第35話 クリスマスにこぼれた涙

「それって、あかねが高校生のときの話か」

 思い切って尋ねてみると、あかねは静かにうなずいた。

 その様子を見て、俺は謎の背徳感を覚えた。なぜなら、これがあかねの隠してきた、パンドラの箱であることは間違いなかったからだ。

「そうだよ。でも、付き合ってること自体は、誰にも言ってなかったね。というか、誰にも言えなかった。他人の恋愛事情なんてものは、さらさら興味がなかった。誰が誰を好きとか、どうやってアプローチをするか、なんてくだらないことだと思っていた。だけれど、女子が集まった会話の中で恋愛に関する話をしないことは、めったになかった」

 ここで、あかねはひと呼吸おいていた。今まで誰にも話していなかった影響なのか、一度開けた蛇口を再び閉めることは、難しそうだった。

「俺は、そうなるずっと前から、自分のことは男だと思って過ごしてきた。でも、まわりから見れば、俺は周囲の女子高生の中に溶け込んだうちの1人でしかなかった」

「自分のことを誰かに話そうとは、思わなかったの?」

「思わない……というか、思えなかったね。だって、それはみんなに迷惑をかけることになると、分かっていたからね」

 周囲からのレッテルや印象というのは、一度貼られるとなかなかはがすことができないものだ。それが性別となれば、なおさらだったはず。無意識のうちに、あの人は男だからとか女だからという認識を、多かれ少なかれしているはずなのだ。それを変えるのは、至難の業だ。


 俺はあかねの気持ちに寄り添うことができても、共有することはできない。しかしながら、想像するだけでも苦しんでいることは伝わってきていた。


「要するに、まわりから見れば、俺に彼女ができたとしても、ただの仲のいい女同士としてしか認識されない」

 そして、それはまわりだけでなく、当人たちも同様だった。

 例えば、誰かが抱いたあかねへの好きだという気持ちが、必ずしも恋愛的な好きだとは限らない。友情的な意味なのかもしれない。

 だが、そんなある日に、あかねへの恋愛感情を伝えてきた女の子がいたらしい。

「それで、あかねはどうしたの」

 わずかにあかねは表情が固くなったが、すぐに戻った。

「受け入れたよ。俺の、初めての彼女だった」

 ゆっくりと、ゆっくりとあかねは言葉を紡いでいった。まるで手の届かない落とし物を探しているような雰囲気があった。

「彼女はできたけど、いわゆる女同士の恋愛になるわけよ。まあつまり、彼女は女の子が好きな女の子だったんだ」

 同性同士での付き合いというのは、どんな感じなのだろうか。おそらく、異性同士の恋愛と大差ないはずだ。

 なぜなら、ここまでのあかねの話を聞いていて、俺はある事柄について確信をもってしまったのだ。それは、俺があかねのことを恋愛的に好きだということである。


 今までの俺は、ずっとそのことから逃げていた。『相手は心が男だから』だとか、『俺は男を好きになるはずがない』とか、理由を無理やり探して、ずっと避けていた。だがこれらの行動は、ある意味失礼なのではないだろうか。そう思うようになってきたのである。

 自己満足なのかもしれない。ただの勘違い野郎なのかもしれない。だが、俺はここで決意した。

“あかねへの気持ちに素直になろう”と。


「じゃあ、彼女はあかねのことを女の子だと思って付き合ってたってことね」

 当たり前なことだと思うかもしれない。生活の中に『性別』が無意識のうちに溶け込んでいるからこそ、それに苦しんでいるあかねのような存在を認識できない人がいる。

 言葉にすれば簡単な話ではあるものの、そこには様々な事情が絡んでいて、核心部分には誰も手を触れようとしない。それが『性別』なのだ。

「ずっと、あかね自身の事情は話さなかったのか?」

「いや、途中で話したよ。それを聞いた彼女は、泣いてた。『そんなつらいこと、1人で抱え込んじゃだめだよ』ってね。てっきり非難されると思ってた俺は、すっかり拍子抜けしちゃってさ。この子と一緒なら、安心して過ごせると思った。彼女には、それ以降隠し事はなしにしたんだ。過去のことも含めて、悩みは抱え込まないようにしようと、2人で話し合って決めていた。だから、この子と一緒にいる時間は、本当に何も考えずに素の自分を出せると、心の底から思っていたんだ」

 だが、その生活は長く続かなかったらしい。どこからもれてしまったのか、あかねとその女の子が付き合っているという噂が、いつのまにか広まっていたのだそう。それだけならよかったが、そのことについての悪意のある言葉が、あかねの彼女に降りそそいだ。

「そして、そこで俺は思ったんだ。俺は彼女と一緒にいることで幸せな気持ちになるけれど、彼女は俺といないところで不幸になっている、と。要するに、俺はその環境に耐えられない。彼女はきっと、その環境を受け入れてしまう」

 よほどつらい記憶なのか、あかねは奥歯をきつくかみしめていた。

「だからこそ、離れようと思った。これ以上、彼女をつらくさせるなら、お互いに離れて1人でいたほうが楽だということに気づいたんだ。聞いているだけでつらくなるような環境を、俺だけが逃れられるなんて、そんなことがあってはならないんだ」

「あかね……」

 あかねの目には、今にもこぼれ落ちそうな涙があった。

「俺と一緒にいることを、彼女は『幸せ』だと言ってくれた。でも、一緒にいることで、彼女を『幸せ』にできないことを分かってしまったんだ」


 あかねからの過去の告白に、俺はめまいすら感じていた。

 すべてを理解することはできない。結局のところ、他人の考えていることを一言一句理解することは、とても難易度が高い。けれども、あかねが求めているのは、果たして共感してくれる“だけの”相手なのだろうか。


「クリスマスになんて話をさせるんだよ、お前は」


 無理に作ったであろう笑顔を、あかねは俺に向けてきていた。

 こんなときでも俺に気を遣ってくれるあかねのことが、俺はただどうしようもなく好きだ。

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