第31話 箱根デイドリーム


 私たちを乗せたロマンスカーは、定刻通り小田原駅に到着した。


 新宿駅を出発してから一時間十分。その時間を使って、かをりに小説「UNO」のプロットを見てもらった。

 結果は、アドバイスをいくつかもらったもののダメ出しらしいダメ出しはなかった。ただ、「三分の一書いたところでもう一度見せて欲しい」といった、予想外の話があった。

 良くも悪くも取れる言葉ではあるが、箸にも棒にも掛からないのであれば、即座に手厳しい言葉が飛んできたはずだ。ここは良い方にとっておきたい。

 かをりには言っていないが、を聞いた瞬間、編集担当がついたような気分になった。それがトワイライトの現役編集者なのだから、うれしくないわけがない。

 作品のデキが私の将来を大きく左右するだけ、かをりの存在はとても心強くありがたいものだ。


 長い笛の音が止んでドアが閉まる。ロマンスカーがゆっくりと動き出す。次は終点の箱根湯元駅。そこから箱根登山鉄道に乗り変えて四十分ほど行ったところが今夜の宿。到着は四時三十分頃を予定している。

 

 新宿駅でも車内には空席が目立っていたが、小田原駅を発車すると私たちの車両は私とかをりの貸し切りとなった。


「かをり、十文字先生のことどう思った?」


 私の唐突とも言える質問に、かをりは穏やかな表情を浮かべる。


「すごくいい感じだったよ。偉いお医者さんなのに全然偉ぶらないし、患者と同じ目線で丁寧に説明してくれたのがすごく好感が持てた。温厚そうな方だけれど、話を聞いていると医療に対する熱い思いが伝わってきて『この人なら信頼できる』って感じがしたよ。あんな先生がいるなら、もっと早く相談してもよかったな」


 かをりが十文字先生に抱いた印象は私と同じようなものだった。

 二十年間、医師として経験を積み重ねてきた私が、その言葉に感銘を受けるような人なのだから信頼できないわけがない。来週の検査も期待が持てそうだ。


「でもさ、十文字先生が変な人であたしがガッカリして落ち込んじゃうことは考えていなかったの? 旅行が重い雰囲気になったらやり切れなかったでしょ?」


「大丈夫。最近のかをりからは『がんばろう』っていう気持ちが滲み出てたから。何があっても前向きにがんばってくれると思った。

 それに、かをりは箱根なんか仕事で何度も行っているから珍しくもないだろうが、プライベートで行くのはまた違うと思ったんだ。のんびりすれば気分も良くなって治療も良い方向に進むんじゃないかって。箱根に行くことはプラスにはなってもマイナスにはならない。そう確信したんだ」


 誰もいないのをいいことに、ついつい声が大きくなる。


「ありがとう。実はね、電話で箱根行きの話が出たとき、深見くんの気持ちがすごくうれしかったんだ。あのときはちょっと感情的になっちゃったけれど……ごめんね。私、弱い女で」


「そ、そんなことない! 私だって弱いところだらけだ。どんな人間だって足りないところはあるし、精神状態によっては自分ではどうにもならないことだってある。そんなときは誰かに頼ってもいい。思い切り甘えていい。かをりの力になれたら、私はうれしいよ」


 自分でも力が入っているのがわかった。まるで選挙の応援演説みたいで、言った後に恥ずかしくなった。とは言いながら、私の偽りのない気持ちだった。

 かをりは私の左肩にもたれて、うつむき加減に「うん、うん」と頷いている。


「ねぇ、深見くん?」


「なに?」 


「深見くんは……彼女いないの?」


 ものすごい質問に目が点になった。

 現実世界でもSJWでも私には「彼女」と呼べる人はいない。

 プライベートな話ができる女性は、家族を除けば、かをりだけだ。

 とは言いながら、かをりとは付き合っているわけではない。「病気が治るまでそばにいる」とは言ったが、あくまで「友達としてサポートする」という意味だ。

 それに、こんな確信を突くような質問がサラリと出たのは、かをりも私のことを友達だと思っているからに違いない。


「そんなのいない。もしいたら二人で箱根なんか行かないよ。あらぬ誤解を招くから」


「そう……いないんだ」


 かをりはポツリと呟くと、私の左腕に両腕を絡ませてきた。


「かをり?」


 かをりの両腕にグッと力が入る。うつむいたまま私の左腕を自分の方に強く引き寄せる。


「何してるんだ? そんなに引っ張ったら手が抜けちゃうよ」

 

「これぐらい……かな?」


 私の言葉を無視するかのように、かをりは独り言のように呟く。


「かをり、キミが何を言っているのかわからない。それに、さっきからどうして下を向いて――」


 かをりは顔を上げた。距離が近い。息がかかるくらいのところに顔がある。大きな瞳が何かを訴えかけるようにユラユラと揺れている。


「スキ」


 微かに短い言葉が聞こえた。私たちのまわりだけ時間の流れが遅くなっている。

 かをりの瞳がゆっくりと閉じていく。それにつれて、二人の距離がさらに縮まっていく。

 かをりの唇が私の口をふさいだ。とても柔らかくとても熱い。目を閉じた瞬間、甘美な香りが私の身体を包み込んだ。


 しかし、心地良い感触は長くは続かなかった。

 ゆっくり目を開けると、かをりは窓の方へ身体を向けて景色を眺めている。

 車内のアナウンスが直に箱根湯本駅へ到着することを告げる。


『夢……だったのか?』


 私は目を細めて心の中で呟いた。SJWでは夢を見ないことはわかっている。ただ、起きたまま見る夢――白昼夢は見るのかもしれない。


 ロマンスカーはスピードを落としながら駅のホームへと入っていく。

 大きな赤い文字で「ようこそ箱根湯本へ」と書かれた横断幕がたなびく。

 

 不意にかをりが私の方へ顔を向ける。うれしそうな表情が見てとれる。


「夢じゃないよね? 深見くん」

 


 つづく

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