第43話 そっとミッドナイト
「「乾杯!」」
忘年会。それは、年越し前にみんなで集まることを口実にして、ただ飲んだくれることを意味するイベント。たいてい、このイベントで羽目を外してしまった大人たちが、駅前で動けなくなる。当然ながら、そのだらしのない人たちに大学生も入っている。
「いや、今年もあっという間だったな」
「今村は年中寝てばかりだっただろうが」
俺はいまだに、今村が起きて講義を受けているところを見たことがない。そのくせ、試験ではきちんと8割以上クリアしていることがまた不思議だった。留年しないなら、特に問題はないのだろう。まあ、教授たちからは冷ややかな目で見られていることは確かだった。
「でも、まさか噂に聞いていたはるかちゃんが来てくれるなんてなあ」
「ちょっと、それってどんな噂なのよ」
そう言いながら、はるかは俺のほうへ視線を突きつけてきた。痛いのでやめていただきたい。
「俺は変なこと言ってないぞ。どうせ、今村の妄想ネタだろ?」
「そういうことにしておくか。あかねも来てくれてありがとうな。はるかさんも急に誘って悪かった」
「わたしは大丈夫だよ。別に予定とかもなかったしね」
相変わらずというかなんというか、はるかは今日もどちらかといえばボーイッシュな服装だった。俺の知らないところでは、女の子っぽい服装をすることもあるのか。それは、本人に聞かなければ分からないことだが、そのことを聞く勇気はなかった。そもそも、あまり触れてはいけないような領域だと、予感していた。
「にしても、沙希。お前、体調大丈夫なのか?」
ペットボトル事件のあとの体調不良は、ようやく治った。ただ、あかねとは意図的に話す機会を減らしていたので、今日こうして話すのは数日ぶりだったりする。大人になれない自分に嫌気がさしていた。
あかねと話すことで、うっかり重大なことを口から漏らしてしまうことを避けた結果こうなったのである。
「大丈夫だよ。心配かけてごめん」
「別にいいよ。こっちが勝手に心配してるだけだからな」
優しさが辛いときもあるのだと、身に染みて知った。だが、塞ぎ込むことでしか感情を制御できなかった。許してほしい。
飲み会も中盤に差し掛かり、定番の恋愛話が始まっていた。なぜこうも決まって他人の恋愛事情を聞きたがるのだろうか。ちなみに俺は自分の恋愛事情を他人に話したくない人なので、あまり積極的に聞こうとは思わない。
「はるかさんって、付き合ってる人とかいるの?」
「包み隠さず、とてもベタな質問だね」
苦笑いしながら少しひいていたはるかさんに対して、今村の顔は緩んでいた。もう少し引き締めたほうが印象いいと思うぞ、今村。今後のことを考えて、心の中で忠告しておくよ。
「いないって言ったら、どうするの?」
「どうもしないよ、納得するだけ。だって、どう考えてもこんなに美人な人、放っておかないでしょ」
「美人、ねえ」
気になったところはそこなのか、と突っ込みたくなったがやめておいた。たいして恋愛うんぬんを経験したことがない俺が入り込むのは、恐れ多い。
「それでどうなの、はるかさん」
話に興味なさげだったあかねが、いつの間にか前のめりになって聞いていた。いや、お前恋愛とか興味なさそうなのに。急にどうしたんですか。ふと、あかねがこういう話に興味を持つことを不思議に思った。だが、考えてみればなんてことはなかった。あかねは見た目が男で、恋愛対象は女なのだ。特別な事情を知っている俺以外は、そのことに対してなんら疑問を持たないだろう。だからこそ、気軽に話に参加できるのだ。
俺以外に見えるあかねは、至って普通なのだ。
「稲穂くんまで…。そうね、付き合ってる人はいないよ」
「「なにその含みのある言い方!」」
見事にハモった。考えたことがなかったけれど、もしかしてこの2人意外と気が合うのか。
「ちょっと、声大きいから」
はるかさんがそう言ったのであたりを見回してみると、なぜかとても静かになっていた。どうやら、とても注目を集めてしまっていたらしい。みなさま、お騒がせしてすみません。ただのくだらない恋愛話なんです。
「ということは、はるかさん」
「なんでしょう?」
今村がなぜかノリノリだったので、その場の進行を任せることにした。それを俺とあかねで見守るというなんとも微妙な空間が出来上がっていた。この時間、いったい何?
「先ほどの言い方では、付き合っている人はいないけど、気になっている人はいるという意味で受け取ることもできます。そのあたりはどうなんでしょう?」
「うーん。そういうふうに聞こえちゃったか」
はるかさん、いちいち意味ありげな言い方をするので、こちらが緊張してしまいます。聞くほうの気持ちにもなってください。
「違うんですか?」
「そうね、そうかもしれない。きっと、わたしはあの人のことが好きなんだと思う」
「おお……」
考え込むはるかさんに、今村はただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、うろたえていた。
「どんな人?」
黙っていたあかねが、ようやく口を開いた。あまりに突然だったので、少し驚いてしまったが、すぐに視線を元に戻した。
「手の届かない人、かな。絶対に付き合ったりとか、そういう関係にはなれないんだと思ってるし、どうにもならないことも分かってる。でも、そういう相手に限って諦められなかったりするのよね」
彼女の言っていることが、俺があかねに対して抱いている言葉と同じだった。届かないと分かっていながらも、諦められない。どうしようもないのに、どうにかならないかと思っている。救いのない話だ。
最近になって気づいたことだが、きっとどうにもならないと分かっている恋愛のほうが、自分の中で盛り上がってしまうのではないかと。それ以上進展しないからこそ、距離感が一定に保たれるし、行動さえ起こさなければ振られる心配もない。とても残念な考え方ではあるが、俺があかねに対して気持ちを伝えなければ、ずっと今の友人関係を続けられる自信があった。
「なるほどね。その相手って、結婚してたりするとか、そういうの?」
「ううん、違うよ。歳も近いし、結婚とかしてないはず。どうにかしたいとか、そういう感情にはならないんだよね。だって、その人がわたしに振り向くとは思えないから。今更、そう今更なんだよね。だから、わたしはその人の幸せを願うことにしたのよ。わたしと一緒になっても、きっとそうはなれない」
「そんなこと、分からなくない? まだ、その相手さんははるかさんのこと知らないんだろ?」
あかねがそう言うと、はるかさんは首を横に振った。
「知ってるよ。結構、距離は近いほうだと思ってる。でも、それがいけなかったみたい」
これ以上話したくないという気持ちを感じ取ったのか、あかねはそれ以上の追求をしなかった。
今村は、それからしばらく使い物にならないおもちゃみたいになっていた。ショックを受けてそうなったのか、酔い潰れてそうなったのかは、判別がつかなかった。
「いやあ、今日は楽しかったな!」
「後半、ほとんど潰れていたお前が言うな」
幹事であるはずの今村は、完全に潰れてしまっていた。そのため、あかねが肩を貸していた。その光景を見て、心に霧がかかってしまった俺だったが、なんとか耐えていた。俺には、これ以上2人に近づく資格はきっとない。
「ごめん、沙希。俺、今村を家まで送ってから帰るわ」
「いや、すまんな。面倒な役目任せちゃって」
「はるかさん、またね……」
酔いが回ってしまい顔を上げることすらも厳しかったのか、今村は顔を地面に向けたままあかねと一緒に鮎川駅のほうへと消えていった。
「行っちゃったね」
「そうだね」
なぜ2人でここに残ってしまったのか。一緒に鮎川駅まで行けばよかったものを。それに、なぜはるかも俺と一緒にここで立ち尽くしているのだろう。こんなところにいると、きっと邪魔だ。
「どうする? また時間早いし、飲み直しする?」
はるかさんは、お酒が飲める人なのだとそのときに分かった。女の子って、だいたいこういうときに酔ったフリをするものだけど、そういうことは一切してこなかった。そこに、俺は好感を持ってしまった。
俺を騙すつもりはないのだと、そう受け取ってしまったのである。
先ほどまでいた居酒屋から歩いて数分の場所にあるバーに来ていた。はるかは赤ワインを頼んでいたが、想像通りの光景に納得した。よくよく聞いてみると、時々こうして来ているらしい。要は、馴染みの店だったのだ。
そんなちょっとおしゃれな店で、俺はお酒の勢いに任せてとある質問をぶつけることにした。
「はるかさんってさ、好きでもない相手でもキスするの?」
「うわ。最低な質問ランキング、ベスト10に入るかも。それ」
俺のことを馬鹿にするような目で、そう言ってきた。いや、まあ最低なことを言った自覚はある。しかし、どうやってもこう聞くしか手段が見つけられなかった。
「それで、どうなんだ」
「分かったから。そんながっつかないでよ」
もっと簡単に返事が返ってくると思っていたが、はるかさんは黙り込んでいた。前にも思ったが、はるかさんは意外と計算高い性格なのかもしれない。
「その質問の意図とかを考えず、内容だけで答えるなら『しない』かな」
「……じゃあ、俺のこと好きなの」
いや、待て待て。俺はなんてことを口走ってるんだ。うっかりにも限度があるだろう。していいうっかりと、してはいけないうっかりがある。ちなみに、これは後者だ。そうに違いない。最低だ。
「好きではない、かな。いや、どうなんだろう」
「なんだそれ」
ふわふわとした回答に、俺は思わず吹き出してしまった。
「気になる?」
「え?」
「わたしが、沙希のこと好きかどうかってこと」
小悪魔みたいな微笑みに、背筋に軽く鳥肌がたった感覚に襲われた。まだ、居酒屋の前からは一歩も動けていない。
「そう言われたら、気になるに決まってるだろ」
こんなの意地悪だ。はるかは俺のことを見透かしているくせに、分かっていないフリを続けている。それが良いか悪いかはさておき、策士だと思った。こんなにも、感情をかき乱されている。はるかの口から出てくる言葉の一つひとつが、心の壁をすり抜けようとするが、溜まっていく一方なのだ。
「だったら、ちょっと休憩していこうよ。疲れちゃったでしょ」
バーにいる時間は、体感としてはあっという間だった。俺ははるかに促されるままに、バーを出て階段を降りていった。
そのあとはるかは、俺の手を引っ張るようにして足を進めた。だが、その手の導きは決して無理矢理ではなく、むしろ優しさがあった。街の明かりはまだまだ元気で、なかなか帰してくれそうになかった。
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