第33話 わかってはいるけれど
俺とあかねの仲がいいかどうかなんて、考えても何も改善するわけじゃないんだけどな。
そう思いつつも、今までこんな簡単なことに気がつかなかった自分に、少し嫌気がさしていた。
「そこまで言うなら、今度貸してよ。時間空けて、読んでみるから」
それならば、現状を受け入れよう。あかねのことを知る、本当の意味での第一歩として、まず好きな本を読むことから始めることにした。
「興味湧いたのか」
そう言いながら、あかねは自分の部屋にある書棚から、3冊の文庫本を持ってきた。
「なら、今貸すよ。もう読み終わってるシリーズだから、返すのはいつでもいい」
「ありがとう」
表紙を見ると、『ボーダーライン』というタイトルだった。これは確か、何年か前にドラマ化されている作品で、少し複雑な恋愛作品だったはずだ。普段は本を読まない俺でも知っている作品なので、かなり有名なんだろう。
上中下巻の3冊を読み切るのは、一体いつになるのだろうか。嫌にならないように、毎日少しずつ読み進めていくことにした。
「そういえば、あかねって今月の25日、何か予定入ってる?」
唐突に話題を変えてしまったことで、自分がいかに緊張しているのかが、明らかになった。無意識的な行動には、深層心理が反映されるというけれど、本当にその通りだと思う。
「25日……」
俺が日付を指定したのに違和感を覚えたのか、あかねはその日がなんであるかを考えているようだった。
「特に今のところは予定ないけど、どうかした?」
何も思いつかなかったのか、あかねは少し上の空で返してきた。
「どこか、遊びに行こうよ」
あかねと2人でいたいから、とはとても言えないが、遠回しにそう言っているのと同義であることに気づいてしまった。
「もしかして、クリスマスに予定を開けるのが嫌なのか」
「いや、1日中部屋にいるのも、何か気が引けるだろ」
苦し紛れの言い訳を考えた結果、俺の出した結論はそれだった。本当に何というか、どうしようもなく恥ずかしかった。
「仕方ないな。今年はサークルの女の子でも誘って、どこか遊びに行こうかと思ってたけど。そういうのも、ありかもな」
いつものことだが、あかねが女の子を週替わりに誘って遊びに行っているのは、相変わらずのことだった。それゆえに、文芸サークル内では、あかねはプレイボーイという異名を持っていた。当然といえば当然だが、俺から見ると、女の子同士のそれだった。
間違いのないように付け加えると、あかねはあくまでも男として女の子と遊んでいた。よく噂話を聞くし、実際に女の子から告白をされたこともあるらしい。結局のところ、俺は何がしたいのだろう。ただひたすら、あかねからの提案や行動を待っているだけなのだ。それではいけないと頭では分かっていても、行動に移すことができなかった。
あかねの目には、俺はどう映っているのか。それが分かれば、俺は何か新しい視点を獲得できるのではないかという、空虚な希望に手を伸ばしていた。
「そろそろ寝ようかな。眠くなってきた」
「うん。じゃあ、おやすみ」
その返事は、あくびだった。
あかねが寝るのと入れ替わるように、俺はシャワー室に入った。
あることが、ずっと頭の中をまわっていた。予定を聞いたあとの、はっきりとしない返事のことである。あの返事を、肯定として捉えてもいいのだろうか。それが白黒つかないままに、あかねは寝てしまった。おそらく、明日になっても答えは聞けないままだ。
だが、思っていたよりは反応が良かった。俺はてっきり、なんで男2人でクリスマスを過ごさないといけないんだよ、などという返事を予想していたからだ。嫌そうな反応ではなかったのは、確かだった。
お互いに予定は特になく、ただ遊びに出かけるだけなのだから、それがありなのかなしなのかという話そのものが、不毛な議論なのだろう。
シャワーを止めて、俺は鏡に映る自分の裸体をぼうっと眺めていた。
あの日、シャワー室から出てきた本当の姿のあかねを見ていなければ、その事実を知ることがなければ、今ごろこんな煮え切らない感情を持つことは、なかったのか。可能性の話をしていても仕方のないことは分かっているが、考えずにはいられなかった。
俺が好きなのは、女としてのあかねなのか、あかねの存在そのものなのか。
この悩みから逃げて、答えを先延ばしにする毎日だった。あかねとの交流を深めるごとに、嘘を塗り重ねていくのである。
同じ歳くらいの女の子の体は、どのくらい俺の体と似ているのかと、そんなことを思うときがあった。もし、ほとんど見分けがつかないほどに似ていたとして、俺はきっと辛くなるだけだと思う。
所詮は偽物である。それゆえに、俺は回避策として『男』として生活する選択をした。しかし、それも偽りの仮面をつけているにすぎないのだ。中途半端な立ち位置にいるために、どちらか一方を選ぶことを、俺はためらっていた。
自室へ戻ったあとに、俺は隠し書棚からある本を取り出した。性同一性障害に関する本である。
あかねの秘密を知った数日後、俺はそれが一体なんであるかを調べていた。そもそも、俺自身がその単語自体を知らなかったのだ。端的にいえば、それは体と心の性別が一致しない症状のことをいうらしい。らしいというのは、その言葉を理解できていないからこそ、はっきりとしないのだ。
読むたびに、これに俺は該当するのかという疑問が浮かんでいた。一致していないという点で見れば、女体化現象が起きていること自体が、それなのではないかと思ったのだ。だが、読み進めていくと、それはまた違うということが、明確に示されていた。
繰り返して記述されていたのは、幼少期などに周囲からの性別に関する扱いに対して、違和感を覚えたなどといったものだった。答えは、いいえだった。女体化現象さえ起きなければ、性別に関して悩むことは、おそらくなかったはずなのだ。
必ずしも同じとはいえないが、あかねは俺が感じている自分の体への違和感を、幼い頃からずっと抱き続けていたのだろうか。それがいかに苦しいかということは、容易に想像することができた。
できているにもかかわらず、俺はあのときのあかねの体が、脳裏に焼き付いていた。それほどの衝撃だったといえばそれまでだが、きっと理由はそれ以外にもあった。
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