51.

 敷地を抜けると、石畳でできた道が長く続いていた。寒さによって枯れた芝生が脇に広がり、どこか物寂しい。


(……王都よりは温かいが、今日は冷えるな……。シンが寒がっていないといいが……)


 筋肉も脂肪も付いていないのにそれを認めていないシンは、軽率に薄着をする。

 彼の寒そうな姿は、ルキウスにとって耐え難いものだった。ずっと側にいて温めてやりたいのだが、シンはまさに猫のようにちょこまかとルキウスの腕をすり抜けてしまう。

 ずっと腕の中に留めておくにはどうすれば良いか。最近ではそればかり考えてしまう。


 診療所への看板を辿っていると、遠くに人影が見えた。その姿に、ルキウスはぴたりと歩を止める。


「……シン……」

 

 小さく呟いた声は、シンには聞こえなかったようだった。彼は道の脇に視線を向けていて、ルキウスには気付いていない。

 しかしルキウスの目は、その愛おしい男の姿をしっかりと捉えていた。

 

 シンは微笑んでいた。それはそれは優しい笑みで、道の脇にある建物から出てきた男を、穏やかに見つめている。


 どく、と心臓が不穏な音を立てる。その表情は、ルキウスが今まで見たことないほど、温かいものだった。


 男は手を振りながらシンへと走り寄り、その身体を抱き上げた。シンの腰を抱き、上へと持ち上げると、男はシンの腹部へ頭を擦りつける。

 抱き上げられたシンはくすぐったそうに笑い、その男の頭を抱え込んだ。


 弾けるようなシンの笑い声。いつもは愛おしくて堪らないその笑い声が、今ばかりは残酷に耳へと届く。

 ルキウスは一歩も動けなかった。その光景を見たくなくとも、目が追ってしまう。


 男はまるで壊れ物を扱うようにシンを地面へと降ろし、また手を振りながら立ち去った。

 限られた時間での逢瀬だったのか、名残惜しそうに去る男は何度も振り返る。その身体を包むのは、騎士団の隊服だ。


(……やはり……そうだったのか……? シンには愛する者がいて、第三騎士団に所属している……そうなんだな……)


 第三騎士団長との繋がりは、あの恋人が結んだものなのだろう。

 しかしそれでも、ルキウスにシンを諦めるという選択肢はなかった。

 少しでも自分に情があるなら、付いてきて欲しい。

 

 固まっていた足を、ルキウスは大きく動かした。シンとの距離は直ぐに縮み、シンはルキウスの存在に気付く。


「……っ⁉ うそ、だろ……⁉」

「シン……あの男は誰だ?」

「……! っあ、あいつを……見たのか……?」


 狼狽えているシンを目の前にして、ルキウスは再度絶望した。

 彼は顔を真っ青にして、怯え切った表情でルキウスを見ている。いつもまっすぐにルキウスを見つめていた瞳は、そこにはない。

 ルキウスが手を伸ばすと、シンはびくりと肩を揺らす。


「……っどうして、ここに……」

「迎えに行かないとは言っていない」

「……ッなんで、いきなり……」

「理由がいるか?」

「…………ッ」


 シンが唇を噛み締め、ルキウスと距離を取るように後退する。顔色は依然として真っ青で、身体も小刻みに震えてた。

 まるで、執務室で初めて会った時と同じような様子だ。

 これまでのことが、幸せだったひと時が、がらがらと崩れ去っていくような、そんな感覚にルキウスは陥った。


 どうしてそんな顔をするのか、ルキウスには分からなかった。

 再会したら、喜んでくれると思っていたのだ。

 どんな顔をして笑ってくれるのか期待もしていた。


「……シン……」


 こいねがうようにして名前を呼ぶが、無常にもその身体はルキウスから離れて行く。

 それだけじゃなく、ルキウスが更に手を伸ばすと、シンは拒否するように頭を振る。そしてその場へと蹲ってしまった。

 完全な拒否の姿勢に、心がぐしゃりと音を立てる。

 と、その時。


「ロロ!」


 澄み切った瑞々しい声が、不穏な空気を断ち切った。

 声の主へと視線を向けると、そこには先ほど去った騎士が、荒く息を吐きながら立っている。 


 近くで見て初めて、ルキウスはその男が並外れて美麗であることに気が付いた。


 癖のある髪は艶のある栗色で、瞳は雨を蓄えた葉のような深緑だ。体格はルキウスには及ばないが、身長は同じぐらいだろう。

 彼はシンへと走り寄り、その背を労わるように撫でる。


「大丈夫だよ、ロロ。俺がいる」

「……っ、は……っ」


 蹲ったシンは脂汗を浮かべて、呼吸も整わないようだった。異常なほどの怯え方を見て、ルキウスも焦燥感を覚える。


「……大丈夫か、シン……」

「お前が言うな!!」


 男が立ち上がり、ルキウスを威嚇するように詰め寄って来る。

 ルキウスにとっては憎い男のはずだ。しかし彼を見た瞬間、ルキウスはその顔から目を離せなくなった。


 彼の表情が、泣き出しそうな子供のようだったからだ。どこか懐かしい表情でもあった。

 男は鼻梁に皺を寄せ、ルキウスの胸倉を掴む。


「……おいコラ、このくそ野郎! 俺の顔をよく見やがれ! 俺が誰だと思う⁉ あぁん⁉」

「……ッカイッ!! ……止めなさい!」

「ロロは黙ってて! 俺はもう子供じゃない!」


 カイと呼ばれた男は視線だけをシンへと送り、ルキウスを掴む手は緩ませようとはしない。

 胸倉を掴まれてなお、ルキウスは抵抗する気になれなかった。


 「こども」とルキウスは口にして、激流と化した頭を整理する。

 そう、カイはまだ青年の域だ。恐らく成人したばかりだろう。


 そして『カイ』は『ルシオ』ではなかった。じゃあ誰が、ルシオなのか。

 目の前のカイは誰なのか。

 瞳の色が自分とそっくりなこの男は、一体誰だ。

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