第42話 シルエット・ロマンス
はるかさんのことを考えてばかりで、何もできない。それだけを聞くと、実態のない恋愛物語が始まりそうだが、決してそういうわけではない。
この状況をどうにかできないかと思い、俺は改めてはるかと話をすることにした。
「ん? 今日の夕方?」
「そう。ちょっと話したい」
「いいよ。今日はなにも用事ないし」
スムーズに話は進み、俺とはるかは夕方に会うこととなった。場所は近くの公園。この場所にした理由は、いたって単純だった。ただ、例の喫茶店だと店長に話がバレてしまう可能性があること、大学だと関係のない人に俺たちの話を聞かれる可能性があることの二つを回避するためだ。特別な理由があるわけではない。
「さて。さてさーて」
盛り上がってきましたと言いたげな音を口から発し始めたはるかは、いつもと変わらなかった。相変わらず、行動がよく分からない人である。
「今日は突然どうしたんだい?」
小さな公園で一方的に話しかけられている人がいたら、それは俺だ。はるかのテンションについていけない、俺がだめなのである。
「なにかってわけじゃないんだけど、なんとなく話したくて」
「なんだそれ?」
そう言いつつ、彼女はため息をついた。理由がよく分からないまま連れてこられたら、誰だってそう思うだろう。だが、俺は目的があって呼んでいた。けれど、それを言うタイミングが掴めていないだけだった。
「はるかさんって、好きな人とかいるの?」
「なに、その中学生みたいな質問! というか、急じゃない!?」
馬鹿にするような目で、彼女は俺に視線を投げていた。
「……いや、なんとなく気になった」
「いないと言えばいない。いると言えばいるって感じかな」
「なるほど」
「いや、聞きたかったことってそれ?」
「ほかにもあるけど、まずはそれを聞いておきたかった」
はるかにとって、他人とキスをすることはそんなに簡単なことなのだろうか。もしそうだとするならば、すごく悲しい。本人の考え方にどうこういうつもりはないが、それは俺とは
それとも、俺はペットボトルのときに試されていたのか。
「沙希はどうなの」
特に隠すつもりがなかったので、ありのままを話すことにした。どの段階まで打ち明けるかは、まだ決めかねている。
「いるよ。何も言えないまま、時間が経つばかりだけど」
今のはるかさん相手では、隠せる自信がなかった。心の奥底から溢れ出てきてしまう感情が、口からこぼれかかっていたのだ。表面張力がはたらいて、偶然留まっているだけだった。
「好きになったらだめな相手……なんだ」
「だめって、どういう意味で?」
「うーん。言葉にするのが難しいな」
もう、すべてを話してもよければ、こんなこと考える必要はなくなるのだろう。しかし、それはあかねへの裏切りにほかならない。あかねとはるかさんには直接の接点がないので、問題なさそうではあるが。
「もしや、彼氏持ちの子とか?」
「それはないな……たぶん」
あすかが男と付き合っているところは、想像すらできなかった。もしもそういう相手がいるのなら、せめて女の子であってほしいと思ってしまった。俺はなんてわがままなんだ。気持ちを絶対に打ち明けようとはせず、ただ気持ちを押し付けて、またそれを願っている。
「なんで含みをもたせているの。まあ、訳アリってことね」
心の準備がまだできていないので、ひとまずこれくらいで止めておこうと思った。なんというか、自分自身の気持ちの狭さに悲しくなった。
「そういうこと」
「それなのに、諦められないんだ」
それを言われてはっとした。俺の頭の中には、諦めるという選択肢が存在していなかったのだ。どこまで自分勝手な想いを抱えていたのかを、はるかとの会話で理解してしまった。
「……そういうことに、なるかな」
辛いとか、悲しいとか、そういうことにすればきっとこの話は終わりになる。けれど、そういった感情はなかった。ただそこにある感情を、心のフックにぶら下げていた。
「いつから好きになったの?」
「気がついたら…って言ったらアレだけど、だいたい半年前くらいからかな」
「自覚なくってわけね。それは、本当に好きなんだね」
本当にという表現が少し引っかかったが、特に意味はなさそうだったので、触れないことにした。
「それで? どういう事情があるの?」
からかってきているのかと顔を見てみると、彼女らしくない真顔になっていた。そんなに、この話の続きが気になるのだろうか。それとも、心配してくれているのか。
「相手が、男なんだよ」
「……ほう」
「だけど、女なんだよ」
「…は?」
言ったあとに、これは違うと思った。そして自分でも、この言い方はまずかったと思った。どう考えても、そう言われた相手は戸惑うに違いないからだ。性別の話なんて普段は些細な問題である。だからこそ、イレギュラーが起きると相手は戸惑う。
「つまりだな、女だけど男なんだよ」
「ちょっと、待って。そこは一旦置いておいて、次に進もう」
はるかが、あのはるかが
「それでだな、そいつは俺のことをかなり親しい友人だと思ってくれてるんだ。とてもありがたいし、嬉しいと思ってる」
正直なところ、あかねが男だろうが女だろうが、好きになっていたと思う。少なくとも、今の俺はそう思っている。
「でも、それがあるから俺はあいつに近づけないんだって思ってるんだ」
「言いたいことは、なんとなく分かったよ」
そう言って、はるかは考え込む仕草をしていた。普段から感情だけで動いていそうな彼女も、考えて発言する場面があるのかと、なぜか感心してしまった。そもそも出会った場所が合コンの会場だったこともあってか、大学での彼女の様子を詳しくは知らないのである。
「ごめんね。軽はずみなことしちゃって」
「え?」
「悪かったって言ってるの。あのときのこと」
急に謝ってきたので何事かと思ったが、きっとペットボトル事件のことを言っているのだろうと合点がいった。
「いや、いいよ。正直びっくりしたけど、別になにも考えてなかったんだろ?」
「そう。そう
「違うのか?」
なにか的外れなことを言っただろうか。そんなつもりは、なかったのだが。
「そういうことにしておく。それで、沙希はどうしたいの」
「どうしたい、とは?」
「だから、その子と今後どうなっていきたいのかってこと。仲が悪いとか、そういうことじゃないんでしょ?」
「そんなこと、考えたこともなかったよ」
「呆れた」
呆れられた。どう言えば正解とかはないだろうけど、きっとその質問に対する回答を俺は持ち合わせていない。
「どうなりたいか、そこをはっきりとさせないと後々が大変だと思うよ」
「そうなのか」
「手遅れになる前に、きちんと考える時間作りな?」
そのときのはるかは、妙に大人びていてどこか遠い目をしていた。
話がひと段落ついたところで、俺はずっと気になっていたことをあえて聞いてみることにした。たとえそれが解決しなかったとしても、湧き出てくる言葉を止める術はなかった。
「そういえばさ」
「うん?」
「昔、はるかによく似た女の子と一緒に遊んでたんだよ」
「へえ、どんな子?」
「良くも悪くも、お姉ちゃんって感じの人だったな。その人には妹がいて、責任感とかもあったんだと思う」
結果的に俺ばかりが遊びの対象になって、なぜか女装させられてたけれど。
「しっかりしたお姉ちゃんかぁ」
「そう。小さいときはどこへ行くにも一緒だったね」
遊びに出かけるときも、学校へ行くときも、どこへでも一緒だった。羽衣と七海と俺の3人は、いつでも一緒だった。あの日までは。
「今思えばって話になるけど、好きだったんだと思う」
過去の記憶に
「……えっと、もしかしてなんだけど。いや、違ってたらごめんなんだけど」
「急にぎこちないな。なに」
はるかはすーっと息を吸って吐き、右手の先をこめかみに当てた。こんな姿を俺に見せてくるのは、もしかするとこれが初めてだろうか。
「その女の子って、名字が"藤村"だったりする?」
「えっと、え?」
心臓が飛び出そうだった。落ちそうなので、誰かに拾ってもらいたい。
「……そう。そうだよ」
「そんでさ、
「なんで、羽衣のことを知ってるんだ?」
ここまで当てはまると、もはや気味が悪かった。"名探偵はるか"の称号を与えようかと思うほどだった。
「上の名前は違うけどさ、一応従姉妹だから……羽衣と」
こんな偶然、本当にあるのか。まるで、なにかの映画やドラマのようだった。いやいや、普通に考えてこんなのありえない。
それでも、ここまで言い当てるのはもっとありえない。受け入れたほうが自然だと思えた。
「それなら、もしかして俺のことも知ってて…?」
「ううん。それはない。もし知ってるなら、初めからこの話をしていたと思う」
「そうだよな。はは……」
乾いた笑いが止まらなかった。どうりで、似ているわけだ。
「そっか。それで、合コンのときにじっと私のことばかり見てきたのね」
「あのときは、本当に申し訳ないと思ってるよ。初対面の相手にずっと見られてたら、怖いよな」
「そうね、たしかに」
やっと話が噛み合ったおかげか、はるかのことをより近くに感じてしまうような気がした。あかねに対してとはまた違った不思議な感情に、どうしたものかと考えていた。悩みを相談したことで、悩みの種を増やしてしまってどうする。
「それじゃ、また明日大学でね」
「おう。また」
用事ができたとかなんとかで、公園をあとにしたはるかは小走りで去っていった。その場から動けなかった俺は、結果的にはるかの後ろ姿を見続けていた。
ずいぶん遠くへ行ってしまった彼女の後ろ姿は、あの日の羽衣にそっくりだった。それを見た俺にはもう、彼女の言葉を疑う余地はなかった。そして、俺は決してはるかに対して特別な感情を抱いてはいけないのだと、思い知った。
君の姿は、紛れもなく羽衣に似ている。
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