第53話 俺が女になれたなら

 あたりはすっかり暗くなり、等間隔に並んだガス灯の明かりだけが道にならって続いていた。

 車を運転してこの道を通るのはいつも通りのことではあるが、隣には女の子がちょこんと座っていた。

「あれから、五年経ったんだね」

「そうね。いや、時間が経つのは早いわ」

 森本の桜並木の話をしているうちに、はるかが興味を持ち、ようやく二人で来ることができた。ずっと俺の言葉だけでしか知らなかった彼女がこの場所を一緒に眺めていることに、少し不思議な感覚があった。

 桜が舞うと同時に、雪も舞う。幻想的な雰囲気に、俺たちは言葉を探しているだけだった。

「どうだった。会ったんでしょう? あの子と」

「うん、まあね」

 卒業後、全く連絡を取っていなかったあかねと会ったのは、昨日の話。五年ぶりに会うということで、俺は緊張していたが、会ってみるとあっけないもので。お互いの環境が全然違うものになっていたとしても、人の中身は大して変わらないんだと実感できた瞬間でもあった。

 だが、決定的に違っていたのは、俺とあかねの距離感だった。


「来月、結婚することになった」

「まじか。おめでとう」

「ありがとう。実は、周りのやつにはまだそこまで伝えてないんだよ。まずはお世話になった、お前に早く知らせたくてな」

「そりゃどうも。……あかねなら、きっと大丈夫だ」

 なんの根拠もない大丈夫を、俺はまた使っていた。実際のところ、あかねが彼女と別れるとかそういうことを想像できない。そのときに見せてもらったツーショットを見れば、誰だってそう思うのではないか。


 そして今日は、鮎川からはるかが此花駅まで来たのだ。俺は東京にいたので一緒に行くかと聞いたが「此花駅集合がいい」とはるかが言うので、従うことにしたのだ。そこにどんな意図があるのかは、あまりよく分かっていない。

「今日から一緒に住むって、親御さんたちは本当に許可してくれたの?」

「あ、うん。一応もらってるよ」

 はるかの目が泳いでいて、なんと分かりやすい動きをするんだと思い、くすっと笑ってしまった。

「さては、ごまかした?」

「……ちょっち」

「んん?」

「ほんとに。ほんとにちょっちだよ」

 はるかの言う『ちょっち』がちょっとだったことは、これまでの経験上一度もない。ごまかすのが下手で、嘘をつくのも通しきれないはるかに、そんな高等テクニックは使えないのである。

「あのな、もしなにか言われても、謝るのは俺なんだぜ?」

「ありがとう。先に伝えたからね」

「はぁ」

 ため息しか出ない。はるかのやりそうなこととはいえ、今日からのことはきちんと話を通しておいてほしかったのだ。これからは、二人で暮らしていくのだから。


 森本駅から、徒歩で十五分ほど。そこに、俺の家がある。新しくはなく、木造のリノベーションされたばかりのアパートだ。はるかの言っている二人で暮らしたいが本当の意味であると分かったあとで、俺が探して引っ越してきた。

 大学卒業後、俺は鮎川にある会社で働いていたが、いろいろとあり今は此花市内の会社で働いている。順調といえば聞こえはいいが、それほど進展のない生活を送っているともいえた。

「着いたよ」

「おお。なんか、想像通りというか、なんというか」

「文句があるなら鮎川に帰ってくれ」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。ごめんってば」

 両手を合わせて申し訳なさそうに笑う彼女を見ていると、これをされるとなんでも俺は許してしまうんじゃないかと思えてしまった。まあ、しょうがないな、と思わせる彼女の力は強い。

 女の子って恐ろしい。

「今日から、ほんとに一緒にいていいんだよね」

「でも、条件付き」

「分かってる。もう頭に叩き込んできた」

「よし。じゃあ、ここで言ってみよ」

 はるかは思い出す時間もかけずに、口からスラスラと呪文を唱えるように吐き出していった。

「お互いの生活に過干渉しないこと。あくまでもこれは、共同生活であるということ。沙希が誰かに恋愛感情をもった場合、この生活は終了させること。……はるかは、沙希に対する恋愛感情を極力隠すこと」

「うん」

 はるかが、それでも俺を選ぶ理由が分からなかった。こんなにも面倒くさい俺のことを好きだと言ってくれる意味が、理解できなかった。

 他人からの恋愛感情を受け入れられない俺にとって、最後の条件こそが最低限必要なものだった。それを入れるために、他の条件を作ったといっても過言ではない。

「本当に、いいんだな? 多分、はるかの想像していたような生活じゃないと思うぞ」

「いいの。わたしは、沙希と一緒にいることができればいい」

 その言葉を、俺は信じるしかなかった。はるかがそばにいてくれるなら、特別な存在だと思えなくてもいいなら、俺は彼女のそばにいられる。その結果、どんな未来が待っていようとも、それはそのときになってから考えればいいじゃないか。

「では、中へどうぞ」

「はい。お邪魔します…?」

「もうはるかの家も兼ねてるんだし、ただいまでいいよ」

「じゃあ…ただいま」

 家の中に入り靴を脱ぐと、冷え切ったフローリングが出迎えてくれた。このままだと風邪をひいてしまうと思った俺は、すぐにストーブのほうへと向かい、電源を入れた。部屋が暖かくなるのは、まだもう少し先だろう。


 この変な生活がいつまで続くのかは分からない。だって、未来のことなんて誰にも想像できないのだから。

 こうしてはるかが本当に来てくれたことに対して、俺がそれまで抱いていた感情が明らかに変化していることも、この先きっと伝えられない。社交辞令、その場しのぎの口からでまかせだと思い込み、信じきっていたのだから。

 そう思っていたのになぜ、部屋の中を歩き回り目を輝かせている彼女を見ると、こんなにも温かく感じてしまうのだろう。

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