第4章 Doctors' Dreams
第43話 罪と罰
★
気が付くと、目の前に真っ暗な空間が広がっていた。
目を凝らしたが、見えるものは何もない。「漆黒の闇」というのは、まさにこのような状態を言うのだろう。聞えるのは自分の呼吸と心臓の音だけ。全身がひんやりとした空気で包まれている。
SJWで箱根へ行ったとき、似たような感触を覚えたのを思い出した。あのときは一面に白い
違うのは色だけではない。あのときは全身を優しく包まれるような心地良さがあり、雲の上で寝そべっているような感触だった。
しかし、今は心地良さなど
最後に目にしたのはかをりの笑顔。最後に耳にしたのはかをりの悲鳴。
あれからどれくらい時間が経ったのだろう? そして、ここはどこなのだろう?
わかっているのは、SJシステムの修正処理機能によりSJWから排除されたということだけ。
かをりはどうなったのだろう? 十文字先生同様、私に関する記憶を消されたのだろうか? もしそうなら、私たちは出会っていないことになる。仮にもう一度SJWを訪れたとしても、私たちは赤の他人だ。それ以前に、ホストコンピューターが、排除された私を受け入れること自体あり得ないのではないか?
独りぼっちになった気がした。
現実の世界には親友の村上がいる。ただ、かをりといっしょにいたときの安堵感や心地良さは村上といるときのそれとは少し違う。
当たり前のように存在していたものが突然消え失せると、著しく不自由を感じる。今の私はまさにそんな感じで、心に大きな穴がポッカリと開いている。喩えるなら、事故や病気で身体の一部が機能しなくなったとき、大きなストレスを感じるのと似ている。
★★
どんなに深い闇であっても、しばらくすると目が慣れて何かが見えてくる。また、水を打ったような静寂であっても、注意深く耳を
一旦自分を見失ってしまったら二度と戻れない気がする。
ただ、それもいいかもしれない。
今の私の心は虚しさと絶望に満ちている。そんな気持ちが不安と恐怖を生み出しているのかもしれない。だとしたら、すべてを忘れてしまえば楽になれる。
『そうだね。それがいいよ』
静寂を破るように、どこからか声が聞えた。
『そうしなよ。ボクたちといっしょに行こうよ』
また別の声が聞えた。小さな子供のようだ。
『やっと会えたね。深見先生』
『待ってたのよ。先生が来るのを』
姿は見えないが声の主は一人や二人ではない。誰もいなかった空間に気配が――私のことを知っている子供の気配が感じられる。
「キミたちは誰なんだ? なぜ私のことを知っている?」
『わたしたちのこと、憶えていないの?』
『忘れちゃうなんてひどいよ。深見先生』
耳元で子供と思しき二人の声がした。私の両隣りに誰かがいる。
『俺たちみんな、一年も生きられなかったんだ』
『深見先生に治してもらいたかったなぁ。ずっとお願いしていたんだよ。わたしたち』
『もっと生きたかったよ。もっと遊びたかったよ』
今度は私の前後と頭の上で声がした。
私は声の主が誰なのかを理解した。心臓が早鐘を打っている。
「違う……待ってくれ……私は……」
言葉を発しようとしたが、言いたいことが上手く言葉にならない。
『深見先生、どうしてNLをやっつけてくれなかったの?』
『あたしたちを見殺しにするなんてひどいよ』
「違う! 違うんだ! 私は……私はキミたちを見殺しにしたんじゃない! キミたちのために……キミたちを救うために全力を尽くしたんだ! 信じてくれ!」
私は喉の奥から絞り出すように言葉を発した。
『でも、結局ボクたちを助けられなかったよね?』
『なのに、自分は涼しい顔をして楽しんでいる』
『あたしたちが苦しんで死んでいったことなんか忘れて、楽しんでる』
『ずるいんだ。ずるいんだ。大人のくせにずるいんだ』
姿は見えない。ただ、四方八方をたくさんの子供が取り囲んでいる。どの子もみなNLによる犠牲者。私が救えなかった子供たちだ。
「本当に申し訳ないと思っている! でも、私は十五年間キミたちを救うことだけを考えて生きてきた! その結果、NLは撃退できた! だから、今は自分の夢を追い求めている! わかってくれ!」
『それは先生の事情でしょ? ボクたちとは関係ないよ』
『深見先生が夢を叶えても、俺たちは浮かばれない』
『先生、お願い。あたしたちを助けて』
私の言葉数が少なくなっていく――それは、私が自分の罪を認め始めたから。そして、罪に応じた罰を受けなければならないと思い始めたから。
これまで、自分を「被害者」だと思ってきた。NLのせいで自分の人生を棒に振ったことで、私自身が被害を受けたという気持ちがあった。
しかし、この子たちの話を聞いていたら、それは誤った認識だと思った。
数万人の子供を死に至らしめた、直接の原因はNLにある。ただ、NLプロジェクトの対応次第では救えた子供がいたかもしれない。
そう考えれば、私は「被害者」ではなく「加害者」だ。加害者意識がないまま、相応の社会的評価を受け、自分の夢を追い求めるなんて非常識にも程がある。
相応の罰を受けるべきではないか? ただ、今更どうすればいいのだろう?
『深見先生、わかってくれたんだね』
うれしそうな子供の声が聞えた。
『簡単だよ。この空間でずっとボクたちといっしょにいてくれたらいいんだ』
「いっしょに……? それだけでいいのか?」
虚ろな表情を浮かべる私にその声は続ける。
『そうさ。ボクたちと同化してここにいてくれたら、それでみんな癒されるんだ。それに、深見先生にとってもそれがいいと思うんだ。そうすれば、過去の辛い記憶はもちろん、
それなら今の私にもできそうだ。それに、かをりを失った私には過去の記憶や自我はもはや必要のないものだ。まさに一石二鳥ではないか。
『目を
声に従って私は静かに目を閉じた。頭の中に何かが入って来る。少しずつ意識が遠退いていく。それで子供たちが救われるなら喜んで受け入れよう。
★★★
『……忘れたら一生会うことはない……でも、忘れなければまた会える……きっと会える……だから、忘れないで……お願い……』
不意に「声」が聞えた。それは子供たちのものではない。
『……心の闇に負けないで……あたしも今度は負けない……絶対に負けないから……キミのこと……絶対に忘れないから……』
今にも消え入りそうな、弱々しい声。ただ、声の主が誰なのかは間違いようがなかった。
「かをり? キミなのか!? 私はここだ! いるなら返事をしてくれ!」
私は大声で叫んだ。しかし、それきり声は聞こえなかった。
もしかしたら幻聴だったのかもしれない。ただ、消え入りそうな声を聞いて、私は大切なことを思い出した。
ここで私が消えて無くなることは
しかし、消えなければ、苦しんでいる誰かを救うことができる。
かをりだけではない。私が現実の世界に戻ってSJWでの経験を村上に伝えれば、SJシステムの研究は飛躍的に進歩を遂げる。そうすれば、村上がたくさんの人の命を救ってくれる。たくさんの人の笑顔を守ってくれる。私が相応の罰を受けるのはそれからでも遅くはない。
『深見先生、何を迷っているの? ボクたちといっしょに来てよ。ボクたちを苦しみから救ってよ』
「ごめん。私には、まだやるべきことがあるんだ。それが終わるまで待って欲しい」
自分の左手の薬指を左肩へと近づけると、黄色い五百円玉大のホログラムがぼんやりと浮かび上がる。
『逃げるの?』
『ずるいよ!』
『自分ばっかり!』
そんな声を後目に、私は発光する薬指の先をホログラムへと接触させた。そして、「大切な二人」へメッセージを送った。
「村上、あとは頼む。かをり、いつか、きっと」
つづく
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