第47話 会いに来ました

 藤村家ノ墓と書かれてある墓石の前にいた。

 俺は、羽衣と七海以外の藤村家の人とはあまり関わりがなかった。藤村の本家からは、あまり中津家のことをよくは思われていないのである。まあ、家同士の仲が非常に悪いといえば分かりやすいだろうか。

「羽衣、久しぶりだね。いろいろあって、今は男で生きることにしたんだ。今だから言えるんだけど、羽衣の秘密を見つけてしまったよ。読んでいいのかは分からなかったけど、ちゃんと羽衣の生きた跡を見つけられたよ」

 俺はある意味、やっと落ち着いて羽衣に会えるようになったと思う。先入観も思い込みもなし、フラットな状態でいられるのは、きっと時間と環境が解決してくれたおかげなのだろう。もし俺がこんな体になっていなければ、羽衣の過去を知ることはできなかった。それは、とても不思議な感覚だった。

「実は、気になってる人がいるんだ。でも、距離が近くてそういう間柄ではないし、この先もそれはきっと変わらない。相手が俺に振り向くことはないと思うし、どちらかというと俺が離れていくしかないんだと思ってる。分かってるけど、どうしようもできない」

 いったい、俺は羽衣になにをしゃべってるんだろう。

 羽衣ならきっと、なにも言わずに黙って話を聞いてくれると、そう考えた。そして、こんなことを言うのだ。

『そんなことで悩んでてどうするの』

「羽衣は、俺のことどう思ってたんだ…?」

 考えても、悩んでも、結論はでない。そして、今後も答え合わせはできない。それでも、以前の俺に比べれば変わった。変わってしまった。

 森本での生活を離れ、七海とはめったに会わなくなった。そのせいか、羽衣のことを考える時間は減っている。

「あと、さ。俺、好きな人できた。すごく頼り甲斐があるから、ついつい頼っちゃうんだけど、いつも助けてくれるんだ。でも、一番相談したい内容は相談できないんだ」

 本心から接してしまうと、その関係は崩壊する。それほどに、この関係はあかねの俺に対する友情と俺があかねに抱く恋愛感情が入り乱れて、絶妙なバランスを保っているのである。

 伝えることが、本当にいいことなのか。そんなことはきっと誰にも分からない。

「じゃあ、聞いてくれてありがとう。また来る」

 そう伝えて立ち上がると、隣に七海がやってきた。タイミングがよかったというよりは、どこかに隠れていたのだろう。気を利かせて離れているとは思っていたが、どこまでこの子はできる子なんだ。

「羽衣お姉ちゃんと話せた?」

「まあ、それなりに」

 近くにある自販機でホットコーヒーの缶を買い、飲みながら休むことにした。七海と会話をすることはなく、なんともいえない余韻に浸っていた。そしてもう、羽衣を理由にして自分から逃げることはやめようと決めた。


 バスと電車を使って実家に帰ると、母がテレビを見ながら過ごしていた。年末期間なのでいつも通り忙しいと思っていたが、今年はそれほどでもないのだろうか。

「……ただいま」

「おかえり。羽衣ちゃんのところ、行ってたの?」

 七海から事前に話を聞いていたのか、すぐにそんなことを質問された。必ずといってもいいほど、俺は此花に行くごとに羽衣のところへ行っていたからだ。

「そう」

「どうだった…?」

 母が羽衣に関する話題を振ってくるのは、とても珍しいことだった。俺と羽衣のことを気にしてくれていたのか、羽衣の話を母からされることはなかったはずなのだ。

「やっと、羽衣とまともに話せた気がするよ。今までは、俺の自己嫌悪を伝えるばかりだったから」

 悩みは時間が解決するものだとよく人は言うが、俺はずっとその言葉を信用していなかった。なぜなら、時間が経つごとにその感情は肥大化していき、取り返しがつかない状況に陥っていたからである。

 ある意味では失礼な話だとは思うが、あかねとの出会いによって、羽衣との関係性が変わった。

 大学生になる前までは、すべてが羽衣を中心に回っていると言っても過言ではないくらいに、日常の節々に羽衣を思い出していた。それは、羽衣の実妹である七海との共同生活が続いていたからだろう。原因はほかにもあったけれど、どう考えてもそれが大きな比重を占めていた。しかし、俺はその環境から飛び出すという選択をした。そのおかげで、羽衣のことを思い出す頻度が減ったのである。正確にいえば、思い出すきっかけがなくなった。新しい環境、新しい人間関係。ほとんどが総入れ替えとなった状況で、それを思い出すような場面は訪れなかった。

 俺は、七海といることで羽衣のことを思い出していた。

 離れた直後は、場所が変わっても意味がないと思っていたが、時間を経ていくとかなり感情が変わっていた。

「そっか。それは、沙希にとっていいこと?」

「うん」

「もう、羽衣ちゃんのことは大丈夫なのね」

「そう言われたら難しいけど、昔ほどじゃないよ」

 昔といっても、実際のところ俺自身はあまり覚えていなかった。自分自身が体調不良に陥った場合に気づきにくいのと、おそらく似ている。周りから顔色が悪いといわれなければ、ずっと気づかないままむしばまれていくのである。それが、今の俺からは抜けている。

「あっちでなにかあったんでしょ」

「まあね。そのおかげで、別のことが気になってるけど」

「そうなんだ。…それなら、次はわたしの話をしてもいい?」

 母が自分の話をしたがることなんて、今まであっただろうか。お互いに過干渉しないという暗黙の了解があるので、自己開示をあまりしていない。必要なときだけ、必要な話をする。その生活を送っていた。

 俺が性転化現象に悩んでいた時期を境に、その関係は少しずつ解けているようなきもしていた。この現象は俺の体を変えること以上に、環境までもが確実に変わっている。それをここ最近でとても実感していた。

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