第五章 溶けゆく季節
第36話 明かされる真実
クリスマスが終わった翌日、12月26日。
夜が明けても、あかねは自分が涙目になりながら話をしていたことには、触れなかった。おそらく、あんな機会はもう訪れないと思う。このまま、俺とあかねの記憶の中にとどまり続けるのだ。
お腹はすいていたものの、昼ごはんを食べるには大学の食堂に行くか、弁当を買ってくるしかない。そうなると、選択肢は限られていた。
「沙希はどの定食にするんだ?」
食堂のメニュー表を見ながら話しかけてくるあかね。とてもじゃないが、昨日のあかねとは同一人物だと思えなかった。
「いつものB定食にするよ」
「相変わらずのラーメン好きだな」
そういいながら、あかねは野菜炒め定食を頼んでいた。食堂の日替わりメニューである。
ちなみに、俺はよほどのことがない限り、昼はラーメンを食べるのが日課となりつつあった。
通常授業は実施していないためか、食堂の中は空席が目立っていた。授業がある日は、こんなに簡単には座れるはずがないのだ。どちらかというと、定食が売り切れることよりも、食事をするための席が確保できるかどうかが問題なのである。
食べるための席がなければ、実質食堂の定食を食べる権利が失われるからだ。
「久々かもな、こんなに静かな昼飯食べれるの」
あかねは満足そうにご飯をほおばっていた。よくそんなに豪快にご飯を口に運べるなあと思いながら、俺は静かにラーメンをすすっていた。
『それでは次のニュースです。先日、医学的にも大きな発見となるのではないか、という期待の寄せられている、ある研究結果が公表されました』
それは、食堂に設置されているテレビの音だった。なんとなしに見ていると、とんでもない文字が目に入ってきた。
『今月23日、日本医師学会がある研究論文を発表しました。そのタイトルは……』
――
その文字を見た瞬間、俺はある予想がついてしまった。これは俺自身に関係することなのではないか、と。
『日本医師学会の大垣会長によると、国内で実際に確認されている数は非常に少ないものの、いわゆる性別転換が自然に発生する症例が年間に約2件から3件報告されていることが明らかとなりました』
もし、今流れているテレビの情報を信じるならば、とんでもないことが放送されているのは明らかだった。
これまでも『
しかし、テレビで流れているのはそういうことではなかった。
「なあ、沙希」
いつのまにか箸を動かす手を止めて、じっとテレビを見ていたあかね。その異質さに、俺は上手く言葉が出せなかった。
「ん、どうした?」
「これって、成長期あたりで性別が変わるって意味だよな」
「そうだよね。俺もそういう意味にしか聞こえなかった」
そう返したあと、自分の
俺は定食を食べ終えると、すぐに立ち上がった。じっとしてはいられなかったのである。
「ごめん、ちょっと電話かけてくる」
なぜか急に焦り始めたことに驚いたのか、あかねはあっけにとられていた。
「なんだ急に。彼女でもできたのか?」
「まあ、そんなところ。10円玉あるか?」
茶化すような質問に対してまともな返事をせずに、俺はあかねに10円玉を要求した。財布の中身を確認したところ、100円玉しか入っていなかったのである。これでは、おつりが返ってこない。
念のためにいっておくが、きちんと俺は100円玉をあかねの目の前に提示している。決して、奪い取ろうとしているわけではない。
「は、え? 10円玉?」
「うん。10円玉、10枚と交換してくれない?」
あまりに急いでいる俺を見て、これは只事ではないと察したのか、あかねはすぐに俺の手のひらに10円玉の塊を置いた。
「ありがと」
受け取ったあとは、小走りで公衆電話へと向かった。
食堂の入口付近にある公衆電話から、俺はあるところに電話をかけようとしていた。
「えっと、早坂先生いるかな……」
電話帳を取り出して、桜ヶ丘高校の名前を探した。多少は不安があったものの、電話をかけないとなにも始まらないと思い、俺は受話器をあげてボタンを押した。
『はい、桜ヶ丘高校でございます』
電話口からは、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「元生徒の中津です。もしかして、
『そうだよ。久しぶりだね、中津』
緊張していたのか、芹澤先生の声を聞いていると自然に口元が緩んでいるのが分かった。馴染み深い先生でよかった。
『どうしたの。なにか用事?』
「実は、
『いるね。ちょうど隣に』
「本当ですか」
タイミングがよかったのか、芹澤先生は早坂先生と話をしていたらしい。
『代わろうか?』
「そうしていただけると、ありがたいです」
そう伝えると、芹澤先生の声は遠ざかって、代わりに早坂先生の声が近づいてきた。
『もしもし、代わりました早坂です。中津さん、お久しぶりね』
「早坂先生、お久しぶりです。高校に通っていたときは、本当にお世話になりました」
女体化現象が起きてからしばらくのあいだ、俺は保健室登校をしていた。いろいろあったけれど、一番近くで支えてくれたのは、間違いなく早坂先生だった。あのとき先生がいなかったら、俺はいったいどうなっていたのだろう。
あまり想像したくはなかった。
『いいのよ。まさか、そんなことを言うために電話したんじゃないよね』
「もちろんです。実は、早坂先生に相談したいことがあるんです」
少しだけ、この話を切り出してもいいのか迷っていたが、こんな話をできる相手は早坂先生くらいしか思い当たらなかった。強いていうなら、あかねくらいだろうか。
『どうしたの?』
気持ちが伝わってしまったのか、早坂先生の声のトーンが1つ下がったような気がした。
「さっき、テレビでニュースを見てたんです。そこで性別転換がどうのってアナウンサーの人が言ってたんですけど、先生なにか知ってますか?」
焦る気持ちが先行してしまい、言葉はまとまっていないまま話し始めてしまった。おかげで、自分でもなにを話しているのかが分からなかった。
不十分ながらも、聞きたいことは伝わったのか、早坂先生はこう返してきた。
『知ってはいるよ。それがなんなのか。でも、電話ではあんまり言えないような情報なんだよね』
予想通りというかなんというか、やはり早坂先生は知っていた。
はたして、どこまで知っているのだろうか。
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