第37話 好きだからこそ

 早坂先生。俺の母校の桜ヶ丘高校で、養護教諭をしている。


 俺がまだ高校2年生のときに、突然女体化現象が起きてしまった。その際に、とても親身になって、いろいろな相談に乗ってくれた、数少ない1人である。

 もちろん、担任教師であった芹澤先生にも相談をしたことはあるが、深い部分の話はどうしてもできなかった。

 それでも、おそらく早坂先生と芹澤先生のあいだでは、情報の共有がされていたと思うけれど。


 早坂先生は、こう続けた。

『年末年始は、こっちに帰ってくるの?』

 これを聞いて、俺ははっとした。なにかというと、それは1年前の話にさかのぼる。

 去年はいろいろとあり、結局森本へは帰らなかったのである。それゆえに、七海とはもう2年近く会えていない。高校の、特に俺が3年生のときは毎日顔を合わせて、毎日なにかしらの話をしていたので、寂しくはあった。

 数か月に1回程度、電話で連絡を取ることはあったが、本当にそれだけだった。しかしながら、電話での七海の様子はいつも同じで、家に帰ってくるように言ってくることもなかった。

「そうですね。一応、帰るつもりです」

 電話口から相槌あいづちを打つような声が聞こえ、早坂先生はこう続けた。

『それなら、そのときに会って話せないかな』

「はい。いいですよ」

 早坂先生から、会って話したいという提案をされるのは、初めてだった。そもそも、こうして電話で話すことも、大学に進学してからは初めてなのだけれど。

 わざわざ遠くにいる相手に、電話で相談するようなことが起きていなかった、と考えれば、いいことではあると思う。

『うん。ほかにも、いろいろと気になってることがあるし』

 つい先ほどまで落ちていたトーンは、いつのまにか元に戻っていた。それどころか、少し明るくなったような気がした。

「28日に帰る予定なんですけど、その日でも大丈夫ですか?」

 もしかすると、先生方の冬休み期間と被るのではないか、と心配になった俺は、無意識的にそう聞いてしまった。

『それなら大丈夫。先生は、28日まで仕事なのよ』

 世間をまだよく知らない俺には、それが遅いのか早いのかが分からなかった。

「そうなんですね。では、28日に学校に向かえば大丈夫ですか?」

『うん。お昼くらいにしてくれると、お姉さん助かる』

 自分でお姉さんって言っちゃう先生って……。

 変なところにありそうな地雷を踏まないように、俺は特にそのことに対して触れないことにした。早坂先生は、時々こういった変なことを言い始めるので、少し厄介なのだ。かわいげがあるといえばある。けれど、早坂先生にはそれを求めていないので、ただただ反応に困るだけなのだ。

「時間はいつでもいいですか?」

『そうだね。もう部活動も終わってるだろうし、いつでもいらっしゃい』

「はい。それでは、また28日に。わざわざありがとうございました」

『いえいえ。それじゃね』

 先生の声が途切れると同時に、電話が切れる音がした。


 おつりを取って食堂の中へ戻ると、あかねが暇そうな顔でテレビを見ているのが見えた。食堂に入ってきたときよりも、人数が減っていたので、あかねの姿が丸見えになっていた。

 あかねの反対側に立って、椅子を引いて座ってみたものの、まったく俺のことに気づかなかったので、とりあえず声をかけてみることにした。

「あかね、待っててくれたんだ」

 すると、なぜかあかねは横になっていた体をびくっと震わせて、こちらのほうに目線を合わせてきた。

「急に話しかけるなよ。びっくりしたじゃねえか」

 一瞬大きく見開いていた目は、次第に細くなっていき、俺のことをにらむような状態になっていた。

 椅子を動かす音がかなり食堂に響いていたはずなのだが、あかねはそれに気がつかなかったようだ。ぼうっとしていたのか、テレビに夢中だったのか。

「ごめん、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけどね」

 よく見てみると、あかねの耳は真っ赤になっていた。それを見て俺は、あかねが冗談ではなく本当に驚いたんだなということを知った。そこまで驚かせてしまったということに申し訳なさを感じていたが、同時に意外とかわいいところがあるんだな、と思っていた。

「結構、長電話だったな」

 少しため息をついたあとに、あかねはそう言った。その言い方から察するに、あかねは俺のことを待っててくれていたようだ。そのことが嬉しく感じてしまい、俺は思わず口元が緩んでしまった。

「まあね。話が弾んじゃってね」

 その相手が高校のときの保健室の先生だとは、言わなかった。隠す必要はなかったが、こちらから話すようなことでもないと思ったのだ。下手にこちらからいうと、妙な誤解を生みかねない。

「沙希、もしかして、本当に彼女でもできたのか?」

 そう言いながら、あかねはきょとんとした表情をしていた。心ここにあらずといった雰囲気である。

「なんの話だ」

 まったくもって辻褄が合わないような話をされて、俺は戸惑っていた。俺の口から、いつそんなことを言われるような発言をしたんだ。

「なにって…長電話で話が弾んでたってことは、よっぽど仲がいい相手だってことじゃないのか?」

 妙に意味深めいた発言をするあかねの意図するところが、俺には分からなかった。そんなに電話の相手が気になるなら、はっきりそう言ってくれればいいのに。

「そんなんじゃないよ。そもそも、彼女は高校を卒業してから、いたこともない」

 特に隠すような話でもないので、包み隠さず恋人事情を話した。

「そうなのか。なんか意外だな、沙希って女にモテそうな見た目してるから、てっきりできたのかと思ったよ」

 あかねがテレビを横目に見ながら、そんなことを言った。


 俺はそれを聞いて、思わず顔を伏せてしまった。

 まさか、好きな人から『完全に自分は対象外だけど、恋人がいてもおかしくないよね』と遠回しに言われるのが、こんなにつらいとは思わなかったのだ。

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