11.


 トクナはさほど遠くなく、昼過ぎには街並みが見えてきた。ロジェの出向元であるアカツキ領の隣にあり、漁業が盛んな地域である。


 海の匂いがすると、帰ってきたという感覚が身を包む。といっても、ロジェが王都へ出向したのは2ヶ月ほど前なので、それほど懐かしさは感じなかった。

 ロジェは馬を早めて、ザザドの横に並ぶ。


「閣下はアンリール元妃のご実家に行かれるんですよね? 僕は別行動しても問題ないでしょうか。各施設を前もってしっかり見ておきたいので」

「大丈夫だと思います。殿下には伝えておきますので、このまま行かれて良いですよ」

「ありがとうございます」


 手綱を引いて進路を変え、ロジェは行き先を海へ定める。


 前もって地形は確認していたので、迷うことも無かった。波の音が聞こえてくると、ちらほらと当該施設が見え始める。報告書に違わず、かなり古い建物だ。

 石造りの建物には、所々崩れ落ちている箇所もある。掛けられた看板は、腐食して文字が読めなくなっているほどだ。


(……うん。確かに古い。……外観は酷いけど、中はどうかな?)


 中も見てみようと、近くの漁師に声を掛ける。漁師はロジェが文官だと分かると、二つ返事で中へと入れてくれた。

 施設は一階が海産物の加工場、二階は漁協組合の事務所になっているようだ。


 漁師はロジェを誘導し、問題のある場所を次々と教えてくれた。

 基礎がむき出しになった壁、雨漏りと称するには可愛すぎる、天井からの雨の侵入。天候が悪い日は間違いなく作業に支障が出るだろう。

 漁師の訴えをひとつひとつ丁寧に聞いて、ロジェは穏やかに微笑んだ。


「閣下は、この漁場を大切に思っております。一刻も早く対処せよとの命でしたので、直ぐに修繕が始まりますよ」

「……っ! ありがとうございます! それを聞いて安心しました! 将軍閣下は噂と違い、お優しい方なのですね……!」


 漁師がロジェの手を握り、ぶんぶんと上下に振る。漁師と言えど魔族なので、かなり力が強い。お陰でロジェの身体は、握手と共にがくがくと揺れ動いてしまった。しかし嬉しそうな様子を見ていると、こちらもにこにこと笑みを零してしまう。


 ロジェがルキウスと別行動したのは、これが目的だった。王族を前にしては本音など引っ込んでしまうだろう。素の言葉を引き出すにはこれが一番だ。

 それに加えて、冷酷と言われているルキウスの印象を、少しでも変えることが出来るかもしれないと思ったのだ。

 お上の考えを聞くと、民衆は安心する。文官であるロジェからの言葉だったら、信憑性もあるだろう。


 漁師らに礼を言って、ロジェは次の施設へ向かう。修繕が必要な施設は4つある。ルキウスらが用事を済ませている間に、ロジェはすべての施設を回っておきたかった。

 ロジェは施設を出ると、すぐさま馬に飛び乗った。



 4つめの施設は造船所で、ここの老朽化が一番激しかった。ロジェは漁師たちから一通りの話を聞いて、最後は浜辺を案内してもらう。


 視察の時間までにはまだ時間があったので、ロジェは漁師たちと世間話を楽しんだ。

 漁師たちは気が良くて、初対面のロジェにも親しく接してくれる。大笑いして会話を交わせるまで、時間は掛からなかった。


「へぇ、ルキウス殿下って、めちゃくちゃ恐ろしい印象しかなかったですが……案外お優しいんですね」

「厳しいですけど、皆さんのことは気に掛けてらっしゃいますよ。閣下は海産物がお好きですからね」


 ロジェはルキウスの好みを完璧に把握していて、彼が大の魚好きだという事も知っている。

 戦の帰りに漁場の様子を見に行くこともあるらしく、部下に新鮮な魚介を買って来させることもあるらしい。

 ロジェはにこやかに微笑んで、漁師らを見回す。


「施設が修繕されたら、たくさん美味しい海産物を人々に届けてくださいね。僕も魚介は大好きなので、これからも…………どうしました?」


 突如として、朗らかにしていた漁師たちに異変が起きる。ロジェの目の前にいた漁師が、いきなり青ざめたのだ。

 何事かと振り向けば、そこにはルキウスと側近二人が立っていた。


 ルキウスは腕を組んだままロジェを見下ろし、側近二人はその後ろで無表情のまま立っている。

 威圧感を垂れ流した佇まいに、漁師たちは慌てて膝を付き、頭を垂れる。


 ルキウスへの印象が和らいだはずだったのに、生の彼が垂れ流す圧が強過ぎた。せめて民衆の前では穏やかで居て欲しいものだ。

 しかし当のルキウスは漁師たちには一瞥もくれず、不機嫌そうに口を開く。


「おい、馬鹿猫。お前には首輪がいるな」

「……え? 猫? どこです?」


 ロジェはきょろきょろと視線をさ迷わせ、当該の『猫』を探した。漁場には猫が住みつきやすいので、この辺りに潜んでいるのかもしれない。


 ルキウスが首輪を付けたいほどの猫だとしたら、きっと可愛らしいのだろう。猫好きのロジェは、その姿をわくわくとした気持ちで追い求める。

 しかしいくら探しても、近くに猫はいない。そうこうしているうちに、ルキウスから首根っこを掴まれた。


「昼飯は食ったのか?」

「……僕がですか? それともお探しの猫がですか?」

「……チッ、躾が必要だな」


 首根っこを掴まれ、ロジェはずるずると物のように引き摺られた。

 必死に足を動かすと、今度は爪先が宙に浮くほどに高く引き上げられる。結果的に猫のように運搬されながら、ロジェはルキウスの顔を見上げた。


 眉根には深い皺、堅く閉じられた唇。どうやらご機嫌ななめのようだ。いつのまにかロジェは、ルキウスの地雷を踏み抜いたらしい。


「……まだ視察の時間じゃないですよね?」

「……」

「閣下? 唇ひっついてます?」

「黙れ」 


 黙れと言われれば、黙るしかない。造船所の陰まで移動させられ、ロジェはやっと降ろしてもらえた。


 乱れた衣服を正していると、ザザドがロジェへと包み紙を差し出してくる。首を捻りつつ包みを開けば、大ぶりのサンドイッチが顔を出した。

 鮮やかな野菜がパンを彩り、ベーコンのスパイシーな香りがふわりと昇る。ロジェは顔を輝かせ、ザザドへと視線を戻した。


「これ、食べていいんですか⁉」

「やはり昼食はまだでしたか……。待っていますので、ゆっくり食べて下さい」

「分かりました! ありがとうございます!」


 アンリールの実家で作られたものなのか、サンドイッチに使われているパンは貴族が好みそうな柔らかな生地だった。

 ロジェは立ったまま口を大きく開け、大きなサンドイッチに挑む。


 下の歯をサンドイッチの下のパンに当て、あごを僅かに上げる。少しだけパンがひしゃげたところを上あごで挟み込み、大きく食いついた。

 野菜の触感が心地よく、つい頬が緩む。次いでやってきたのは、辛味の効いたソースだ。


「う、ま」 


 咀嚼しながら言葉を漏らし、二口三口と立て続けに齧る。ロジェは頬をぱんぱんにしながら、空いている手を鞄へと突っ込む。

 そこから取り出したのは手帳で、視察の行程がびっしりと書き込まれたものだ。

 咀嚼しながら頭を整理していると、ルキウスから声が掛かる。


「お前は、何という飯の食い方をする」

「……む?」


 いつから見ていたのだろうか。ルキウスはこちらを向いて立っていた。

 文官の食事風景など見ていても楽しいものではないだろう。現に彼は更に不機嫌な様子になり、への字に湾曲した唇からは今にも怒号が飛び出しそうだ。

 ザザドとルトルクも、ロジェを見て目を瞬かせている。


「……まさに、社畜といった感じですね」

「あじ、してる?」

「……んん、ん!」


 ロジェがこくこくと首を縦に振るも、ルキウスは怪訝な顔のままだ。


 ここ数年、ロジェはゆっくりと食事を楽しむことなど無かった。食事は美味しいと感じているが、どうしても途中で思考が切り替わってしまう。食事している間すら惜しく、何かをしていなければ気が休まらないのだ。


 同僚からも指摘を受けていたが、なかなか治せない悪癖だった。

 欠片になってしまったサンドイッチを口に放り込み、数回噛むと飲み下す。包みをくしゃりと手の中で潰し、ロジェは大きく頷いた。


「さぁ、視察に行きましょう。前倒ししても問題ない時間帯です」

「……」


 ルキウスの冷たい視線が突き刺さる。気付かないふりをして歩みを進めれば、ロジェの頭の中はもう既に、視察の事に切り替わっていた。

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