第45話 大晦日の過ごしかた

 一年の終わり。そして、次の年への準備の日。今日は大晦日おおみそかである。

 年末ということもあり、寮の中は静かだった。ほとんどの寮生は、実家に帰省しているのである。昨日まではとても騒がしかっただけに、妙な寂しさすら感じていた。そしてなにより、他の部屋に遊びに行くこともできないため、暇を潰すこともかなわないのだ。


「暇だな」

 部屋に設置してある電気ストーブの前にいるあすかが、ふと呟いた。いくら読書が好きといっても、限度があるらしい。てっきり、文庫本さえあればどんな環境でも過ごせると思っていたのだが、どうやらそうではないようだ。

 また、大晦日になると近くにある商店街などは閉まっている。なので、出かけるところもないのだ。こんな寒い時期に海を見に行く趣味は、俺とあかねにはない。

「掃除もできる限りし終えたからね」

 綺麗好きなあかねの希望で部屋掃除を昨日一日かけて行ったため、もうそれをする必要がある箇所はない。サボっていた俺とは正反対に、あかねは黙々と掃除をしていた。要領の悪い俺を見て、途中から俺の掃除領域にも入ってきたのである。

「ほとんど俺がやったけどね」

 厳しい眼差しで俺のほうを見てきたが、知らないふりをしていた。事実なのだから、反論しようもない。


 俺はというと、あかねの入れてくれたお茶をすすりながら、こたつでだらけていた。これこそが年末年始の正しい過ごし方である。けれど、あすかはそれすらも飽きてしまったらしい。

「……神社でも、行くか」

「今から?」

 いやいや、もう陽も落ちたぞと思ったが、あかねにはきっとそんなことは関係ない。もしや、意外とアクティブな性格なのだろうか。

「そう。一緒にどうだ」

「寒くない?」

「天気予報ではそこまで寒くないって言ってたぞ。たぶん」

 あかねは自室に戻り、上着を用意しているのかガサゴソと音がした。どうやら、俺が行かなくても1人で行くつもりのようだ。せっかく快適なこたつと別れるのはつらかったが、俺も準備をすることにした。大晦日に1人で過ごすのは、なんだか悲しい。そしてなにより、あかねからの誘いを断るような罰当たりなことは、俺にはできそうになかった。


 あかねが行こうとしているのは、八幡神社だった。そこへ行くには、あゆかんに乗るか徒歩で行くかの二択がある。だが、こんな時間に徒歩で行くのはどうかということで、あゆかんに乗ることになった。

 あゆかんは終夜運転をしているらしく、日付を超えたあとも30分に1本電車が来るとのこと。まだそこまで遅い時間ではなかったが、大晦日に電車に乗ることが去年はなかったので、とても不思議な感覚だった。

「なんか、あったかい飲み物が欲しいな」

 そう言いながら、あかねが駅のホームにある自販機で缶に入っているコーンポタージュを買ってきた。冷えるなあと言いながら、その缶に指先を当てていた。俺はその指先を見ながら、白くて綺麗だなと思っていた。


『次は、萩野宮。終点、萩野宮です』

 あゆかんの車内放送が、電車の中で響いていた。萩野宮で降りるので特に気にしていなかったが、どうやらこれは萩野宮止まりの電車らしい。

 大晦日ということもあってか、人は全然乗っていなかった。まあ、神社に行くなら明日行く人のほうが多いだろう。もしくは、今日の深夜に行くと思う。こんな中途半端な夕方の時間帯に行くのは、きっと少数派だ。

「沙希ってさ」

「うん」

「今年の目標、達成できた?」

 それを言われた俺は、少しびっくりした。あかねはこうみえて、根は真面目なのだ。だからこうして、今年の初めに決めたはずの目標について聞いてきた。申し訳ないが、俺は今年の目標を思い出すこともできそうにない。

「俺は、できなかった」

 あかねはこちらに顔を見せてこなかった。しかし、その言葉はとても悔しそうだった。


 萩野宮駅に着き、八幡神社やはたじんじゃへ向かって歩き始めた。電車から降りたあと、忘れかけていたひんやりとした空気が全身をまとった。

 駅から離れて、ひとまず神社通りへと向かった。さすが神社通りということもあり、寮の近くの商店街とは違って賑やかな雰囲気だった。ここへ来るまでは、正直そこまで人はいないだろうと思っていたけれど、実際にはそれなりに人混みができていた。大晦日に出かけるのは少数派だと思っていたが、実のところそうでもないのだろうか。寒い時期の夜にわざわざ出かけるなんて、なんて物好きなんだ。そう思ってしまう俺は、きっとひねくれている。

「屋台とか見てると、小腹が空いてくるな」

 神社通りには、軽く食べることができるものがいろいろと売っている。値段も500円以下のものが多いので、思わず買ってしまいそうになるのだ。その気持ちは、とてもよくわかる。

「美味しそうな香りがただよってるからなあ」

「昔は、俺もよく親にねだってたんだよ。なんか買ってってさ」

 あかねの言う光景を想像してみると、なんだか面白かった。普段のあかねの言動や行動からは、とてもじゃないが想像し難いものだったからだ。

「あかねにもそんなかわいい時期があったんだな」

「お前なあ、それは失礼だぞ」

 そう言ったあかねの口調は弱く、顔は笑っていた。ただ、そこであることに気づいた。あかねから自分の親の話を聞くのは、おそらくこれが初めてなのではないかということだった。意識的なのかはさておき、あかねの口からそういった話題を聞いたことがなかった。そのため、俺からその話題をふったことはない。


 大通りから外れたところにある八幡神社に着くと、敷地内でまばらに人が集まっていた。さすがに神社の中までは混んでいないらしい。

「とりあえず、手を洗うか」

「そうだね」

 水の冷たさに少しだけ驚いたが、それに慣れる前にこの儀式は終わる。これをするのは、いつぶりだろう。めったに神社へ来ることがない俺にとって、年に2,3回あるかないかという貴重な体験なのである。

「しまった。あかね、ハンカチ持ってる?」

「また忘れたのか。仕方ないな」

 柄の入っていない無地のハンカチを借りて、俺は手を拭いた。相変わらず、あかねの持ち物は暗い色ばかりだ。

 最近では街のあちこちに手を乾かす機械が置いてあるので、こうして手を拭くことがない。そのためか、ハンカチを意識的に持ち歩くことが減っていた。ただ、忘れてしまったときに限って必要だったりする。

「ありがと。助かった」

「おう」

 それを受け取ったあかねは、ゆっくりと階段のほうへと向かって歩き始めた。


 この階段は、いったい何段くらいあるのだろう。そんなことを考えてしまうほどに、段数が多い。とても数える気にはなれないけれど、とにかく長いのだ。階段を上る前には感じなかった冷たい風も、上のほうではとても寒く感じるくらいに。

「やっと見えてきた」

「うん。というか、あかね元気だね」

 ペースを落とさないまま、途中で休憩を挟むこともなく上り続けた。俺は置いていかれないようにと、頑張って後ろにくっついていた。

「お前が体力ないだけだろ」

「そんなはっきり言わなくてもよくないか?」

 軽口をたたかれながら、本殿に向かって歩いた。本殿前に着くと、賽銭箱の前に列ができていた。順番が回ってくるのをしばらく待って、ようやく先頭になった。そうして準備していた5円玉を摘んで、賽銭箱にゆっくりと入れた。

 一年の終わりに願い事をするのもおかしな話だと思った俺は、神様にお礼をすることにした。

『今年もあかねと一緒に生活させて頂き、ありがとうございます。そして……』

 その先を伝えると、失礼になるんじゃないかと思った。少なくとも、神様に伝えることではないだろう。そう思い、俺は目を開いた。


 本殿を離れて階段近くに戻ると、その先には深夜特有のポツポツと広がっている街の光が見えた。控えめな夜景が、そのときの俺にはちょうどよかった。

「寒いし、さっさと帰るか」

 アクティブかと思われたあかねだったが、どうやら寒さには弱いみたいだ。あまり普段弱みを見せてこないので、かなり珍しいような気がした。あかねはいつだって、強くあろうとする。ずっと近くで見ているからこそ感じていることだけれど、なぜ無理をして我慢しようとするのだろう。いや、あかねは無理をするのが当たり前だと思っているのかもしれない。ただ、それが分かったところで俺はなにもできない。


 八幡神社を出て、神社通りに戻った。変わらず人が多かったが、前に進めないほどではないので問題はなさそうだ。

「なあ、沙希。……雪だ」

「え?」

 あかねにそう言われて空を見上げてみると、確かに白いものが空中を浮遊していた。積もるほどのしっかりとした雪ではなかったが、寒いことには変わりないのである。

「そりゃ体が冷えるわけだよ」

「もう少し厚着すればよかったね」

 そう返すと、なにを思ったのかあかねは立ち止まって考え事をし始めた。そして、あたりを見回していた。探し物かと思ったが、どうやらその予想は当たっていたらしい。

「せっかくだから、おでんでも買って帰るか」


 あかねの提案で、萩野宮駅前にあるコンビニでおでんを買った。金額を半分ずつだして、分け合うことにした。

 そのまま電車に乗るわけにもいかないので、俺たちは駅近くの公園に来ていた。そこで食べたおでんは、今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。大袈裟だと思うかもしれないが、間違いなくそう感じたのである。

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