第18話 友情と恋愛感情

 武弥と過ごしている時間が少なくなっていることに気づいたのは、つい最近だった。以前は、四六時中一緒に行動していることが多かった。しかし、今では学校の日や休日に会う機会がまったくなかった。学校では紗那や由果と一緒に過ごし、休日は紗那か七海と過ごす時間が増えていたからだ。

 思えば、女体化現象が起きてからあまり会っていなかった。

「こうして二人で話すのは、いつ以来だろうな」

 その日は用事があるということで、由果と紗那とは別行動をとっていた。教室に残っていた武弥に呼び止められて、今に至る。

「ちょっとだけ、寄り道していかないか」


 武弥に連れていかれたのは、馴染みの喫茶店だった。家から距離は離れているものの、落ち着いた雰囲気が好きでよく通っていた。

「最近、どうなの」

 武弥にはまだ、紗那のことを伝えていなかった。多少話す機会があったとしても、こういった深い話をすることはなかっただろう。

 まず、俺に恋人ができたという話を武弥にするべきなのかを考えていた。表面上は女同士であるため、かなり人を選んで話していた。肝心なところをぼかすことで、直接的な表現を使わなかったときもあった。紗那はさほど気にしていない様子ではあったが、こういうデリケートな話題は極力話したくなかった。それが原因で彼女が傷つくような展開だけは、避けたかったのだ。ただ、そこを考慮に入れたとしても、武弥にそのことを話さないという考えには至らなかった。

「特に何もなし。平凡な生活を送ってるよ」

 そう言った武弥は、なんだか寂しそうな顔をしていた。しかし、武弥に寂しいと思わせるようなことがあっただろうか。俺以外に、友達がいないわけではなかった。紗那や由果と一緒に居る時間が増えると、武弥が別の誰かと一緒に居るのを見かける機会も、次第に増えていった。気づけば、武弥と一日話さない日が珍しくなくなっていた。

「お前、本当に適応力あると思う」

「そうかな」

 環境に慣れるというのは恐ろしいもので、そのときの俺は女装をすることへの抵抗感が皆無に等しかった。中学のときに、羽衣に無理やり女装をさせられることはあったが、それ以外で個人的にすることはなかった。

 俺はあくまでも、周りの環境と自分の状態を合わせるために、仕方なくしているだけなのだ。そこに、それ以上の意味はなかった。

「女になっても、何も変わらないんだよね」

 性別が変わってしまうということが、何を意味しているのか。その本質を、俺はまだ理解できていなかった。俺の見た目や体は変わってしまったが、今までの俺の生活すべてが変化したわけではない。元男だということを周囲の人間は知っており、その前提があるからこそ成り立つ会話もあった。

 それらがなくなったとき、平常心を保てるのだろうか。だが、それは考えても仕方のない、未来に起こり得る話だった。答えのない問題を考えていても、何も解決できないのである。

「そうなのか。傍から見てると、結構変わってるよ」

 客観的に見たときの変化は、大きかったようだ。他人事のように考えているが、そうとしか思えなかった。武弥の語る俺の話は、俺の知らない俺の話だった。大きく変化していることを、俺自身は観測できなかった。それが原因なのか、武弥と俺の会話に齟齬そごが生まれていたところもあった。


「もし違っていたら申し訳ないけどさ、お前と紗那ちゃんって付き合ってる?」

 コーヒーのおかわりを頼もうかと考えていたところで、武弥からの思いがけない質問が飛んできた。あまりにも唐突で、俺は口に含んでいたコーヒーを飲み込むのに必死になっていた。

「どうしてそう思ったの」

「少し前よりも、二人の距離が近くなってるなと思ってね」

 そう言われてまず先に考えたのは、武弥が俺をよく見ていたということだった。話す機会が減っていくなかで、俺はいつからか武弥の存在を観測しなくなっていた。つまり、関わりをもとうとは考えなかった。しかし、武弥は違っていた。

 もしかすると、俺のことを気にかけてくれていたのだろうか。

 初めは、接点をもとうと努力していた。だが、武弥はほかのグループと関わりをもつようになり、次第に距離は広がっていった。

「予想通り、私と紗那は付き合ってるよ」

 俺はそこで、寿橋での一件やそこからの経緯を武弥に伝えた。混乱する部分があったのか、武弥は何度か質問をしてきた。しかしながら、俺自身も俺のことを完全に理解できているわけではなかった。自分の言葉を使って、感情を噛み砕きながら説明を続けた。


「紗那ちゃん、よく受け入れたな」

 できるだけ簡潔にまとめて説明したものの、それが終わったのは夕日が沈みきったあとだった。

「それは私もびっくりしてる」

「そういえば、付き合ってることを七海ちゃんは知ってるのか?」

 家で話はするものの、紗那との話は一切していなかった。七海にするような話なのかと、少しためらいの気持ちが芽生えていた。その原因として、羽衣のことを整理できていないということがあった。しかしそれ以上に、七海に対して話しにくい内容でもあった。何か決定的な理由があるわけではないが、気がのらなかった。

「知らないよ」


 すっかり外は真っ暗になっていた。七海に伝えていた時間に間に合わないことに気づき、喫茶店の横にある電話から家に連絡することにした。

「もしもし、私だけど」

『沙希お姉ちゃん、どうしたの?』

「今から帰るよ。あと二十分くらいで着くと思う」

『わかったよ』

 七海の声は、いつもと変わらず元気だった。あの日からずっと、俺のことを支えてくれた七海だった。

「遅くなってごめんね」

『いいよ。気をつけてね』

 受話器を戻し、十円玉を取ってから武弥のほうへと駆け寄った。そのとき、心なしか表情が曇って見えた。何か嫌なことや思い出したくないことを思い出したときのような、そんな表情だった。

「おまたせ」

「じゃあ、帰るか」


 そのあとの時間は、すごく気まずい雰囲気がただよっていた。その雰囲気にのまれて、俺は武弥に話しかけることができず、そこから抜け出せなかった。もうすぐ俺の家に着くところで、空から落ちてくる水滴が制服にあたっていることに気づいた。

「雨降ってきちゃったね」

 俺がそう言うと、武弥はこちらを振り向いたものの、なぜか顔を赤くしていた。

「ちょっと雨宿りしていくか」


 雨宿りは、道路脇にあったタバコ屋の軒先ですることになった。そもそも、そこくらいしか逃げ場がなかった。

「風邪ひくといけないから、これも羽織ればいいよ」

 武弥が自分の着ていた制服の上着を脱ぎ、俺に着せてきた。それほど濡れていたわけではなく、なくても支障はないと思った。

「いや、大丈夫だよ。武弥が着ておきなよ」

「そういう問題じゃなくて……」

 小声で何かを呟いたあと、武弥は小さめの声でこう続けた。

「お前の服、透けてる」

 最初は何を言っているのかが分からず、言葉の意味を考えていた。しかし、ふと自分の胸元を見ると、その言葉はすぐに理解できた。ここまで濡れていて気づかなかった、俺が悪いと思った。もしかして、武弥がさっき顔を赤くしていたのは、これが理由なのだろうか。

「さっき顔が赤かったのは、これが理由だったりする?」

 俺の質問への明確な回答を、武弥はしなかった。


「こういう機会がこれから先にあるか分からないから、もう話してしまおうと思うんだけど、いいか」

「何の話なのかは分からないけど、いいよ」

 緊張していたのか、武弥の唇はかすかに震えていた。

「まわりくどい言いかたは好きじゃないから、単刀直入に言う。俺はお前のことが好きだ」

「……え?」

 それは、耳を疑うような発言だった。

「それは、俺が女の格好をしているからか?」

 気が動転していたのだろうか。俺は、口調が元に戻っていた。そのことに気がついていなかったのか、気づいたのかは分からない。しかし武弥は、そのあとも言葉を続けた。

「違う……とは言い切れない。俺は、いつからお前のことを好きになったのか、分からないんだ」

 好きという言葉が、友情的なものではないことはすぐに分かった。それと同時に、理解できずに受け流そうとする気持ちが、わずかながらにあった。しかし、その行為に何ら意味がないことは明白だった。

「だからこそ、お前に彼女ができたって話を聞いて安心したんだ。区切りをつけられるって思ったんだ」

 武弥は、ころころと表情を変えながら話していた。それは、俺の知らない武弥だった。長い付き合いとは言い切れないものの、頭のどこかで武弥のことをよく知っていると勘違いをしていた。

「なんだよ、それ……」

「紗那ちゃんのこと、大切にするんだぞ」


 それ以降、武弥と今までのような時間を過ごすことはなく、疎遠になった。

 信頼できる友達という武弥の立ち位置が揺らぐことはない、そう思っていた。しかし、そう思っていたのは俺だけだった。

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