第28話 嫌悪感

「結局、私はどうすればいいの」

 ラーメンを食べつつ、立花さんは半ばやけくそという雰囲気を醸し出していた。

「できるなら、高校のときの制服を貸してほしい」

「高いよ?」

 笑うというよりも、歪んだ笑みというのが的確な表現だろう。それはまるで、得体の知れない小悪魔のような表情だった。なんにせよ、ある程度の要求は受け入れるつもりでいたため、すでに覚悟は決まっていた。

「冗談よ。そんな顔しないで」

「なにかでお返しはするよ」

 そう言うと、彼女は何かを思いついたかのようにこう続けた。

「それなら、文化祭終わりにお願いをするわ」

 そう言い残し、彼女は席を立った。

 対して俺は、彼女からの謎の提案を受け、あっけにとられていた。ちなみに、目の前のラーメンがのびきっているのに気づいたのは、しばらく後のことだった。


 次の日になった。講義が終わると同時に、俺は立花さんが準備してくれた制服入りの紙袋を持ってサークルの拠点があるQ棟へと向かっていた。

 なぜかは分からないが、竹原さんが今回の写真撮影の総合演出および監督に任命されていた。任命したのは、当然ながら今村だった。勝手に決めたことに対して指摘しようかと思ったものの、このあいだの飲み会でそんな話をしたような気がしていた。そのため、あえてここは無視をすることにした。

「中津くん、やっと来たね」

 部室の中にいたのは、竹原さん一人だけだった。しかし、入ると同時に違和感を覚えた。部室に入ったあとに覚えた違和感の正体が、一体何なのか。その答えは、すぐには見つけられなかった。

 その数秒後、俺は気づいてしまった。部室の中に、ハンガーラックが増えていたのだ。そこには、何着かの服がかけられていた。

「もしかして、待たせてた?」

「そのまさかだよ」

 持ってきた紙袋の中からセーラー服を取り出すと、彼女は頷きながら俺のほうを見ていた。気味が悪いと思いながらも、それを口に出すのはやめておくことにした。そんな俺の失礼な考えを断ち切るかのように、彼女はあまりに突拍子のないことを言い始めた。

「えっと、中津くんは女子高生役に決まりね」

 きっと思考が停止するというのは、そのときの俺の状態そのものを指す言葉なのだろう。


 被服室の中でセーラー服に着替え終わった俺は、その恥ずかしい姿を今村に見られていた。一体なんなんだこの状況は、と思いつつも抵抗すると余計な誤解を生みそうなので、多くは語らないことにした。

「人前でこんな格好をするなんて……」

「お前は似合いすぎて、予想していたよりは面白くないな」

 人のことを、単純に面白いかどうかで判断してほしくはないものである。

「着替え終わった?」

「終わったよ。もう脱いでもいいかな」

「だめよ。何言ってるの」

 さっそく着替えてみようということになり、俺は被服室でセーラー服を着ていた。自分でも何が起きているのかの整理がいまいちついていなかったが、とりあえず言われるがままになってしまっていることは確かだった。

 だが、はっきりと一点だけ気に食わないことがあった。それは、俺一人だけが女装をしているということだった。

「竹原さん、なんで俺だけ女装してるの?」

「文化祭当日に、売り子をしてもらうからよ」

 日本語がつながっていないと感じたのは、きっと俺だけではないと信じたかった。

「慣れておいたほうが、当日の問題が減ると思うの」

「そういう問題じゃなくてね……」

 スカートは空気の通り具合がとてもいいため、かなり苦手だった。

 女子高生として約一年間を過ごしたが、最後の最後まで慣れることができなかったのは、スカートを履いた際の独特な感覚だった。

 羽衣が俺のことを女装させていたときに、俺は意識してスカートを避けていた。もちろん、半ば強制的に履かされていたのだが。

「そもそも、今日はまだ文化祭前日でもないだろう? 着る必要性はないと思うのだけれど」

「準備することも、大切なことなのよ」

「いや、でも俺以外に一人もコスプレをしていないのはおかしいだろう」

「してるよ。もう一人、そこにいるじゃない」

 すっかり饒舌になった竹原さんが、指先をそろえて被服室の入り口付近をさしていた。そこには学生服を着た、あかねが立っていた。

 その似合い具合に、言葉にならないため息がこぼれた。違和感がないどころか、その服を完全に着こなしていたのである。

「なあ、沙希。おかしいところはないか?」

「いや、そんなことないよ。むしろ、かなり似合ってるよ」

 俺がそう返すと、普段はあまり表情を変えないあかねが、いつもとは違う自然な笑みを浮かべているように見えた。

 男物の制服を着ることができるというのは、そんなに嬉しいことなのだろうか。もしそうならば、一体どれだけのあいだ、それを待ち望んでいたのだろう。こうして考えていても、当然ながら俺はあかねではない。だからこそ、結論がでないことは分かっていた。だが、考えずにはいられなかった。

「じゃあ、私はほかに見てこないといけないところがあるから、先にQ棟に戻ってるね。あと、荷物運びがあるから、稲穂くんを借りていくね」

「分かった。ありがとう」

 嵐のように、竹原さんは去っていった。文化祭企画が始める前の様子を思い出せなくなるくらいには、彼女は劇的に変化していた。それが、はたして良いことなのか悪いことなのかは分からなかった。


 二人が部屋から出ていき、中にいるのは今村と俺だけになっていた。

「しかし、似合ってるといえば、沙希のセーラー服姿もなかなかだよな」

「そうか? 俺にとっては違和感しかないぞ」


「なんでこんな格好しないといけないんだよ」

 そう言うと、薄気味悪い表情を浮かべて、今村はこんなことを口にした。

「そんなこといって、お前かなり慣れた手つきで着てたよな」

 彼はなにを思ったのか、俺が着ていたセーラー服の袖を指先でつまんでいた。その行為に一体どんな意味があるのかは、分からなかった。

「やめろよ」

「…怒ったか?」

 きっとからかわれているだけなのだ、ということにすることで、心の平穏を保った。そして、俺は深いため息をついた。今村が俺の気持ちを察したのか、申し訳なさそうな顔で謝罪をした。

「悪かったよ。ごめん」

「分かればいい」

 今村との付き合いも、そろそろ一年近くになる。人生の中での一年間というと、かなり短いように思うかもしれない。だが、それ以上に内容の濃い時間を共に過ごした仲間だった。それゆえに、最近彼との距離の取り方が分からなくなっていた。


 一つだけ自分の心に誓ったのは、女体化現象を今村には絶対に教えないということだった。

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