第6話 先輩たちの送別会

 俺はまだ女としての高校生活を始めてから、二か月程しかたっていない。女としてとは言っても、男としての生活をずっと繰り返してきた俺にとって、戸惑いの連続だった。髪を伸ばし、女子用の制服に身を包み生活を送っていた。女を装うことすらも、俺にはできていない気がしていた。それほどに、未知の領域なのだ。

 そういった経緯もあり、最近は紗那にいろいろと教えてもらっている。一番身近な女の子である七海に聞けばいいのではないかと思われるかもしれないが、身内に聞くのは恥ずかしいのである。


 実は紗那には、意外な一面がある。生徒会役員の一員なのだ。いかにも向いてなさそうな雰囲気はあるが、それなりに仕事はこなせているらしい。ちなみに役職は書記だ。

 今日もいつも通りに何かを教えてもらおうと紗那の元へ行くと、今日は生徒会の集まりがあると言ってきた。

「沙希もついてくる? 先輩たち居るけど、きちんと集まるのは今日が最後なの」

「何かあるの?」

 俺がそう言うと、紗那は少し悲しそうな顔をした。

「実はね、今日は先輩たちの送別会をするの」

 つまり、生徒会での最後の集まりは、卒業する先輩たちの送別会ということだ。会長と副会長、会計の三人だけなのだそうだ。とはいっても、三人とも半年前に任期は終了しているのだけれど。三年生の任期は前期までだ。今の会長と副会長、会計は別の人が担当している。

「できれば来てほしいかな」

「そういうことなら、ついていくよ」


 生徒会という組織があり、学校の運営を生徒の立場から支えているのは知っていた。日々の何気ない日常を守ってくれていたり、イベントごとに運営をしていたりと活躍している。その活躍の場面が目に見えづらいので、生徒会が何をしているのかイメージできない人は多いと思う。ちなみに俺もついこの間までは、そのうちの一人だった。

「こんにちは」

「……失礼します」

「紗那、待ってたよ。あれ、お客さんかな?」

「そう、わたしの友達の沙希よ。ここにいるのは、南崎先輩だけなの?」

 この人は南崎というらしい。名前を聞いて思い出したが、性格がいいということで有名で、主に後輩女子からの人気が高い。見た目は、俺の見る限りでは普通だけれど、おそらく補正がかかっているのだろう。生徒会の中での役職は、会計とのことだ。

 周りを見通すと、書類などももちろんある。しかし、それ以上に気になったのがダーツセットだった。準備をすると、すぐにできそうな感じだ。あとはビンゴ用紙。もしかすると、抽選台もあるのだろうか。

 ここが、ただの生徒会室じゃないことだけは確かだ。……ボードゲームまであった。いや、本当に生徒会室なのか?

「会長は見崎先生の手伝いに連れていかれたよ」

 見崎先生は、生徒会の顧問教諭である。ただし、授業を受け持っているわけではないので、学内での知名度は低い。

「あれ、見崎先生は今日のこと知らないの?」

 今日のことというのは、当然ながら送別会のことである。みんなの予定が合うようにと遅めに開始時刻が決められていたが、どうも帰ってくる様子がない。

 今日の主役は、生徒会長である春沢さんと副会長の塩見さん、そして会計の南崎さんだ。


 紗那がお茶を淹れていると、生徒会室のドアが開く音がした。そこにいたのは、約一年前に体育館で演説をしたときにだけみたことのある顔だった。

「ただいま。あれ、生徒会役員に立候補してくれるのかな?」

 俺の方を向いて、会長はそう言った。本来であれば部外者なので、席を外したほうがいいのかもしれないと思っていた。

「いえ、そういうわけでは……二年の中津です」

「わたしが誘ったんです。どうせなら少しくらい人数が多いほうがいいかなと思って」

 紗那が事情を話すと、春沢会長が一瞬納得したように目を閉じた。その後、何を思ったのかこちらに手を差し伸べてきた。

「よろしく。元生徒会長の春沢です」

 ここで握手をしないというのも不自然なので、俺も手を差し伸べた。さりげなく微笑んできたので、これはモテる人の仕草なのだろうとすぐに察した。脚色なしでも、十分に会長は容姿に恵まれていると思う。男が嫌う男といったところだろうか。彼女がいっぱいいて困っているんだよねと言われても、違和感はなかった。

「ちなみに春沢って呼び捨てでいいから」

「一応、先輩なのに」

 俺がそう言うと、春沢さんはなんだか照れくさそうにしていた。

「いやね、先輩扱いされるのが苦手なんだよ」

 なんとも言えない理由に、俺は笑ってしまった。後輩には呼び捨てでいいと言っているが、その効果はないとのことだ。なぜだろうと本人は困っていたけれど、当たり前だと思った。

 今は違うとはいえ、元生徒会長というからには、俺の正体も知っていそうだ。しかし、その話を振ってくることは無かった。これは、彼なりの配慮なのだろうか。

「じゃあ、一応そろったことだし始めましょうか」

「そうですね」

 生徒会室の中央付近にある机に、お菓子の袋やジュースの入ったペットボトルが用意されていく。本当にここにいていいのかと少し悩んだが、春沢さんが受け入れてくれているので無問題だろうということで結論付けた。


 この高校の生徒会は規模が小さい。生徒会長と副会長、それに加えて書記と会計の合わせて四人で運営されているのだ。ほんの数年前までは、書記と会計は二名体制だったらしいのだが、桜ヶ丘高校の生徒数の減少によって減らされた。それ以降も特に問題が起きていないため、今の四人での運営が続いているのだそうだ。仕事量に合っていないとまではいかないものの、行事運営のときには少し苦労するらしい。

「見崎先生には何度か相談したんだけどね。難しいって全部断られたよ」

 一部の先生たちは増やしたほうがいいと分かってくれていた。しかし、少数の反対意見を無視できないのだ。多数決ですべてが決まればいいのだが、そうするほどの問題とはとらえていない人もいるのが現状なのだ。

「五年連続の在校生減少および入学者減少は、もう無視できない領域に入ってるってことだよ」

 根本的な原因が解消されない以上、生徒会運営どころの話ではないのだ。春沢さんは、どうにかしてこの問題に立ち向かおうとしたらしい。しかし、具体案が思いつかず、計画立案でさえも実行には移せなかった。つまり、現状維持が精いっぱいだったのだ。

 生徒会ができることなんて限られている。漫画やアニメのように、特別な権限が与えられてるわけではないのだ。

「…やっぱり廃校になるんですか?」

「いや、ずっと言われてきたことなんだよ。ここが廃校になるっていう話は」

 地元に住んでいるからこそ、この噂話は何度も耳にしていた。しかし、それが言われ始めたのはずいぶんと前からなので、冗談のような感じで語られることが多かった。入学後もその感覚は抜けていなかったのだが、生徒会としては危機感があったらしい。立場上、知りたくもないような情報を耳にしてしまうこともあるのだそうだ。

 まさか、ここまで現実的に話が進んでいるとは思っていなかった。通っている学校が廃校になるかもしれない。もし回避できたとしても、根本的な解決が出来なければ、いずれは廃校になる。


 この高校の悪い点の一つに、生徒が少ない所があげられる。一学年あたりに、かろうじて一クラスあるというのが、現状である。本校設立当初は、一学年に六クラスあったという記録が残っているらしい。そう考えると、今がいかに危機的な状況なのかは明らかだ。しかし、生徒会にはどうすることもできない。それが春沢さんの本音だった。

「ほんと、ここって田舎なんだなって思うよね」

 生徒会長という肩書きを失くした後も、春沢さんは積極的に生徒会運営に参加していたらしい。どんだけこの高校好きなんだよ、会長。

「できれば来年度は、いい便りが来てほしいけどね」

「春沢さん……」

 紗那を可愛がっているのは、そういう部分も含めてなのだろうか。在校生でなくなるというのは、もう桜ヶ丘高校に関われる場面がなくなるということだ。これは、大げさな表現かもしれないが、春沢さんは自分の意思を継いでくれる『後輩』を育てたかったのだ。廃校にはさせたくなかった。それなら、どうすれば最善かを考え抜いたのだろう。

 だが、最善と最適が同じ方向を向いているとは限らない。そもそも、高校全体を動かすことの大変さは、彼らがよく分かっているだろう。

「上宮さんが出来る範囲で頑張ってくれれば、俺はそれで十分だから」

 どんな気持ちで、紗那は春沢さんの言葉を受け取ったのだろう。重くないようで、とても重い言葉を贈られた。

「……はい、頑張ります。私、頑張りますよ」

 その言葉を聞いた春沢さんの顔は、少しだけ明るくなったように見えた。


「遅くまで付き合ってもらって、ありがとうね」

「いいよ。好きで付いてきただけだから」

 結果的に送別会は七時過ぎまで続いた。もっと続きそうな雰囲気はあったが、見回りに来た芹澤先生から、早く鍵かけたいからそろそろと言われた。もっとも、すぐに切り上げた理由は、先生のあまりに疲れた顔を見てしまったためだ。

「こんな時間まで学校に残ったの、すごく久しぶり」

 学校の周りは見渡す限りの田畑が広がるようなところであるため、街灯などはない。真っ暗な道をただひたすらに歩くしかないのである。比喩表現でもなんでもなく、ここには本当に何もない。

「ほんと暗いよね」

 すぐ隣にいるはずの紗那がはっきりと見えないほどに、あたりは暗い。たまに横を通る車の光だけが、俺たちを照らす。

「ねえ、沙希」

「どうしたの?」

 顔こそ見えなかったものの、紗那が何か言いたげな表情を浮かべていることは、感覚的に分かった。弱々しい口調になっていることが、何よりの証拠である。相談事だろうか。

「生徒会…もしよければ入ってくれないかな?」

 それは相談というよりもお願いに近い内容だった。紗那によると、生徒会役員選挙が近々行われるらしい。ただ、立候補者があまり集まらず、今のところ紗那を含めて二人らしい。最終手段はあるらしいのだが、出来るだけ知っている人が生徒会に入ってほしいとのことだった。

「でも、私でいいの? 全くの未経験者だけど」

「問題ないよ。ここの生徒会は、役員同士で助け合うのがルールだから」

 それはなんとなく分かっていた。さっきまで行われていた送別会での、四人の一体感があったからである。しかし、今まで生徒会どころか委員会にも属したことがない。

「一応考えるだけでもお願い。もちろん、強制ではないから」

 さっきの話を聞いてからだと、いろいろと考えてしまうところがある。役に立つようなことがあるのなら、ぜひ協力したい。だが、それは俺が生徒会運営に携わることと同義なのだろうか。


 そもそも、問題を抱えている俺が、生徒会に入ってもいいのだろうか……。

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