、お前からの帰還信号を受けて、俺たちはすぐに帰還のための準備作業に入った。五感に対する保護措置シールドを展開し、脳神経や精神の回復を確認したうえで、システムとのシンクロを断って蘇生処理を行った。一連の処理は信号を受け取ってから一時間もかからないのが普通だが、今回は二時間近くかかった……なぜだかわかるか?」


 私は首を横に振った。村上は「当然だな」といった表情でフッと笑う。


「アクシデントが発生したんだ。ただ、それはシステムのトラブルではない。俺たちにとって全くの想定外の事象だった。

 帰還システムを使ってお前を回収しようとしたとき、SJWにお前の識別信号がなかった。はっきり言って驚いたよ。お前が消えちまったんだから。幸いなことに、俺たちは、帰還信号が発せられた地点の座標を確認できた。だから、その座標を使ってお前の位置を特定することができた。

 以前『精神世界は深くてドロドロした場所』だと言ったが、今回の一件で改めて実感したよ。もし俺たちが座標を確認できなければ、お前を発見するのは至難の業だった。それなりの時間をかければ何とかなったかもしれないが、お前がいた空間はかなり危険な場所だ。発見が遅ければ手遅れになっていた。帰還システムの開発がお前の出発に間に合って本当に良かったよ」


 どうやら私は九死に一生を得たようだ。


「お前が漂っていた空間――『虚無の空間』と呼ぶことにするが、お前から説明を受けたことで長年の疑問が一つ解明された。それは、俺たちのいる現実世界と仮想世界SJWとの間に『第三の世界』が存在することがわかったんだ。

 あくまで概念的な話だが、宇宙へ向かうスペースシャトルに例えるなら、SJシステムが制御する空間が『宇宙』、自分の身体が出発地としての『地球』、それぞれのSJWは目的地である『惑星』、そして、虚無の空間はいわゆる『宇宙空間』だ。

 今回のお前がそうだったように、SJWから排除された者はこの空間に放り出される。宇宙空間と違って即座に死に至るようなことはない。ただ、お前の話を聞く限り、その空間に長く身を置くことで自我が崩壊する。そうなれば、精神の死である『脳死状態』に陥る。

 思ったんだが、それは、パソコンで不要なファイルを削除したときの概念と似ている。不要ファイルは、パソコンのフィールドからは消えてなくなるが、どこか仮のゴミ捨て場のようなところに移送されたに過ぎない。特殊なソフトを使えば復元することが可能だ。虚無の空間に放り出された者も救うことができるってわけだ」


「私は本当に運が良かった。あと少し遅かったら、闇にとりこまれていた」


 村上の話を聞いてしみじみそう思った。村上も同意するように首を縦に振る。


「SJシステムの仕組みとして、自分とSJWをつなぐ、目に見えないレールのようなものが敷かれている。『行き』は出発駅から終着駅に向かって意識を送り込むためのプログラムが確立している。途中で何らかのトラブルにより精神崩壊に至ることがあっても、バックアップ機能によりある程度意識の復元が可能となる。あくまで理論どおりにシステムが機能すればの話だがな。

 『帰り』のシステムはさっき話したとおりだ。帰還信号に基づき位置を特定して保護する。今回のように不測の事態に対応できたのは大きな収穫だと言っていい」


「出発のときはかなり脅かされたが、実は安全だってこと?」


「あくまで結果オーライだ。俺たちの仮説に基づいて理論どおりにことが運んだだけの話だ。今は仮説が立証されたが、正直なところ、三ヶ月前は冷や汗ものだった。いや、行きが冷や汗もので、帰りは超冷や汗ものだった」


 冗談めかした言い方をしながら、村上はコーヒーを少し口に含む。


「蘇生処理は、お前の意識を回収して五感の回復をチェックしたうえでシンクロ切断するものだが、今回は処理が完了してからしばらく意識が戻らなかった。理論どおりにはいかなかった。十分後に回復したからよかったものの、もしあのまま回復しなかったら、俺はこれ以上研究を続けられなかったかもしれない」


 あのとき村上が必死に私の名前を呼んでいたのは、どうやらそういうことらしい。

 それにしても、村上は本当にうれしそうだ。私の話を聞く場のはずが、いつの間にか私の方が聞き役になっている。このまま徹夜でしゃべり続けるような勢いが感じられる。ただ、同じ研究者として村上の気持ちは痛いほどわかる。


「悪い、悪い。すっかり話が脱線しちまった。じゃあ、本題に戻る。今度は『YES』の意味だ。

 お前はへ行けば岡安かをりに会うことができる。つまり、現在のお前の記憶から新たなSJWを生成して、お前の意識を『かをりの検査が終了した時刻』へ送り込むわけだ。そうすれば、違和感なく時間は流れる。

 なぜNLが現れたのかはこれから調査するとして、新たなSJWを生成する際には同じことが起きないよう、NLに関する情報をチェックしてヤバそうなものは手作業で除去する。そうすれば、お前はNLに侵された患者と接触することもなく、引き続きバラ色のSJW生活を満喫できる。

 岡安かをりはお前の記憶を基に再現されているため、これまでどおりの彼女と再会を果たすことができる。もちろん、NPCである彼女は『再会』だとは思わない。未来に変化が生じたことを認識しているのはプレイヤーであるお前だけだ。

 結果として、お前は、愛する彼女とラブラブの状態で、作家になる夢を追い求められる。もちろん彼女の病気はそのままだが、それは十文字先生に任せておけばいい。どうだ、深見? 『YES』の方を聞いてよかっただろ?」


 専門的なことはよくわからない。ただ、結論から言えば、私は再びSJWへ行って、かをりと会うことができる。しかも、今度はNLが発現しないよう村上が細心の注意を払ってくれる。NLの存在しない世界でかをりといっしょに夢の実現を目指すことができるのだ。

 しかし、何かが引っかかる。どこか納得していない自分がいる。それは、新たなSJWにいる「かをり」と私が愛した「かをり」とが同一人物だとは思えないから。

 新たなSJWには、病院の治療室で私を助けてくれたかをりはもういない。私がプロポーズをしたかをりはどこにもいないのだ。


 確かに、同じような場面に出くわせば、新しいかをりもきっと同じ行動に出るだろう。私が愛したかをりが、私が二度と足を踏み入れることができない領域にいるからと言って「別のかをりで代用する」というのがどうしても納得がいかない。

 私はかをりに会いたい。しかし、新たなSJWにいるのはかをりであってかをりでない気がする。


★★


 時刻は午後十一時。村上の部屋に来てから四時間以上が経っていた。


「今日はこの辺にしておくか。続きは明日の健康診断メディカルチェックを受けた後だ」


「疲れているのに話に付き合わせて悪かったね」


「いや、久しぶりにお前と話ができて楽しかったよ。希望を言わせてもらえば、コーヒーじゃなく酒が良かったがな。次はマイアミビーチの日本料理屋で話そう。お前の帰還祝いを兼ねてな」


「ぜひお願いするよ。まだまだ積もる話もあるしね」


 村上は、うんうんと頷きながら、二つのカップとソーサーを重ねる。


「そうだ。お前、現実世界の岡安かをリには会いたくないか? もしその気があるなら探してやるぞ。アメリカ当局の力を借りれば、日本人だろうとすぐに居場所を突き止められる。一九九三年に二十五歳ってことは……今四十七歳か。イメージが壊れるから止めておいた方がいいか?」


 冗談とも本気ともとれる、村上の話に思わず笑ってしまった。

 同時に「アメリカ」と聞いて、話し忘れたことがあるのを思い出した。


「そうだ。かをりのことで一つ思い出したことがあるんだ」


惚気のろけ話か? この際だ。何でも聞いてやるから言ってみろ」


 カップとソーサーを手にした村上は、口元に笑みを浮かべながら部屋の隅の流し台シンクの方へ歩いていく。


「大した話じゃないけど、十文字先生のSJ検査を受けたとき、かをりが英語を話したことは言ったよね?」


「ああ。箱根でもネイティブ顔負けの流暢りゅうちょうな英語を話したそうだな」


「そのとき、かをりは自分のことを『カヲリ・ハートフィールド』と名乗ったんだ」


 何かが割れる音がした。

 音の方へ目をやると、キッチンの床にコーヒーカップの破片が散らばっていた。

 その脇には、驚きの表情を浮かべてたたずむ村上の姿があった。



 つづく

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