第12話 二次会
★
潮風が心地良い、海沿いの通りを五分程歩くと、瀟洒な煉瓦造りの建物が姿を現した。
村上に声を掛けられた守衛は、にこやかな表情で扉のロックを解除する。
私たちはエントランスからエレベーターに乗りこんだ。
「深見、こっちだ」
十六階でエレベーターを降りて村上の部屋へ向かった。
高級ホテルで使うようなカード状の電子キーを翳すとピッという電子音が鳴る。
室内は、天井の高い、広々とした空間が広がり、鍵だけでなく、内装も高級ホテル並みだった。
廊下を進むと突き当たりはマイアミビーチが一望できる、リビングダイニング――ソファセットとホームバーが備わった、ゆったりとしたスペース。
「何か飲むか? 酒じゃないほうがいいよな? アイスコーヒーでいいか?」
自分が住んでいるマンションとの違いをまざまざと見せつけられた私は、驚嘆と羨望の眼差しであたりを見回した。
「深見、今お前が何を考えているのか当ててみようか? 『村上は自分と同じアメリカの国立研究所の
カウンターの向こうで、ダークブルーの縦長のグラスにコーヒーと氷を無造作に入れながら、村上はしたり顔で言う。
「そうだね。私のマンション全体が村上の家のバスルームにすっぽり収まりそうだよ」
「お前のマンションは七人の小人仕様か? まぁ、ハイリスクの仕事にはそれなりのリターンがついてくるってことさ」
村上は笑いながらソファセットのテーブルの上に二つのグラスを運ぶ。
アイスコーヒーによる私たちの二次会が始まった。
★★
「で? 何の話だった?」
村上は惚けたような言い方をする。ただ、目つきは真剣そのものだ。
「『
さらに、その空間に人の精神をシンクロさせることで、リアルな過去の世界を体験することができる。それだけ聞くと、遊園地のアトラクションやロールプレイングゲームといったエンタメツールを想像するかもしれないが、SJは高度な医療システムだ。
もともと人の意識は『顕在意識』と『潜在意識』とに区分される。前者は明確に自覚できている意識。物事の決断や選択を行う領域だ。それに対し、後者は普段は自覚されない意識。過去に五感で感じた内容や特定の出来事から受けた印象などがすべて格納されている、だだっ広い倉庫のような領域だ。
顕在意識で『ある判断』がなされるとき、潜在意識に格納された情報も判断材料として使われることが多々ある。時として、自分がなぜそんな判断をしたのかわからないことがあるが、それは潜在意識の中にある情報が使われた可能性が高い。決して根拠がないわけじゃない。美味しかった食べ物の匂いや誰かが被っていた帽子の柄なんかも潜在意識の中にはこと細かにインプットされている」
村上はアイスコーヒーを少し口に含む。
「話が横道に反れたが、
ただ、アメリカ政府が到達点と考えているのは、
高度な技術というのは、人を救うことができる反面、人を殺傷するものとなり得る。原子力やレーザー光線がそうであるように、いつの世も利器と兵器は表裏一体だ。SJの技術も例に漏れず兵器となり得る。何せ人の脳や精神にアクセスすることで、記憶や人格を自由に書き換えられるわけだからな。
SJ技術の兵器転用は未来の話だ。もちろん、俺はそんな軍事目的の研究に参加するつもりはない。ただ、アメリカ政府がおとなしく解放してくれるかどうかはわからない」
村上はごくごくと音を立ててアイスコーヒーを飲む。つられたように、私もアイスコーヒーを一気に飲み乾した。
私は大きな衝撃を受けた。SJの研究はまだ
★★★
「深見、アイスコーヒーもう一杯どうだ?」
「じゃあ、もらおうかな」
両手にグラスを持って村上はキッチンへと向かう。そして、さっきと同じように、冷蔵庫から取り出したコーヒーと氷をグラスへ入れる。
「お前、SJのことを知って何がしたいんだ?」
二杯目のアイスコーヒーを差し出しながら村上が切り出した。私は目を逸らして深呼吸をする。
「行ってみたいんだ……SJが作り出す仮想現実空間へ」
その瞬間、村上はアイスコーヒーを吹き出した。
「お、お前、自分の言っていることがわかってるのか? とても正気の沙汰とは思えない……確かにSJは
正確に言えば、シンクロは『理論上』可能だが、人体にどんな影響が生じるかは全くわかっていない。人を使った実験結果が全く得られていない。精神崩壊により植物状態に陥る可能性だってある。お前は『自分がモルモットになる』と言っているようなものだぞ? 何を考えているんだ!?」
村上が血相を変えて捲し立てる。今の私は副作用の有無が全く見えていない新薬を「服用したい」と言っているようなものなのだろう。ただ、私には、村上がSJのことをそれほど危険視する理由が呑み込めなかった。
「でも、ロケットで宇宙に行ったりタイムマシンで過去に行くわけじゃないんだろ? あくまで身体は現実の世界にあって、精神だけが仮想現実の世界へ行くだけだろ? それでも、そんなに危険なのか?」
私はソファから身を乗り出して真剣な表情で尋ねた。そんな私に村上は鋭い眼差しを向ける。
しばらく沈黙が続いた後、突然村上は大声をあげて笑い出した。
「なぁ、深見。今の状況はものすごく不自然だと思わないか?」
呆気にとられる私に村上は続ける。
「だって、そうだろ? 俺は、アメリカ政府が極秘に進めているSJプロジェクトの責任者だ。その俺が計画に無関係な第三者に対して、その内容を懇切丁寧に解説している。
こんなことアメリカ政府に知れたら、俺は間違いなくクビだ。いや、それだけじゃない。しばらく監獄生活が待っている。そんなことは百も承知で俺はしゃべっている。飲み屋ですっとぼけることもできたのに……。深見、なぜだかわかるか?」
私は即座に首を横に振った。
村上は視線を天井に向けて小さく息を吐くと、再び私の顔をジッと見つめた。
「それはな……俺にはお前の考えていることがわかるから。とてもよくわかるからだ。大学院の入学式のあとで俺に話したこと憶えてるか? 自分の夢のこととか医者になった理由とか……あれから二十年以上経つのに、俺はあのときのことが頭から離れないんだ。たぶん、絵に描いたようなバカ正直でクソ真面目なお前から、自分を偽ったことを聞かされたからだ。親父さんの一存で医者にならざるを得なかったことだ。
お前は淡々と話してくれたが、あのときお前の言葉は泣いていた。とても悲しい響きだった。でも、皮肉だよな。お前が医者にならなかったら、俺たちはこうして出会っていないんだから」
村上は目を細めて窓の外に目をやる。
空と海との境界がわからない中、沖を航行する貨物船のライトが浮かんでは消えていった。
つづく
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