第16話 自問自答

 俺は戸惑っていた。自分の気持ちがどこにあるのか、分からなかった。

 紗那が好きな相手は、あろうことか俺だった。


 他人から好かれるということに、どんな意味があるのかを俺は知らなかった。女子高生という箱の中に入り、日々の生活を送っているけれど、あくまでも俺は男だ。女としての生活は、まだ一年生なのである。

 キャラクターという言葉がある。辞書で調べてみると、人格や性格という意味だった。俺のキャラクターはなんだろうと考えたときに浮かんだのは、理解できない人だった。あるいは、近寄りにくい人だろうか。ほんの少し前までは男子高校生の箱に入っていた人が、突然女子高生の箱に入って登場した。どう考えても、理解しようとするほうが難しい。

 ならば、客観的に見たときにはどう映るのだろう。

 告白されたときに一番初めに浮かんだ疑問は、紗那が俺をどう見ているのかということだった。女体化したとはいえ、中身は男であることには変わりがなかった。体の変化と心の変化が追い付かずに、取り残された。言うなれば、心と体がすれ違っているのだ。今でも自分のことを、女装した男子高校生だという捉え方をしている。ただ、女子高生の箱に入っているだけなのである。

「俺って、気持ち悪いな……」


 制服に着替えるのにもだいぶと慣れてきた、六月の中頃。そのときの俺は、紗那への気持ちをはっきりさせることができず、未だに明確な返事を出せていなかった。

 自分だけの問題ではないからこそ、先送りにすることへの罪悪感と申し訳なさがあった。だが、そんなことを考えているあたり、俺は自分が傷つきたくないだけなのだろうと思った。

「沙希、おはよう」

「おはよう、紗那。今日は早いね」

 特別な用事でもない限り、紗那は登校するのが遅かった。朝礼が始まるまでの時間は、由果と二人で話すことが多かった。そうしていると、紗那が途中で参加してくるのが日常の風景だった。

「なんかね、昨日の夜眠れなかったんだよね。それで、いつもより早く家を出たんだ」

 紗那らしからぬ発言に、俺は耳を疑った。二度寝の常習犯である紗那が眠れなかったという言葉を口にするのは、彼女のキャラクターに合っていなかった。だからといって、それ以上の追及は避けたほうがいいと思った。こういうときの勘はよく当たると七海が言っていたからだ。


 一つだけ、引っ掛かっていることがあった。それは、あの日の紗那の言動についてだった。あのときに、はっきりと「好きかもしれない」といっていた。その気持ちが確定している、ということではないのだろうか。俺は動揺してしまい、そのことに気づく余裕はなかった。だが、彼女がはっきりとそういっていたことは覚えていた。

 もしかすると、彼女に遊ばれていただけなのだろうか。それならば、そうだといってほしかった。こうして頭の中が整理できない状態に陥ることが、少なくなるからだ。


 すっかり自分の中の世界に入り込んでしまっていたのか、紗那の顔がすぐ隣にあることに、全く気がついていなかった。

「ねえ、沙希」

 紗那と目が合った。彼女の綺麗な茶色の瞳に、吸い込まれるような感覚に襲われた。このまま近づいていけば、彼女との距離は限りなくゼロになる。そうなると、何が変わるのだろう。心と体の距離に、関係性はあるのだろうか。

「ちゃんとあたしの話聞いてた? 顔が上の空だったよ」

「ごめん。ちょっと考え事をしてた」

 仕方ないと言わんばかりの顔で、紗那は再び口を開いた。

「放課後、一緒に寄り道していこうよ」

 できればこうして二人きりになることも、避けたかった。ここ数日のあいだ、由果を巻き込むことで、三人の時間を常に設けていた。そうすれば、寿橋での一件は先延ばしにできたからだ。

 しかし、あれは告白されたといえるのだろうか……。


 高校生としての仕事を完全に放棄していた。授業に集中できるわけがなかったからだ。放課後に、紗那がはっきりと告白してこない可能性は、ゼロに等しかった。おそらく、彼女自身もどうすればいいのかが、分からなくなっているのではないだろうか。それとも、感情の行く先が決まったのだろうか。疑問は尽きることがなさそうだけれど、俺は紗那ではない。彼女の気持ちは、彼女にしか分からない。これは至極当然のことではあるけれど、かなり重要なことだ。


 結局、俺自身ができることは、彼女に対してどういう感情を抱いているのかを整理することだった。このまま彼女の気持ちを考えていても、終わりが見えそうになかったからだ。思考を整理することで、新たな視点の獲得を望んでいた。彼女に対する気持ちが何なのかをはっきりさせることこそが、一番の近道だという確信があった。


『俺と紗那の関係性は何か』

 女友達だろう。紗那から見ると、男友達なのかもしれない。俺が女子高生としての生活を始めてから、初めてできた友達だ。それ以上でも、それ以下でもなかった。

『友達以上の関係を望んでいるか』

 もし付き合ってくださいと言われれば、俺は素直に従うだろう。なぜなら、断る理由がないからである。しかし、それが本当に望ましい流れなのかは分からない。最適と最善が、常に同じ方向に向いているとは限らないのである。そもそも、さらに根本的な問題がまだ残っていた。

『俺は紗那にどういう認識をされたいのか』

 今まで、女の子しか好きになることがなかった。男に対して恋愛感情を持ったことは、これまで一度もない。俺自身は自分のことを男だと思っているものの、周りから見れば女だった。見た目と心に齟齬があるけれど、女子高生という箱に収まっている限り、解決できない問題であることは確かだった。

 結局のところ、彼女から見たときに俺が恋人として認識されるのであれば、それで構わなかった。俺が、男か女かというのは恋愛において、それほどまでに重要なことだろうか。重要でないとは言えないけれど、そこに時間を割いて悩むことは不毛に思えた。

『傍から見れば女同士の付き合いだが、それでいいのか』

 それでいい。

 女体化以前の俺に聞くと、まるで反対の答えが返ってくるだろう。そもそも、自分に関係のない世界の話だと言い張って、耳を傾けないかもしれない。だが、これははたして真に女同士の恋愛だといえるのだろうか。一言で解決するには難しい問題なのかもしれない。

『これは羽衣への裏切りではないのか』

 これに対しての答えは、すでにあった。羽衣が隣で話を聞いてくれていれば、きっとこういうだろう。早く前を向きなさい、と。記憶というのは、ずっと残っていくものだ。嫌な記憶や思い出したくない記憶を、意図的に忘れることはできない。それらを受け入れることができたときに、人間というのは次に進むことができる。これは、羽衣から聞いた話の中ででてきたことだった。有名な話だとその当時に聞いたけれど、そのときには何も思わなかった。しかし、今になってようやくその話の意味を理解できたような気がした。いくら話だけを聞いていても、当事者にならなければ分からないことはたくさんある。これも、その中に含まれていることなのだろう。

『俺は紗那のことが好きなのか』

 これについては、まだ答えを出せていなかった。答えを出すのを、俺は渋っているのかもしれない。そうすれば、現実から目を背けることができるからだ。しかし、いつまでも逃げているわけにはいかない。今日の放課後に、紗那へ気持ちを伝えなければいけない。それをしないということは、自分への裏切りにつながるだろう。


 放課後になった。普段から授業をあまり真剣に聞いていないにもかかわらず、今日はいつも以上に聞いていなかった。あとで、七海にノートを見せてもらわないといけないなと思った。

「由果、ごめん今日は先に帰ってて?」

 由果はこの後のことを聞いていなかったのか、少し不思議そうな目をして教室をあとにした。

「なんか、邪魔者扱いしたみたいで申し訳ないね」

 言葉と表情が合っていないというのは、きっと今の紗那のことをいうのだろう。彼女の頬は、薄い紅色がかかっていた。

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