第30話 夜の大学にて

 扉を開けた先にいたのは、見覚えのある姿だった。

「あれ、どうしたのこんな時間に」

 それはこっちの台詞だという言葉を喉元にしまって、俺は今の状況を整理するところから始めることにした。

「なんであかねがここにいるんだ」

 目の前にいるセーラー服を着ている短髪の少女は、何を隠そうあかねだった。あまりにも自然なたたずまいに、女子高生が迷い込んだのかと一瞬考えた。だが、そんなことはなかった。

 ここで、疑問が浮かび上がってきた。なぜ、あかねがセーラー服を着ているのかということだった。あかねにとって、それを着ることは何よりも避けたいことの一つであるはずだ。しかし、まるでこの状況を受け入れているかのように、あかねは俺のほうを向いていた。

「でも、入ってきたのが沙希でよかった。俺のことを知っている相手じゃないと、こんな格好は見せられないよ」

「いや、少しは恥ずかしがってくれよ。こっちが恥ずかしくなってくる」

 あかねは、この姿を誰かに見てほしかったのだろうか。きっと、そういうことではないはずだ。なぜなら、これからも男として接してほしいと、例の事件の際に言われたからだ。ならば、どうしてこんなに堂々としていられるのだろう。

 冷静に考えて、今の状態はかなり異質だ。けれども、その素振りをあかねは見せてくれない。

「似合ってるか…?」

「似合ってるよ。女子高生役を交代したいくらいにはね」

 ああ、そうか。考えてみれば、単純なことだった。あかねは、女装という状態を楽しんでいるのだ。女装をするという行為は、男にしかできない。ある意味、最も男らしい行為ともいえる。

 なんて楽観的な思考ができるほど、俺は人間ができていない。あかねが女だということを、目の前で見せつけられているだけなのだ。胸はつぶしているし、声も低めだ。しかし、いくら誤魔化しても、あかねの体は女なのだ。

 それは変わりようのない事実であり、あかねにとっては諸悪の根源でもある。

「どうせするなら、本気でしたほうが格好良いだろう」

 あかねには、俺がこんなことを考えているなんて、想像もつかないだろう。なぜなら、約束したのだ。友達であり続けるために、あかねの体の秘密は共有するが、忘れるということを。

「それもそうだな」

 信頼してくれているということが、俺は嬉しかった。しかし、それゆえに苦しくもあった。境遇は違えど、あかねに嘘をつき続けているという事実は、変わらないのである。


 女装趣味はないと言いつつも、あかねは今の自身の状況を楽しんでいるようだった。おそらく、そういった非日常の空間を楽しむことはできるのかもしれない。だが、それはあくまでも非日常であるから、受け入れることができるのだろう。

 元の体が女であるからか、セーラー服は嫌味なほどに似合っていた。


 少し経ったあと、あかねは思いもよらぬ提案を始めた。

「もう一回、これ着てみてよ」

 そう言いながら、あかねは自分の着ていたセーラー服の袖をつまんでいた。

「なんで一日に二回も、女装をしないといけないんだよ」

 はっきり言って、俺はあかねの言動が理解できなかった。女装させるメリットは、一体どこにあるのだろう。もちろん、それを言い始めると、あかねが女装をしている意味も理解できなくなるので、考えないことにした。

「別にいいだろ? 今のうちに、着こなせるようになっておいたほうがいいよ」

 あまりの押しに負けた俺は、渋々その提案を受け入れることにした。目の前で着替えるのは恥ずかしいと思い、被服室の奥へと隠れた。


「着替えてきたぞ。これで満足か」

 俺は内心、どうにでもなれと思っていた。二人きりの環境下でセーラー服になるのと、昼間のように大人数の中にセーラー服で埋もれるのは、似たようで全く違う意味なのである。

「満足ってどういう意味だ?」

 あかねはあろうことか、真顔でそう答えた。いや、セーラー服を着てみてと言ったのは、誰でもないあかねなのだが。

「いや、特に意味はない」

「そういえば、なんでわざわざ奥で着替えてきたんだ」

 不思議そうに尋ねてくる姿に、俺はあっけにとられていた。もしかすると、あかねに対する気づかいは、感じてもらえていないのだろうか。もしそうならば、少し寂しかった。

「特に意味はないよ。それとも、男の着替えを見る趣味でもあるのか」

 そう言いながら、あかねのほうを向いて薄く微笑んだ。その意図に気づいたのか、少しだけ歪んだ笑みを返された。

 こうすれば、質問の内容について答えなくても、お茶を濁すことができると思ったのである。

「そんなわけないだろ。俺が見たいのは、どちらかといえば女の子の着替えだよ」

 興奮気味になりながら、あかねはそう返してきた。それを見ていた俺は、女であるあかねに着替える所を見られるのが嫌だったからだとは、口が裂けても言えないなと思った。

「ちょっと、こっちに来て」

 まじまじと見られるのが嫌だったので、あかねとは少し離れた距離に立っていた。しかし、そのことがあまり気にくわなかったのか、手招きをされてしまった。

「どうしたの」

 まるでやれやれと言いたげな目で、あかねは俺のほうを見ていた。何か、機嫌を損ねるようなことをした覚えはないのだが。

 あかねの目の前まで行くと、忘れていたことを思い出した。こうして面と向き合って立つ機会は、学生寮に初めて来たとき以来かもしれない。並んでみると分かるが、あかねは意外と背が高い。俺とほぼ変わらないのだ。

「とりあえず、ここに座って」

 そう言いつつ、あかねはパイプ椅子を用意した。つまりは、そこに座れという意味だろう。普段は見ることがないあかねの強引さに、俺は少し戸惑いを感じていた。

「座るだけでいいのか?」

「沙希はそれでいいよ。セーラー服の着方が気になって、仕方がなかったんだよ。実は、昼間のときからずっと気になってた」

 会話をしながらも、あかねはてきぱきとセーラー服のスカーフを直していた。

「仕方がないだろう。高校のときは、制服がブレザーだったし」

「それとこれに、どういう関係があるんだ」

 話し終わった後に気づいたが、俺が元女子高生として過ごしていたということを、あかねは知らないのだ。そういった疑問が生じるのも、至極当然のことといえる。

「沙希の体型って、女みたいだからな。そりゃ女装映えもするよ」

「前もっていっておくが、そういう趣味はないからな」

 あかねは手際よく、セーラー服を整えていった。整えるために、ずっと首元にあった腕がようやくなくなったので、俺は後ろを振り向いた。そうすると、すぐ近くにあかねの顔があった。

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