第10話 生徒会からの勧誘

 三年生がいなくなったことにより、これまでは廊下に出ると両方から聞こえていた騒がしくも温かい声が、片方からしか聞こえなくなっていた。卒業式から数日が経ったものの、確信は持てていなかった。しかし、本当にいなくなったのだと思わざるを得ない状況になっていた。

「生徒会の選挙?」

 そんな俺の複雑な気持ちなどは無視して、紗那は俺に対して強引とも言える勧誘を続けていた。

 このあいだの生徒会室での送別会後に、紗那から誘われていた。

 生徒会自体の規模は小さく、人数も少ない。だが、元生徒会長である春沢さんから、内容の濃度が極めて高い情報を注ぎ込まれた。そんなことを全くの部外者に話すわけがない。つまり、こうなるように仕向けられていたというわけである。

「まだ枠余ってるのよ。というか、この話は前にもしたよね?」

 普段より少しだけ低い声で、紗那はそう言った。どうやらこれは、選択肢が一つだけのようだ。選択権があるように思わせて、実はそんなものは存在していない。

「でもねえ、そういうの苦手だし」

「大丈夫、何かあればすぐに私が助けるから」

 人数集めというよりも、俺のことを誘うための口実としか思えなかった。その言葉は、一緒に生徒会を運営してほしいと言っているようにも聞こえた。今の彼女が置かれている環境を考えると、そうせざるを得ないとも思えた。

 これまで一緒に生徒会を作り上げてきた仲間が、一気に三人もいなくなったのだ。寂しさは計り知れない。あくまでも、表向きの理由は立候補者の人数不足。だが、それは事実だ。紗那は、決して嘘をついているわけではない。

 純粋に、俺の存在を求めているのだ。


 実は、前から生徒会という存在には興味があった。それはどういうところなのだろうか、という好奇心からくるものだった。しかし、面倒くさそうだと思ってずっと避けていた。

「いい機会だと思うよ。これからのためにも経験しておくべきだと思うな」

 多分、俺が承諾しない限り、紗那はこの姿勢を崩さないのだろう。たとえ、今日を乗り切ったとしても、明日明後日と続いていくのだ。それならば、もうここで俺が折れるしかなかった。これくらいで気持ちが折れるような子ではないことは、一緒にいればわかることだ。

「……わかった。生徒会、入るから」

「いいの?」

 本当にそう言ってくれるとは思っていなかった、と言わんばかりの表情を浮かべていた。そう言わないと解放してくれそうにない態度に、俺は負けてしまっただけだ。紗那のことを助けようと思ったわけじゃない。

「それでいいんだよね?」

「もちろんだよ。よろしくね」

 まだ立候補することを決めただけだけれど、この時点で生徒会役員になることは確定していた。なぜなら、紗那が推薦することになっていたからだ。よっぽどのことがない限り、俺が落ちることはない。

 

 決めたからにはすぐに行動しようということで、職員室に来ていた。芹澤先生のところに、生徒会への加入願いを提出するためだ。

 すでに、その用紙は紗那から受け取って記入を済ませてあった。あまりにも準備が整っていたため、紗那が初めから俺を生徒会に引き込む気でいたことは、明らかだった。

「本当にいいのか?」

 どうしてそうなったと言いたげな目をしていた。そう思う気持ちも分からなくはないが、もう少しポーカーフェイスでいてほしい。

「大丈夫です。これも社会勉強ですよ」

 なんとか理由をつけるため、社会勉強と言ってみたが、そこまでやる気はない。紗那の強気な姿勢に負けてしまっただけだ。

「そうか。ありがとう」

 生徒会に入るといっただけで感謝されるのか。そんなに人気がないのか、この生徒会という組織は……。俺が知らないだけで、ほかの学校の生徒会もこんな感じだったりするのだろうか。

 学校の管轄下から外れたような状態で、予算もある程度は自由に使える学園があるらしいが、それはうわさ程度の話だ。

「なあ、中津」

 この高校がいかに普通かを考えることに集中していたが、芹澤先生は別のことで気になるところがあるみたいだ。なぜなら、目の前で大げさに首をひねっていた。

「どこか書き間違えてましたか?」

「いや、そうじゃなくてだな」

 表情がよく読めない顔をしながら、先生はこう続けた。

「いつの間に、上宮とそんなに仲が良くなったんだ?」

 予想していた斜め上の質問をされ、俺は動揺してしまった。芹澤先生から、そんな指摘を受けるとは思っていなかったのだ。そして、人間関係を見られていたことを考えると、途端に恥ずかしくなった。

「良いように見えますか」

 今ではあまり気にしなくなったが、俺は元々男で紗那は元から女だ。距離感が近くなったからこそ、どう扱えばいいのかが分からなくなることもあった。不完全であるはずの俺に、紗那は邪魔者扱いをしなかった。

 一部の人からの邪魔者扱いを、紗那は見過ごさなかった。見過ごさないでいてくれたのだ。

「見えるもなにも、最近の上宮は中津に付きっきりじゃないか」

 他人に言われて気がつくということは、少なくない。それが他人にとって、どんなに些細なことであったとしても、当事者としては重要だということは数多くある。

 例えば、芹澤先生の発言がそれにあたる。

「そんなことはないですよ」

「なら、どうして上宮の隣は浜野じゃなくて中津なんだ?」

 いつの日からか、紗那の隣にいつもいた由果がいなくなっていることに気がついていなかったわけじゃない。ただ、違和感があることは確かだった。時間を問わずいつも二人で行動していたのに、それが当たり前のことではなくなっていたのだ。

「先生、結構私のこと見てるんですね」

「……お前の担任だからな」

 なぜか先生の顔が、真っ赤になっていた。


 ついに、生徒会役員選挙の日になった。

 この数日間、緊張がおさまることはなかった。人の前に出るということが、いかに大変なことか、身をもって知った。

「続いて、二年の中津沙希さんの演説です。では、壇上に上がってください」

 約六十人の前で演説をした。少ないと思うかもしれないが、これは全校生徒の数だ。人口減少が続いている影響で、この高校の生徒数は年々減っている。

 演説と言っても、どういう気持ちで生徒会に入りたいのかをマイクを通して言うだけであった。要するに、そこに気持ちはこもっていない。演説用にカンペを用意しようと思って準備をしていたが、言葉が全く思いつかなかった。そこで、助け舟を出してくれたのは、紗那だった。あの日に『何かあれば助けるから』と言っていたのは、どうやら嘘ではなかったらしい。

 こうして演説をするものの、実際には紗那の推薦書があるため、落ちることはない。俺の後に立候補を申請した下級生の男の子には申し訳ないが、これは最初から仕組まれた選挙なのである。


「やっと終わったよ……」

 緊張がほぐれていくとともに、すっきりした感覚が全身を駆け巡る。やはり、人前に立つというのはすごいことだと思った。そう考えると、堂々とできる人というのは、やはり偉大なのかもしれない。

「お疲れ様、沙希」

「ありがと」

 紗那の温かさに触れながら、俺は自然に笑っていた。

「紗那もお疲れ様。さすが、慣れてたね」

 彼女の堂々とした演説は、俺に経験の差を感じさせた。


 次の日、紗那の手回しによって正式に生徒会に入ることになった。それがなかったとしても、投票の時点で勝っていたらしい。まあ、念には念をということもある。

 無事に入れることになって、ほっとした気持ちがあった。しかし、その気持ちとは反対に、これからどうなるのだろうという、不安のほうが大きかった。

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