girl meets girl

第二章 淡い季節

第13話 女子の心得

 桜が舞う、桜ヶ丘高校の校庭。桜ヶ丘という名前にふさわしい光景となっていた。だけれど、今年は例年より早咲きだったらしく、かなり桜は散っていた。俺が好きな景色は桜のじゅうたんだ。地面に隙間なく広がる桜色のじゅうたんは、見ていると心が癒されるような気がするのだ。

「沙希、いつまでここにいるのよ」

 肩を抱くように腕をまわしてきたのは、紗那だった。当たり前のことのように体を近づけてきたため、されるがままになっていた。嫌というわけではなかったので、そのままの体勢で話を進めることにした。

「だってほら、桜がきれいだよ」

 風が少しだけ強くなり、木の枝が揺れて花びらがまた舞っていた。桜吹雪とまでは言えそうにないが、すごくきれいだ。

「なんかさ、沙希ってたまにおばあちゃんみたいなこと言うよね」

「おばあちゃん? そんなこと言ってるかな」

 自覚はないけれど、そういう感覚があるという意味だろうか。だとするならば、とても心外である。こうしてみる春の風景に心が躍るのは、高校生らしくないのか。

「桜はあとで見に来ることにして。とりあえず、体育館に移動しよう?」

「もうそんな時間なんだ」

 今日は始業式。授業はなく、これが終わればあとは帰るだけとなる。そんな特殊な日のせいなのか、生徒のみんなが浮ついているように見えた。

「あたしたち、もう三年生になっちゃうんだね」

「今さらなにを言っているのよ」

 俺は、ついに最上級生になってしまった。女子高生として進級することになるとは思っていなかった。単純に嬉しいという気持ちもあるが、同時に不安でもある。二つの気持ちが入り混じって、何だか不思議な感じだ。

 いろいろあったけれど、なんとか三年生になれた。そのことが、俺は嬉しかった。少し前まで保健室登校になっていたので、なんとなく孤独感があった。しかし、その感情もだんだんと薄れつつある。

「まだ彼氏作ってないよ……」

 三年生はもちろん勉強も大切だが、紗那にはそれ以上に大事なものもあるそうだ。さっきから、すごく必死な目で助けを求めてくるのだ。ほんの少し前まで男子だった俺に言われても、どうしようもない。

 そもそも、今まで彼氏以前に恋人と呼べる関係になることなんてなかった。人生経験の浅い俺が、紗那にアドバイスできることなんて一つもない。今までの男子としての経験なら話すことができるけれど。

「なんで私に言うの」

 男子高校生のときには、よく同級生の男子からくだらない話を聞かされていたものだ。下級生のあの女子は何点、上級生のあのお姉さんはタイプかどうかなど。それを思うことは仕方ないとしても、その人の目の前で話すことではない。

「沙希って、いろいろと経験を重ねてそうだから」

「それはどういう意味なの」

 ものすごく説明しづらい話ではあるが、俺は元男ではあるけれど、女になったかと言えばそうではないと思っている。やはり、元来の女子高生ではないため、意識の細部に隔たりを感じるのだ。

 まわりが俺を女として見ていたとしても、俺自身が過ごしてきた十何年の男生活を書き換えられるわけではない。それほどに、日常生活の積み重ねというのが大事なものだということを痛いほど感じていた。

「男と仲良くする方法から教えてよ」

「やっぱりそういう意味なのね」

 あきれるというか、安直だった。確かに俺から男と仲良くする方法を聞こうと思うのは正解かもしれないが、それはあくまでも男同士だからこそ使えるわざだ。

 こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけれど、同性の接し方と異性の接し方には大きな差があると思っている。ただし、その部分は言語化することが困難であり、やがては感覚的な問題に収束してしまうのだ。これも経験から得た知識である。

「始業式、行かないとね」

 これ以上、話をしていては紗那が迎えに来た意味がない。渡り廊下を歩く生徒が減っていることに気づき、急いで体育館へと向かうことにした。

 芹澤先生に朝から注意を受けるのは、あまり気分の良いものではない。それを想像するだけで、気が滅入るのだ。普段は怖いくらいに優しいが、怒るとかなり怖い。

「もう。ごまかされた気がする」

 俺の心配を無意味にするかのように、紗那が頬を少し膨らませていた。そんなことをしている場合ではないのだけれど。しかし、紗那がここまで感情を表に出すのは、めずらしいことかもしれない。

 なんだかいつもと違って、かわいいと思ってしまった。


 高校三年生になった。未だに実感はなかった。まだまだ先だと思っていた最上級生へのきっぷは、あっけなく手渡された。

 時の流れというのは無情である。長く続いてほしいと思ったときには短く感じる。反対に、すぐに終わってほしいと思ったときは時間が長く感じる。

 よく考えてみれば、区切りの時期に感じることは毎回違っていた。中学生になったときは早いと思ったし、高校生になったときはやっとかと思った。そのあたりは人それぞれだけれど、時間は感覚に左右されるものだと無意識に感じていたのだ。

 とにかく、もう三年生になった。今さら後悔したところで、何かが変わるわけじゃない。それは同時に、女子高生として生活するようになってから約三か月が経ったということを意味していた。女子高生としての生活へと移行し始めたころに比べれば慣れた気でいるけど、実際のところはどうなのだろう。

 見た目だけでも近づけようと頑張っているつもりだけれど、細かい仕草とかがどうしても真似できないところがある。できないというか、自分がそういう行動をとることに抵抗があった。

 そんなことは考えず、無意識に十八年間過ごしてきた俺にとってはやっぱり難しいところがあるのは確かだった。さすがに、この部分は本物の女子には勝てない。だが、努力すればなんでもできるはずだと信じていた。もちろん、信じるだけではなくそれに行動が伴わないといけないけれど。

 なにごとも成せば為るはずなのだ。現実味がない目標は達成できないかもしれないけれど、女子高生としての自分を作り上げるのはそんなに難しいことじゃないはず。

 だから、普通の女子高生として頑張っていきたい。もちろん、俺の場合は普通とは言い難いけれど、普通じゃないからこそ普通を目指す。紗那に助けられるような人でないことは、俺自身がわかっているつもりだ。


 始業式の日から数日が経った。為せば成ると信じて進んでいたが、この数日のうちにつらくなることがいくつかあった。やはり俺には厳しいものがあると、嫌なほどに思い知らされたのである。行動のすべてを女の子のようにするなど、仙人でもない限り無理なのだ。

 他人に違和感を覚えさせないように日常生活を送るというのは、かなり高度な技だ。自分が大丈夫と思っていることが、他人にとってはそうでない場合もある。それでも、自分の思う女子高生像を演じ続けるしかない。今までの土台がないからこそ、一から作り上げないといけない。そのため、今の生活は新しいことが多くついていくのがやっとだった。

 余裕がまったくないわけではないが、何かを必死に追いかける子どものような日々を送っていた。


 ある日の昼休み、食事が終わりゆっくりとした時間を過ごしていた。直前の授業で、抜き打ちテストがあり精神的に消耗していた。なにも考えずに目を軽く閉じて、うたた寝をしていた。

 異様なまでの疲れを感じていたところに、横から元気な声が流れてきた。

「沙希はさ、好きな人とかいないの?」

 あまりにも唐突な質問に、眠気が一気に消えてしまっていた。なんの前触れもなく、起承転結の転から始まる物語のようである。せめて背景くらいは教えて欲しいものだ。

 ここで問われている好きな人というのが、恋愛的に好意を持っている人物という意味なのは確かだ。だけれど、その質問に答える術がなかった。

 なんとなく話を流そうと思ったが、それもまた変な感じがするのだ。あからさまな話の転換は、気づかれてしまうおそれがある。そこまでして避けるような話題ではないはずなのだけれど。

「…もしかして、もう狙ってる人とかいるの?」

 黙り込んでいた俺を見てどのように解釈したのか、紗那はそんなことを言い始めた。特定の一人を除いて、この人がいいといったような具体的な名前は出てこなかった。

「狙ってるって?」

 意味がわからなかったわけではない。ただ、直感的な発言をしてしまうと、話さなくていい情報が口からこぼれるような気がしたのだ。そのため、一呼吸おいた。

 するとそこに、購買部から帰ってきた由果と七海が近づいてきた。

「なんか盛り上がってるみたいだね」

 真っ先に食いついたのは由果だった。さすが、紗那とそれなりに付き合いがあるおかげか、似たような行動をとっていた。例えるなら、紗那が二人増えたような感覚だった。紗那は一人で十分である。

「なんの話で盛り上がってたの?」

 いつの間にか俺の隣に椅子を置き、菓子パンを頬張っていた七海が聞いてきた。普段は会話に参加しないくせに、こういうときに限って食いついてくるのだ。

「沙希に好きな人がいるのかどうかっていう話よ」

「面白そうね」

 由果が興味を持ってしまったようだ。もうごまかしようがない。

「それで、どうなのお姉ちゃん」

 こういう話題になると興味を持たれるのは、なんだか気まずい。普段は俺のことをあまり気にしていないように装うくせに、実はかなり気にしているのだろうか。

 昔から七海はそういう子だった。自分の意見をはっきりと言わず、心のうちに秘めてしまうような性格なのだ。だからこそ、七海が俺に興味を持っているという状況そのものが稀なのだ。

「どうなのって言われても……」

 特定の誰かが好きという感情はあった。だが、それが恋愛的な好きか友情的な好きなのかははっきりとしなかった。この不安定な気持ちと付き合い続けてきた。

「もしかして、七海のことが好きだったりして」

「え…?」

 思わぬところから、槍が飛んできた。その槍に痛みはなかった。だが、刺さったあとに内側から徐々に痛みが走り始めた。即効性はないものの、効能が高いらしい。

「いや、それ妹。しかも一応は同性だから」

 俺と七海は血のつながりこそないものの、戸籍上ではつながっている。要するに、中津家の長男と長女なのだ。そこにそれ以上の意味はない。

 というか、なぜか七海は顔を赤らめていた。勘違いされるのでやめてほしい。話がねじれていくだけだ。

「まあ、それは冗談として。誰かいるんでしょう、好きな人」

 紗那のなかで俺がどういう立ち位置なのか、あまり考えたことがなかった。

 あまり接してこなかった、同級生の元男子高校生。いつのまにか女子高生として通い始めて、今ではとても距離感が近い関係にある。改めて考えると、俺はとんでもない変態なのかもしれない。

「紗那ちゃん、もうやめてあげなよ。お姉ちゃん困っているし」

「別に困らせようと思ってしてるわけじゃないよ」

 口をとがらせて、紗那はそう言った。純粋に気になっているのだろうとは思うが、誰のことを好きなのかという情報はそんなに価値があるものなのだろうか。年頃の女の子なら、誰しもが気になる話題であることはわかる。だが、俺はそこまで気になる意味がよくわからなかった。


 どうやら、俺に好きな人がいると考えているのは、全員一致していたようだった。そのことを否定するつもりはなかったが、肯定する気にはなれなかった。過去は過去であると区切りをつけるべきだと思っているからだ。


 放課後になり、少しずつ生徒が帰宅していた。

 俺は桜ヶ丘高校帰宅部に所属している。つまり、ここからが高校生としての一日が始まるのだ。帰宅部の活動は至極単純だ。

「七海、帰ろう」

 有無を言わず、ただ後ろについてくる。普段から口数は少ない。それがいいのか悪いのかは別として、口数がもう少し増えればモテるタイプなのだろうなとは思っていた。

 そんなことを考えていると、七海が突然笑い始めた。感情を出すことを忘れたのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ある意味で安心したが、なんの前触れもなく笑い始めるのは恐ろしい。

「なにか私の顔についてた?」

 どこからか飛んできた桜が顔についてしまったのかと軽く手で撫でてみたが、感触はなかった。

「いや、そういうことじゃなくてね」

 笑いながら話さないでほしい。笑うか話すか、それともなにもしないのか。どれか一つに絞らないと、受け取る側は混乱するだけなのだ。

「とりあえず、落ち着こう?」

 そう言いながら、七海の背中を軽く撫でた。すると落ち着いてきたのか、呼吸を普段通りに戻そうと深く息を吸っていた。

「お姉ちゃん、疲れた顔してるって思ってね」

 その言葉を聞いて、さすが我が妹だと思った。特に意識しないようにはしていたが、紗那からの止まらない恋愛に関する質問に、疲れてしまったようだ。男子のときとは違う他人からの干渉に、俺はまだ慣れていない。

 男子のときにも他人からの過剰な干渉はあったが、それとはまた違っていた。女子からの干渉は、精神的な部分が大きいように思える。物理的な距離ではなく、精神的な距離がかなり近い。それに慣れていない俺は、上手く接する方法をまだ知らないのだ。

「そんなにひどいかな」

「うん。げっそりしてるよ」

 普段からなにも考えていないような顔をしているにもかかわらず、人一倍まわりの人への気配りができる。七海はそういう子だ。気配り上手ではあるが、表現がとても下手だ。

「最近の紗那ちゃん、お姉ちゃんをいじめるのにはまってるのかな」

「嫌な言いかたはやめてよ」

 七海から言われるまで気づけなかったが、紗那からの精神的な接触は増えているような気がした。特に目立った変化は感じていなかったが、もしかして俺はなにかしてしまったのだろうか。

「紗那ちゃんとなにかあったの?」

 七海はそう質問してきたが、俺には上手く答えることができなかった。特にはっきりとした理由があって疲れたわけじゃないのだ。ただその原因を今までとは違う接し方によるものだと、こじつけているだけなのだ。

「そういうわけじゃ、ないんだけどね」

 なにかはあったのだ。しかし、それがわからない。

 この気持ちの悪い感情は、一体なんなのだろうか。これをどう説明したらいいのだろう。


 女の子って、なんなんだ。


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