第12話 ある春の寒い日
第四十五回桜ヶ丘高校卒業式。この高校では、卒業式が今回で四十五回目だ。そして、この高校は一九七〇年九月に建てられたため、あと半年ほどで創立四五年となる。このどうでもいい情報を知っている人は、とても少ない。
そもそも、自分の高校の歴史を調べる人というのは、少数派だ。調べることは、入学前にどんな校風なのか、制服はどんなものかといったところだろうか。ほかにも重要事項はあると思うが、代表的な比較対象は偏差値だと思う。
今日をもって三年生は高校を卒業し、在校生から卒業生へと扱いが変わる。そして、一か月後には現二年生は新三年生になる。ものすごく当たり前のことではあるが、無事に進級できることをほめるべきだと俺は思う。一年間の頑張りが、そこにあらわれているのだ。
卒業式という特別な場であるため、普段とは違う言葉が体育館のマイクを通して流れていた。心がこもっていないように感じるわけではないが、あまりこういうのは好きじゃなかった。このあいだの送別会のように、気をつかいながらも距離が近いやり取りをするほうが、俺は好きだった。
三年生の一部の人が泣いていた。この高校も入学したとき、特に思い入れはなかった。しかし、こうして二年近く通っていると、それなりに愛着がわいていた。何気ない日常の積み重ねが、こうして心に積もっていくのかもしれない。
桜ヶ丘高校の生徒数は、全学年合わせて七十人程度しかいない。一クラスあたりに二十人前後という感じだ。さらに、教室は隣同士なのでほぼ毎日顔をみるくらいには全員が顔見知りとなる。学年が違うとはいえ、隣の教室から話し声や人の気配が消えてしまうのである。さみしいと思わないわけがなかった。
人数が少ないからこそ、全く話さない人というのは存在しない。それくらいに、他人との距離が近い。三年生のいる教室に行くことはあまりなかったものの、何かの行事で関わることはあった。そういうときは、三年生の教室に入り浸ることがあった。
ついこのあいだの生徒会の送別会で、春沢さんたちとせっかく仲良くなれたのに、もう別れのときがきたことが悲しかった。
卒業式も終盤になり、三年生が卒業式の定番曲を歌っていた。すでに泣いている人がいるのか、体育館にすすり泣く音が響いていた。
普段とは違うこの浮ついた時間は、もうすぐ終わりを迎える。始まりがあれば、終わりがくることは必然だ。だからこそ人は出会うときに喜び、別れのときは悲しむ。
教頭先生が閉会の挨拶をしていた。顔を見るのは、いつ以来だろう。校長先生とは何度も会ったけれど、教頭先生との話し合いは芹澤先生を通していた。そのため、直接会って話す機会はなかったのだ。
挨拶が終わり、拍手とともに三年生が体育館を去っていった。もう三年生は、桜ヶ丘の制服を着て体育館に入ることはないのだろう。そう考えると、三年生の人たちが泣いてしまう理由もわかるような気がした。
何気なく着ていたからこそ、制服に袖を通すことがなくなるというのはさみしいものなのだ。
やはりこの季節と言えば別れの季節である。それと同時に、新しい出会いがある季節でもある。
俺は、特に問題なく進級できるらしい。一時期は保健室登校となったため、出席日数などは大丈夫なのかと心配になった。だけれど、配慮されたみたいだ。校長先生がなんとかしてくれたのだろうか。
式は無事に終了し、学校の中にいた生徒たちのほとんどが帰っていた。
いつもの放課後に残るときとは違い、まだ太陽の位置が高かった。それにもかかわらず、学校の中はとても静かだった。少しだけ不思議な雰囲気に、気分が上がらないはずがなかった。
「やっぱり寒いね」
由果がそう言うと、より寒さが増してきた。考えないようにしていたことを他人が口にすると、無意識のうちに考えてしまう。
なぜこんなに寒く感じるのかと考えていたが、ついさっきその原因が判明した。それは、暖房機が動いていないためだった。
「どうにか動かせないのかな」
寒いのは当たり前だった。今日の最高気温は五度以下で、窓から見える田んぼには雪が残っていた。本当に三月になったのだろうかと、何度も疑ってしまったほどだ。
「ねえ、沙希」
なにかをひらめいたのか、紗那が目を輝かせていた。なんてわかりやすい人なのだろう。
「生徒会室があるじゃない」
先代の生徒会が尽力したおかげで、現在の桜ヶ丘高校生徒会室にはエアコンが設置されている。教室に片隅に設置されている暖房機とは違い、集中管理されているわけではない。そのため、エアコンを運転させるのは自由なのである。
「それなら、私が職員室から鍵を持ってくるよ」
職員室に入ると、いたのはごくわずかだった。中庭に三年生が集まっているので、そこに教員たちが行っているのだろうか。
「中津、どうした?」
いつの間にかこちらを見ていたのは、お馴染みの芹澤先生だった。手元にはせんべいとコーヒーがあった。相変わらずの様子に、思わず笑ってしまった。
「こら。人のことを見て笑うな」
「すみません。いつも通りだなと思って」
先生は困惑した表情を浮かべていた。卒業式の日でも平常運転を続けているのは、とても芹澤先生らしい行動だった。いつも通りでない日にいつも通りのことをするのは、単純だけれど難しいことなのである。
「そんな馬鹿にするようなこと、言わないでよ」
「馬鹿にはしていませんよ。そういうところ、先生らしくて好きです」
なぜか、先生の顔が赤くなっていた。
生徒会室の鍵を借りることを伝えると、先生は二つ返事で了承してくれた。話の通じる人は、こういうときに助かる。
紗那たちは、生徒会室の前で待っていた。遠くから鍵の音を立てると、喜ぶ様子が見えた。
「たまにはこういうのもいいよね」
「そうだね」
無事に鍵を手に入れ、俺たちは生徒会室でゆっくりしていた。卒業生たちも校門から出ていくなか、俺たちはお茶を飲みながら話し込んでいた。
楽しいと思うと同時に、少し不思議な気持ちになっていた。今まで心のどこかにあった疎外感が、消えていたのだ。今まで、この二人と話すときは俺だけが違うという意識が根底にあった。しかし、いつからか意識が変わってしまった。
実はずっと夢を見ていて、本当は女だったのではないかという勘違いをするくらいに、自然と話せるようになっていた。最近はもはや、俺が男子高校生として過ごしていた時間さえも、忘れかけていた。これで本当にいいのだろうか。
「実はね、お菓子持ってきてるんだよね」
「由果、さすがだよ。気が利くね」
由果から受け取ったお菓子を、紗那が生徒会室に置いていた紙皿にのせていた。俺はそれを見守るだけで、まだなにもしていなかった。なにかをしようと思っても、この二人のやり取りがあまりに上手くいっていて付け入る隙間がなかったのだ。
この二人に隠し事をしているわけではない。それでも、なぜ俺のことを受け入れてくれているのかが理解できなかった。どれだけ忘れようと思っても、俺はまだ男子高校生なのである。
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