4.
態度は冷たく、温もりなど一切ない。半端な覚悟でルキウスの下で働くと、肉体的にも精神的にも追い詰められ、最後は病院送りになると有名だった。
それは事務方にも影響し、人手不足の中で悪循環を生み出し続けている。
目の前のコーレンなど、四日前から職場で寝泊まりしているほどだ。同じ建物に居室があるのに、そこに帰る暇もない。
「コーレン、お前こそ大丈夫か?」
「……いや、さっきまで駄目かと思ってたが……アースターが帰って来てくれたから、安心したわ。お前、めちゃくちゃ仕事できるからさ。出向でこっちに来てくれてから、業務がかなり捗ってるし……。昨日、お前が閣下に呼び出されたって聞いて、もう駄目だと思った……」
「そりゃ、ごめんな。っていうか……今まで閣下に呼び出されて辞めた文官って、一体何されたんだよ?」
「さぁ、詳しくは知らない。なぁ、アースター。やっぱり顔色悪いぞ。ただでさえ白いのに、今日は色が無いくらいだ」
言われて初めて、ロジェは視線を窓へと寄せた。そこには真っ白な顔をしたロジェが映っている。
華奢な身体と、一見すると女のような顔。柔らかな金の髪は、緩やかな波を描いて襟足まで届いている。
そこに、かつて剣の高みを目指した男の面影は、一切ない。
「……心配すんなよ。こう見えて身体は頑丈なんだ」
「無理すんなよ」
「お前に言われたくねぇわ」
軽口を叩いて椅子に座ると、尾てい骨から痛みが走る。
ぴしりと固まりつつ痛みを逃して、ロジェは細く長い溜息を吐いた。その様子を見ていたコーレンが、また心配そうな目を向ける。
きっと、コーレンは気付いているのだ。ロジェが『夜伽役の身代わり』になったことを。
コーレンだけじゃなく、この部屋にいる誰もが気付いているのかもしれない。ロジェの見た目はその想定を確信に導くほどに、愛でられる側に見えるのだろう。
(……そういやあいつ……誰にでも手を出してるのかな。……本業じゃなくて、俺らみたいな部下にも? それは流石に、良くないよな……)
毎夜準備される、鬼将軍の夜の相手。その手配を請け負うのはロジェたち文官だ。
昨日は手違いで娼婦の手配ができず、現場が慌てて確保してきたのが奴隷だった。それも非合法に無理やり連れてこられたヒト族の男だったのだ。
今回のような事例が、これまでなかったとは考えにくい。その度に彼は、誰かを身代わりにしていたのかもしれない。
もやもやと、胸を黒い何かが覆いつくしていく。嫉妬なんてする立場ではないのに、心はいつも正直だ。
振り払うかのように目線を上げると、積み重なった書類たちが、今か今かとロジェを待ち侘びていた。
(……余計なことは考えるな! 今は目の前の業務に集中するぞ!)
気持ちを切り替えて書類を捌いていくと、いくつか気になる案件にぶつかる。ロジェは手を止めて、手元の申請書を読み込んだ。
(ソーリャ村の、取水施設の修繕について……。う~ん……工事費用が馬鹿高いな)
数年前から同じ業者が担当しているようだが、請求されている工事費が毎回のように高額だ。相場の二倍以上といったところだろうか。
しかし過去を遡ってみても、いままで申請に通らなかった事がない。
最終決定はルキウスの判断に委ねられるが、この手の案件は文官がしっかりと目を通しているためか、そのまま判が押される可能性が高い。つまりここを通してしまえば、この案件も受理されるというわけだ。
こういった案件は、ロジェがこの職場にやってきてから何度も掘り当てた。
「……文官長、これなんですが……」
「ああ、アースター君……またか……。それ掘り当てちゃった?」
「またかって、やっぱりあれですか」
「ごめんねぇ。その地域の貴族、ちょっと面倒で……」
諸々の申請書は各地域の役所が調査し、審査に通ったものがここ司令本部へと集まって来る。本来ならばここに来るまでに精査されているものなのだ。
それがなされず、堂々と申請が送り付けられているという事は、役所を取り仕切る貴族がこちらに圧力を掛けているという事なのだろう。
本部が末端から圧力を掛けられるとは、まさに本末転倒である。
「どうして閣下に報告しないんです? 鬼将軍から却下を喰らえば、役場は震えながら従うでしょうよ」
「……」
「まさか怖いなんて言わないですよね?」
「……」
だんまりを決め込む文官長を見かねてか、側にいた同僚のラントンが口を挟む。
「俺らだって報告したいんだけどさ、鬼将軍の恐ろしさで精神やられちゃうんだよ。報告の度に同僚が減っていくとなると、業務が滞っちまう。アースターが持って来たその案件、工事費は高額といえど、仕事はきっちりしているんだろ? 報告の度に貴重な文官が減っていくとして……どちらが不利益だと思う?」
「なるほど……」
文官という役職はそれなりに貴重なもので、数々の試験に合格し、1年間の研修の後にやっと認められる役職だ。
文官ひとりを生み出す育成費、手間、諸々等を天秤に掛けると、確かに突っ込まないほうが賢明と思っても仕方がない。ただでさえ多忙なのに、人手を割かれるのは避けたいのだろう。
しかしずっとこのままという訳にはいかないのは、誰が考えても分かる。少なくともロジェは余所者という事もあって、現実を見る気力が残っていた。
死んだ魚の目をしている同僚たちを眺め、ロジェは力強く頷く。
「つまり重篤な案件以外は、目を瞑るしかない……何故なら鬼将軍が怖いから。そういう事ですね?」
「……っ! 分かってくれ。アースター君……!」
文官長が顔を曇らせ、気まずそうに眼鏡を拭き始めた。思えばこの文官長も、いつも仕事場にいるように思う。帰宅するのを見たのはいつだっただろうか。
ロジェは小さく、しかし軽快にため息をついた。
「よし、じゃあこれからは俺が報告に行きますよ」
「は?」
「え?」
文官室にいた全員が、一気にロジェへと視線を注ぐ。一心に仕事に打ち込んでいると思っていたが、耳だけはこちらに傾けていたようだ。
コーレンが椅子を鳴らしながら立ち上がり、ふらふらとロジェへと詰め寄る。
「アースターお前……! 馬鹿なのか! そんな顔してまじか!」
「そんな顔って何だよ。容姿で賢さを判断するのは良くないぞ」
「コーレンの言う通りだぞ、アースター! お前は今、最も執務室に行ってはいけない男だろう⁉」
ラントンまでもが立ち上がり、まるで抗議するかのようにロジェへと訴える。
ロジェは首を傾げつつ、狼狽える彼らを見回した。
「……どうして? 報告に行くだけだ。今日は夜伽役の確保も出来ているし、昨日のような事は…………あっ……」
言いつつ、ロジェは真っ赤に染まった。目玉だけを同僚たちに向けると、彼らは気まずそうに視線をさ迷わせている。やはり昨晩の件は、完全に勘付かれている。
(……ぐっ……気まずい……いたたまれねぇ……)
こほん、と咳ばらいを零して、ロジェは姿勢を正した。
「……と、とにかく! 俺は鬼将軍が怖くありませんので、ご心配には及びません! ……さて、文官長?」
「え、は、はい!」
「報告したい件はこれだけですか? この際一気にやっちゃいましょう?」
「……っ! ……っアースタくん! 君はなんて男前なんだ! 可愛いのに!」
「可愛いは、いらんです。男前な俺に、惚れちゃダメっすよ?」
戯れに片目をぱちりと閉じてみれば、文官長がぴしりと固まった。手に持っていた眼鏡が机に落ちても、彼は固まったままだ。
ロジェが肩を竦めて周りを見れば、同僚たちは呆れた様子でこちらを見返してくる。
「まったくアースタ……。なんてやつ」
「……なにが? じゃあ俺、行ってくるから」
書類をとんとんと手早くまとめ、ロジェは文官室を後にした。その背中に「気をつけろよ」と声が掛かる。
後ろ手で手を振りながら、ロジェはため息交じりに顔を曇らせた。
本音を言えば、ルキウスとはまだ顔を合わせたくはない。心に深く刺さった棘はまだ抜けないままで、おまけに身体には昨晩の名残も残っているのだ。
しかしロジェには引き下がるという選択肢はない。ぐっと腹に力を入れて、廊下に敷き詰められた絨毯を踏みしめた。
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