52.


「取り敢えず、16発殴らせろ!! たっぷり16年分だ、この野郎ッ!」

「……16……? ……ッおまえ、は……」


 目の前のカイが拳を構える。ルキウスは目を見開いたまま、彼の拳を頬で受けた。

 衝撃と共に、カイの慟哭のような言葉が聞こえる。


「一年目! 重症を負ったロロは、ここで生死の境をさ迷った! 本当に死にかけていたんだ!」

「……っ」


 涙を流し始めたカイは、子供そのものだった。口を波立たせ、まる駄々を捏ねるようにルキウスへと拳を振るう。


「二年目……ッ! ……ロロは……命を掛けて俺を産んだ! そして俺の出生届と共に、自分の新しい名前を、シン・アースターに定めた!」 


 思わずシンに視線を移すと、彼は顔を覆って泣いていた。細い肩が揺れ、今にも崩れ落ちそうになっている。

 よそ見をしていたルキウスの頬に、また衝撃が走る。口の端が切れる感覚がしたが、痛みを感じない。


「三年目……。ロロは生まれたばかりの俺を抱えながら、身を粉にして働いた……ッ! 文官と武官の試験勉強を始めたのも、この時期だ……すべては、あんたの力になるために……」

「……」

「これでも思い出さないのか、お前は! このくそ親父ッ!!!」

「……っ!!」


 カイが噛みつくように言い放ち、ルキウスに今にも頭突きをかまさんと身を反らす。

 ルキウスはそんな彼の額を両手で受け止めた。


「もう良い! お前の頭が痛むだろうが!」

「うるせぇ! まだ13発も残ってんだよ、くそ野郎!!」


 拳を振り上げようとするカイの手を掴んで、ルキウスは言い聞かせるように彼の目を見据えた。

 素手で殴り続けていては、そのうち拳が壊れてしまう。


 両手の拳を握られて、カイは悔しそうに顔を歪ませた。

 激情を緑の瞳に燃やして、彼はひたすら怒りをルキウスへと向ける。


 その顔は、まるで自分を見ているようだ。しかし鼻梁に皺を寄せる様子は、どこかシンに似ている。

 カイは怒りに震えながら、ぼろりと大きな涙を流した。


「……四年目は、俺も悲しかった。あんたが結婚して、ロロがすごく落ち込んだんだ。いつもニコニコしてたロロが、いっつも泣いてた。……あんたのせいだかんな! あんたがロロを、覚えててくれなかった、から……ッ」

「……すまん。本当に……」


 カイの拳から手を放し、涙にぬれたその頬を拭う。嫌がられるかと思ったが、彼は意外にも大人しくルキウスの手を受け入れた。

 その瞬間、ずきりと頭が激しく痛んだ。

 痛みに耐えながら、ルキウスはカイに問う。


「……お前の、名は……?」

「……俺? 俺はカイ。……カイ・ルシオ・アースター」


 まるで釘を打ち付けられたかのように、こめかみが鈍い痛みを発した。同時に、濁流のような何かが頭に流れ込んでくる。

 受け止めきれないほどの記憶と感情に吞まれ、ルキウスはその場に崩れ落ちた。



+++++



『_____ ろ、じぇ』


 獣化した口では、彼の名前が呼びにくかった。

 彼は、ルキウスの事を認識していない。

 無理も無い事だった。獣化した自分など見たことも、ましてや話してさえいなかったのだから。

  

『ろじぇ』


 ルキウスはもう一度、彼を呼んだ。

 彼が足を止める。


 ああ、分かってくれた。

 安堵が身を包んだ瞬間、周囲が赤に染まる。


 後方から飛んできたフレアが、彼に向って突き進んでいくのが見えた。

 ルキウスは渾身の力で駆けたが、もう崖に彼の姿はない。


 硝煙と、彼の匂いが混ざる血の香りだけが、辺りに漂う。

 火龍のフレアは、全てを焼き尽くしてしまった。

 彼の骨も肉も、何もかも。


『……お、れの、せいだ……』


 火龍を仕留めそこなったせいで。

 名を呼んで、彼の足を止めてしまったせいで。

 愚かにも、自分を認識して欲しいという願いを優先してしまったせいで。


『ろ、じぇ……』


 俺にはもう、何もない。

 何も欲しくない。何も感じない。


 俺はロジェを守れなかった。

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