第9話 予想外訃報


「村上はどうして医者になったの?」


 大学院の入学式から二週間が経ったある日、いっしょに昼食を食べていた私は村上に尋ねてみた。


「金が儲かるから。女にもてるから」


 ビーフカレーをほお張りながら村上は淡々と答える。


「本当に?」


「それ以外に何がある? 金と時間をかけて医者になる理由なんてそんなものだ」


 そそくさと昼食を済ませた村上は食堂を後にする。

 一人残った私は、皿の隅に残った、短いパスタをフォークの先で付き差しながらため息をついた。

 それが村上の本心とは思えなかったから。そして、入学式の日に村上の言葉から感じた、真っ直ぐな思いとは裏腹なものだったから。


 南里医科大学の特待生として授業料が免除されていた村上は、そのまま大学院へ進めば引き続き授業料が免除された。にもかかわらず、東都大学の大学院へ進学する道を選んだ。

 理由は、十文字教授の研究室に入りたかったから。


 十文字教授は脳神経科学研究室の代表で神経科学の権威。それまで別の研究対象として扱われてきた、脳の領域と心の領域を関連づける、新たな手法を実践に移した。

 成果が形になるにつれ学会でも俄然注目を浴びるようになり、いつしか日本の第一人者と呼ばれるようになった。

 既存の方法論に囚われない、独創的でドラスティックなアプローチ。そんな十文字教授のやり方が天才肌の村上の探究心をくすぐったのかもしれない。「村上が金や女のために医者を志すなんてあり得ない」。私は確信した。ただ、神経科学の分野に拘る理由はよくわからなかった。


 それから二ヶ月が経った頃、私の疑問を答えに導く「ある出来事」が起きる。


★★


 私と村上は研究室こそ別だったが、昼食はできるだけいっしょに摂るようにしていた。 しかし、まる一週間、村上が食堂に姿を見せなかった。

 午前中に診察がある日は昼食もバラバラだったが、その週はお互い診察の予定は入っていなかった。

 家へ電話をかけてみたが、呼び出し音は鳴るものの誰も出ない。時間を置いて何度もかけてみたが結果は同じ。

 堪りかねて研究室を訪ねてみたが、やはり村上は来ていなかった。スタッフに一礼をして私は研究室を後にした。


「キミが深見くんですか?」


 廊下に出たとき、背後から名前を呼ばれた。振り返った私の目に、白衣を身にまとった、恰幅の良い男性の姿が映る。


「……はい。深見ですが」


「はじめまして。僕は『十文字じゅうもんじ 卓人たくと』と言います。脳神経科学研究室の代表を務めています」


 柔らかい物腰に温厚そうな風貌。丸い顔にロマンスグレイのボサボサの髪。丸いフレームのメガネをかけた、その人こそ村上の教官・十文字教授だった。


「深見くん、お話したいことがあるのですが、十分程よろしいですか?」


「はい! 十分でも二十分でも大丈夫です」


 緊張気味に話す私を、十文字先生は自分の部屋へと案内する。ソファの上のほこりをハンカチで払うような仕草をして座るよう促す。


「村上くんのことですが、実は以前から相談を受けていたことがあります。プライベートなことですが、深見くんになら話してもいいかと……いや、話しておくべきかと思っています」


「私に村上のプライベートな話をですか? それはなぜですか?」


 予想外の展開に思わず聞き返した。すると、十文字先生は穏やかな表情で頷く。


「キミが村上くんの友達だからです。村上くんと話をすると、よくキミの話が出ます。具体的な内容は伏せますが、そのときの村上くんはとても良い顔をしています。普段高い壁を作って他人との関わりを避けている村上くんにしてはとても珍しいことです。職業柄、僕は心の動きには敏感なんですよ」


 私は驚きを隠せなかった。普段の村上からそんな様子は微塵も感じられない。それどころか「まとわりつく私のことを疎ましく思っているのではないか?」といった不安さえあった。

 ただ、それが事実であるなら、こんなにうれしいことはない。


「本題に入らせてもらいます。今朝村上くんから電話がありました。お母さんが亡くなったそうです。四年前、彼が大学三年生のときに脳梗塞で倒れ、そのまま意識が戻らず寝たきりの状態が続いていました。先週でしょうか。容体が急変したのは」


 私は自分の耳を疑った。村上の母親が亡くなった。しかも長年の闘病生活の末に。

 そんな話は聞いたことがなかった。先週と言えば、ちょうど村上が食堂に出てこなくなった頃だ。


「お母さんが倒れたのをきっかけに、村上くんは研究テーマを脳科学の分野に変更しました。私の研究室に来たのもお母さんの病気を治すためです。ただ、医学は万能ではありません。できることとできないことがあります。

 彼は言いました。『可能性が一パーセントでもあればどんな治療法でも試して欲しい。人を使った臨床結果が得られていないものでも構わない』と。

 確かに、結果が出れば、一パーセントの可能性は百パーセントの成果になります。しかし、その前段で、私たち医師には『人の命を救う』という重大な使命があります。大切な命を使って大博打を打つような真似はすべきではありません。勝算がない賭けは絶対にすべきではありません」


 十文字先生は眼鏡を外して「はーっ」と息を吹きかける。皺苦茶のハンカチでレンズを拭うと、眼鏡をかけ直して真剣な眼差しを私に向けた。


「深見くんに折り入ってお願いがあります。今日の午後六時に予定されている通夜に出席してもらいたいのです。私は明日の告別式に出席する予定です。

 村上くんからは『通夜と告別式は身内だけで行うので一般の方の参列は固くお断りします』と言われました。ただ、彼にはもともとお父さんがいません。親戚付き合いや近所付き合いもほとんどないと聞いています。

 これまでの彼にはお母さんがすべてでした。これまでがんばってこれたのも、お母さんの存在があったからに他なりません。彼は医学界を背負って立つ人間です。こんなところで潰れてもらっては困ります。深見くん、村上くんの力になってあげてください。彼を支えてあげてください」


 十文字先生の言葉が心に響いた。

 私が行ったからといって、村上の力になれるとは限らない。しかし、一秒でも早く行くべきだと思った。

 なぜなら、村上は私の大切な友達だから。



 つづく

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