第13話 仮想現実


「俺にはお前の考えていることがわかるから。とてもよくわかるからだ」


 村上の言葉は感慨深いものだった。大学院の入学式の日、私が話した他愛もない話を、二十年経った今も気にかけてくれていた。


 「SJWに辿り着く過程で植物状態に陥るかもしれない」。村上は死に匹敵するような、大きなリスクがあることも説明してくれた。しかし、私の気持ちは変わらなかった。


 あの頃に戻れるならすべてを犠牲にしても惜しくはなかった。医者になる前の自分に戻って、果てない夢を追い求めてみたかった。何のしがらみにも囚われることなく自分の思いを文章にしてみたかった。

 もちろん書いたものが認められれば、それ以上の幸せはない。ただ、結果が伴わなくても構わない。私が欲しているのは「夢にチャレンジできる舞台」なのだから。


「お前がSJに執拗に興味を示しているのは、自分の人生をやり直したいから・・・・・・過去の世界に戻って自分の夢を実現したいから。そうだよな?」


 村上の問い掛けに私は黙って頷いた。


「日本料理店でお前がSJのことを切り出したとき、ピンと来たよ。そうじゃなければ、国家の重要機密を部外者のお前にペラペラしゃべったりはしない。ただ、改めて言っておく。SJWへのシンクロは安全性が確保されているとは言い難い。未知の部分が多過ぎる。

 SF好きのお前のことだ。『精神世界へ行く』というのを、偶然発見された空間移動トンネルを通って太陽系から何万光年も離れた宇宙へ行ったり、何の前触れもなく枕元に現れた妖精に連れられてファンタジーの世界へ行ったりするようなイメージを抱いているんだろう? 確かに間違ってはいないが、現実はそう甘くない。

 フィクションの世界では『異世界へ行く過程』は軽んじられる。つまり、物語が展開するのは、あくまで異世界へ行ってからで道中は何もないのが当たり前だ。しかし、現実は違う。異世界へ行く過程においても多大なリスクが存在する。

 イメージがわかないかもしれないが、精神の世界というのは、底なし沼のように深くてドロドロしている。しかも、SJWは、自分の過去の記憶をもとに生成される世界であるにもかかわらず、百パーセント自分の思い通りになることはない。制御しているのは、人工知能AIが組み込まれたスーパーコンピューターだ。

 SJWに存在する生物は、それぞれAIが組み込まれ自分の意思で考えて行動する。そして、無数のAIを統括しSJW全体を制御する司令塔の役割を果たすホストコンピューターが存在する。

 もちろん俺たちの手を離れて暴走することがないよう、何重もの安全対策が施されている。ただ、想定外の事象まですべて潰しているわけではない。

 はっきり言うが、SJシステムの生命線は意思を持ったコンピュータに握られている」


 村上は唇にぺろりと舌を這わせると、アイスコーヒーを少し口に含む。


「それから、これまで行った、マウスによる実験の結果だが、SJWとのシンクロ状態を強制的に断ったマウスは、個体差はあるものの例外なく心身に異常を来した。ひどいものは植物状態。目が見えないもの、耳が聞こえないもの、手足が動かないものもいた。

 パソコンで画面が固まったときなどに強制的に電源を落とす行為は、SJでは御法度だ。SJWから帰還する際は、対象者自らが『今から帰る』と言った信号を発信し、それを受けた俺たちが五感に対する保護措置シールドを展開し精神の回復を確認したうえでシンクロを断つ必要がある。実は、先週システム化されたばかりで、ちょうどマウスを使った実験を始めたところだ。

 マウスの記憶情報を数値化して、SJWとシンクロする前後の変化を分析したところ、記憶パターンが若干変化しているのがわかった。つまり、SJWで再び『過去』を経験してきたことで、今までの『過去』の記憶が新しい『過去』の記憶に上書きされている部分があったというわけだ。

 これは、タイムマシンで言えば、過去に何らかの干渉をすることで歴史が変わってしまったことを意味する。SJWの場合は他者への影響はほとんどないが、自分の記憶が変わっていることが実証された。

 マウスはもともと実験用であり、決められた場所で生まれ、決められた場所で生活している。記憶が上書きされたと言っても、自分の過去が大きく変わったとは言えない。だから、記憶パターンの変化も微々たるものだった。しかし、人であればそれが大きく変わる。

 例えば、学校や職場が変われば、接する人の顔ぶれも変わり、それが価値観や性格にも影響を及ぼすかもしれない。好きな食べ物や異性のタイプだって変わる可能性がある。マウスの話は、第三段階フェイズ・スリーの「医療システムとしてのSJ」につながるものだが、前に進むには人による実験データが必要不可欠だ。

 それから、シンクロしている者の身体は、冷凍睡眠のような状態でコンピューターが制御する生命維持装置に守られているが、SJW内での状態を監視できるシステムは未構築だ。俺たちには、SJWで何が起きているかを具体的に把握することができない。その者が幸せなのかどうかさえわからない。膨大な時間をかけて記憶情報を解析して形にするのがやっとだ。

 脳の情報と過去のデータから一定期間の仮想世界を形作るだけでも、千人規模のスタッフが二四時間交代で携わっても一年以上かかる。解析・生成システムの確立もこれからの課題だ。

 システムの信用度をあげていくには、SJWから帰還した者から直接状況を聞いたうえで、仮説に基づく試行錯誤を繰り返していくしかない。しかし、言葉を話せる者――人をSJWへ送り込むことは現段階ではリスクが大き過ぎる。結果として、SJプロジェクトはなかなか前に進まない。

 長くなったが、俺が言いたかったのは、SJWとのシンクロは医学の部分でもシステムの部分でも課題が山積みだってことさ」


★★


 一通りの説明を終えた村上は二杯目のアイスコーヒーを一気に飲み乾した。

 これだけ中身の濃い講義をすれば喉が渇くのも当然だろう。


「村上、ありがとう。SJのこと、かなり理解できたよ。でも、さすがは天才と言われたキミだ。すごいことを手掛けていたんだ。高級マンションに住んでいるのもうなずけるよ」


 嬉しそうに話す私に、村上は視線を足元に落として苦笑いを浮かべる。


「村上……すぐにでもSJWへ行かせて欲しい」


 間髪を容れず、村上が顔をあげる。憂いを秘めた、悲しげな眼差しが私に向けられる。


「お前にはSJシステムのことを詳しく説明した。リスクについては、特に丁寧に説明したつもりだ。ただ、何をどう説明しても、『SJWへは行かない』と言わせる自信がなかった。お前の決意を知っているからかもしれない。

 お前は『この世界で生きるのがツライ』と言った。『NLノーザンライトが存在する世界では夢を追い求められない』と言った。

 俺が友だちとしてお前にしてやれるのは、NLが存在しない仮想現実を作り出し、そこにお前を送り込むことしかないと思った。時間が経てばシステムの信頼性は高まるが、いつまで経っても百パーセントの安全などあり得ない。それに、お前が『そんなに待てない』と言うのもわかっていた」


 村上はグッと唇を噛むと、私の目をじっと見つめた。


「辛い選択だ。ただ、友だちとして、しなければいけない選択だと思っている。深見、俺は……俺の選択は間違っていないよな?」


 村上の目に薄らと涙が浮かぶ。それは、彼の中で激しい葛藤があった結果であり、彼が私のことを大切に思ってくれているあかしだった。

 私は笑顔で首を縦に振った。


「もちろんだよ。これまで一度だってキミが間違ったことはない。そして、これからもそんな場面は想像できない。キミが間違えるとしたら、世界中の誰がやっても結果は同じだ……キミだけだよ。私の夢のことを真剣に考えてくれたのは。感謝することはあっても恨むことなんか絶対にない」


「深見……」


 村上は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。

 私は改めて思った。「村上と友達になれて本当に良かった」と。


「私は夢を実現して必ず戻って来る。そして、SJWで体験したことを一つ残らず報告する。いつか言ったじゃないか。一人では無理なことでも二人でなら何とかなるって」


 

 つづく

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