5.


 ルキウスの執務室は、赤を基調とした造りになっている。白銀の髪が赤い背景に映えるが、威圧感も増していることに彼は気付いているのだろうか。

 ロジェは小さく喉を鳴らして、口を開く。


「ソーリャ村の取水施設の件ですが、隣町の業者の方が安く請け負ってくれます。これにより、大幅に公費を削減できます。浮いた分は農業支援に当てようと思うのですが、如何でしょうか?」


 ロジェは手元の書類を捲りながら、淀みなく読み上げる。

 目の前のルキウスは黒い軍服に身を包み、椅子に座ったまま足を執務机に投げ出していた。

 自慢するつもりはないのだろうが、長い脚が男前に拍車を掛けている。悔しい事に、ロジェの胸はきゅんきゅんと騒ぎはじめ、軍服の彼を思うがまま堪能しそうになってしまった。

 しかしロジェはぐっと絶え、真顔を通す。これも16年間の訓練の賜物である。


 目の前のルキウスが、ついと眉山を吊り上げた。この仕草は変わらないなんて、神様はやはり残酷だ。


「……お前、よく俺の前に出てこれたな」

「どういう意味でしょうか」

「昨晩、俺に抱かれたことを忘れたか」


 一瞬身構えるが、ロジェは直ぐに持ち直した。


「もちろん覚えております、閣下。しかしその件とこの件は、まったくの別物です」


 捲っていた書類を戻し、ロジェはきっぱりと言い放つ。しかし負けじと、ルキウスは言い返した。


「こんな些末な案件、今まではそちらで処理していただろう。それをわざわざ執務室まで出向いてくるなど……お前……何を考えている?」

「何って……許可を取りに来ただけですが」

「……得体の知れない奴だ。あれだけ尊厳を傷つけられて、良く姿を見せられたな」

「だから、その件とこの件は、まったくの別物だと言っているでしょう! 昨晩の事を、蒸し返さないでください!」


 ロジェは歩を進め、書類をルキウスの脚の下へねじ込んだ。その不遜な行動に、ルキウスは眉をぴくりと動かす。

 冷気を纏った威圧感が漏れ出し、控えていた側近が息を呑むのが分かる。誰もが委縮するような空気の中、ロジェは背筋をぐっと伸ばした。

 俯かないように、顎を上げる。


 ロジェは文官としての義務を果たすべく、執務室に来ている。だからルキウスも領地を束ねる大領主として、ロジェの報告を真剣に聞くべきだ。

 しかし彼の口から出てくるのは、昨晩の事ばかり。真面目に仕事をしに来た部下への態度としては、不適切としか言いようがない。

 こんな態度を見せつけられると、過去に報告に来た文官が精神を病んだという話も、真実味を帯びてくるというものだ。


 ロジェは肺いっぱいに息を吸い込んだ。怒りで声が震えそうになるのを堪え、低く静かに捲し立てる。


「今回の案件などは、確かに今までであればこちらで処理していたようです。しかし過去の案件を遡ったところ、修繕の担当業者は総じて、役所を預かる貴族の息のかかったところばかりが担当しています。隣町の業者と比べると、工賃が2倍です。……随分と貴族にお優しいようですね」


 肺の空気を使い切ると、ロジェはもう一度大きく息を吸った。


「この明け透けな癒着に、誰も気づかないわけがありません。それなのに閣下へ話が渡らなかったのは、何故だと思いますか? あなたが怖いからですよ。その態度、真面目に仕事をしている部下に向けるものですか?」


 ロジェは真っ直ぐにルキウスを見据え、毅然とした態度で訴える。

 もう引き返せない。一つ言ってしまったのだから、十まで吐いてしまえ。

 これで理解されなかったら悲しいが、何度も訴えるしかない。ルキウスの為にも現状を知ってもらうべきだ。

 ロジェは唇をひと噛みして、残りの言葉を吐き出す。


「あいにく僕は、閣下が怖くありません。今後もこのようなことがあれば、提言させて頂く所存です。以上。どうぞ、暴言でも暴力でも、僕は怯みませんので」


 ふんと息を吐き、ロジェは肩を竦める。挑戦的にルキウスを見据えるが、その緑の瞳には何の変化も無かった。怒りも驚きもないように見える。

 ルキウスは書類を踵で蹴り落とし、形の整った唇を開く。


「……で? お前はどっちだ?」

「……は?」


 ロジェから、困惑の声が漏れる。どっちだ、なんて、いったい何のことを言っているのか。

 ルキウスは腕を組み、僅かに首を倒しながらロジェへと問う。


「無理やりヤられておきながら、俺の前に姿を現す輩はどちらかに限られている。俺にまた抱かれたいか、それだけでなく愛人の座に収まりたいか。……お前はどっちだと聞いている」

「……なに、を……」

「お前のその容姿。男でありながら雄を誘うことに長けているらしい。……初心な振りをして、房中術にも長けていたのかもしれないな。こうして俺をたきつけて、懐に潜り込む魂胆か?」

「……っ!!」


 ロジェのこめかみが、ぶちりと音を立てる。気付けば鼻梁に可能な限りの皺を寄せ、威嚇するようにルキウスを見据えていた。


「っざけんな! あんなに独り善がりのセックスなんて、俺が気に入るかよ!!」

「…………ほう? なるほどなぁ……」


 ルキウスの脚が、ゆっくりと地面へと降ろされる。しまった、と思った時には遅かった。

 後退りしようとした足が、まるで地面に縫い付けられたかのように動かない。

 ルキウスは不穏な空気を垂れ流し、視線だけを側近へと移す。


「今日の業務はここまで。出ていけ」

「御意」


 足早に去っていく側近たちと共に、ロジェも退出したかった。しかしやはり脚は動かず「文官は残れ」という低い声でとどめを刺される。


「悪かったな。独り善がりなセックスで」


 ルキウスの手が、ロジェの肩を掴む。その大きくて重い手は、いつでもロジェの肩を砕くことが出来るだろう。本能が危機感を煽り、更に身体が強張った。


「しかし残念だ。お前が着衣を望むから、愛撫も碌に出来ん。……ああそうだ、着衣した状態でも善く出来るか、試させてもらおうか」

「……こ、今宵の相手は、もう既に手配ができております。僕は……」

「……僕? 先ほどの威勢はどうした? 子羊文官の皮を被るな」


 肩にあった手がするりと上がり、首筋までたどり着く。親指で耳朶を撫でられ、ぞくりと背中が粟立った。

 耳元にルキウスの口が寄り、銀糸がさらりと頬を撫でる。しかし耳に潜り込んできた言葉は、ロジェにとって死刑宣告のようなものだった。


「覚悟しろよ、アースター」


 言うなり、ルキウスはロジェの脚を払った。バランスを崩したロジェの上半身を、ルキウスはうつ伏せのまま執務机へ押し付け、後頭部を押さえ込む。

 その行為は荒々しく、甘い空気など微塵もない。


 カチャカチャと音がして、無情にもズボンが降ろされる。今回もそれは太腿で止まった。皮肉にもそれは、拘束の役割となってロジェの自由を奪ってしまう。

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