50.

*****

 

 ルキウスは夜通し馬を走らせ、次の日の朝にはアカツキ領へ辿り着いていた。


 馬を止め周りを見渡すと、朝日に照らされた地平線がどんどんと色を変えていく。

 アカツキはこの国で有数の豊かな土地だ。広大な大地は豊かに肥え太り、鼻には潮の匂いが届く。


(……いい領地だな……。シンはここで育ったのか……)


 ルキウスは馬を降り、アカツキ領の主要都市を囲む、大きな壁を見上げた。

 要塞ともいえるほどの厳重な造りに、アカツキ領主の圧倒的な力が垣間見える。その門を守る衛兵は逞しい男たちで、王都の衛兵にも劣らないほどだ。

 しかしそんな衛兵らも、ルキウスの登場には驚いたようだ。身分確認を行っていた衛兵が、驚愕の声を上げる。


「これは、ルキウス殿下……! こ、この度はどうして……」

「私用だ。すまない、こちらには何の連絡も送っていないが……」

「お通し致します」


 対応した衛兵だけではなく、周りにいた衛兵らもざわざわと騒ぎ始める。王族が領地を訪れるという事は、それだけで大事なのだ。

 本来なら出迎える準備を整えて、領主自ら王族をもてなさなければならない。


 しかしルキウスは今回、完全にお忍びで来ていた。過度な反応をされて、シンが逃げ出してしまうことだけは避けたかったからだ。


 門を通過したところで、耳にささやき声が聞こえてくる。


「……あいつが、ウィンコット卿か」

「ああ、なるほど。あいつが……」


 神経を研ぎ澄ませば、こちらへ向けられた目線をいくつも感じる。殺気はないようだが、不穏な雰囲気であることは確かだ。 


(……こちらに危害を加える様子ではないが……いったい何だ?)


 疑問に思いつつ、ルキウスは先ほどの衛兵を振り返る。


「アカツキ公爵の屋敷へ行きたいんだが……」

「今、遣いの者を走らせています。直ぐに迎えが来ると思いますが……」

「いや。自分で行くから、道を教えてくれ」

「では、ご案内いたします。……それと殿下、ひとつ忠告したのですが、よろしいでしょうか」


 突如投げかけられた言葉に、今度はルキウスが驚く番だった。王族に対して、不遜ともいえる態度である。

 先ほどから感じていたが、この街の人たちにはルキウスに対する恐怖心が無いようだった。それどころか、敵対心のようなものも感じる。


 衛兵はルキウスをじっと見つめ、口を開いた。


「……この街の者は、あなたを見定めていますよ」

「なに? それはどういう……」

「では、ご案内します」


 衛兵はルキウスの言葉を遮った上、何事も無かったかのように歩き出した。目指す先は間違いなく公爵邸のようで、進む道も大通りばかりだ。怪しい動きはない。


 街中を見回すと、半魔の姿も多く見受けられた。驚いたことにヒト族も暮らしているようで、彼らは魔族と一緒になってせっせと働いている。他の町では見られない光景だ。 


 この街でシンはどんな暮らしをしていたのか。想像しながら歩くと、刺々しい視線も気にならなくなる。

 思えばルキウスは、シンがどんなものを好むかも多く知らなかった。彼がどんな店に通っていたのか想像できないのが、残念でならない。


(……帯剣許可証を持っているから、武器屋には通っただろうか……。武器屋はどこだ? 道具屋は?)


 街中にシンの影を探しているうちに、ルキウスはあっという間に公爵邸にたどり着いた。

 出迎えたのは、晩餐会にも出席していたクラディルだ。


「父は中でお待ちしています」

「……不服そうだな」

「いえ、実はそうでもありません」


 クラディルは口元を捻じ曲げて、いかにも不服そうな表情をしている。拗ねているといった方が正しいかもしれない。

 その表情のまま歩き出すものだから、ルキウスも仕方なく彼の後を追う。クラディルは歩きながら、ぽつりと漏らした。


「しかし残念です。まさか殿下自ら、単独でお迎えに来るとは……」

「何だと?」

「『シン・アースターを王都に戻せ!』……とかいう命令一つでシンを呼び戻すようであれば、我が一族総力を決して立ち向かう気でありましたのに……まさかこうも誠実な姿勢でお越しになるなんて……悔しいです」


 ち、と舌打ちでも聞こえてきそうな雰囲気で、クラディルはぽつぽつと愚痴を零す。

 そんなクラディルの姿を見ながら、ルキウスは気付いた。今の自分は、恋人の実家に初訪問しているような立場なのだ。

 愛する息子を奪おうとしている男を、皆で見定めているのだ。剣呑な視線もそう考えると頷けるが、まさか街全体から警戒されるとは思わなかった。

 

「……シンは、ここで愛されていたんだな」

「勿論でございます。あいつは本当に可愛いやつですから」


 クラディルは回廊を突っ切り、中庭へと出た。

 花々が咲き誇る通路を進んでいると、突き当りにガゼボが見える。そこで茶を嗜んでいたのはアカツキ領主である、ジョルノ・アカツキだ。

 ジョルノは立ち上がると、ルキウスへ向けて恭しく頭を下げる。


「ようこそ、ルキウス殿下。来て頂けると確信しておりました」

「……悪いが、長話をする気はない。聞きたいことがある」

「シンの居場所でしょうか? それならば、この屋敷の隣にある診療所に行くといいでしょう。シンは今、そこに滞在しております」


 ジョルノは驚くほどあっさりと、シンの居場所を明かす。もっとしぶられるかと思っていたルキウスは、拍子抜けしながらも言葉を返した。


「助かった、礼を言う。……シンと話をし、また改めてこちらに立ち寄らせてもらう」

「……お待ちください」


 立ち去ろうとすると、ことりとカップをソーサーに置く音が響いた。


「ルキウス殿下。本当にシンは、あなたを一番に愛しているとお思いですか?」

「……どういう意味だ?」

「このアカツキには、第三騎士団の分隊があります。シンが第三騎士団と繋がりが深いのは、もうあなたもご存じでは? そこにシンの大事な人がいるとは考えなかったのです?」

「……っ」


 スヴェラが漏らしていた、第三騎士団長とシンの繋がり。その情報について、ルキウスは詳しい調査を行っていなかった。

 『小さな守護神』に関連したものであるとは思っていたが、その詳細はシン本人の口から聞きたかった。

 しかし、騎士団長とは随分と親しげだったという話も聞いていたので、気が気でなかったのは確かである。

 シンが彼を通じてルキウスを助けていたとしても、それはそれ、である。


「……」

「あなたはシンの事を知らなさ過ぎる。しかしこうして来てくださったという事は、あの子の全てを受け入れてくれるという事だと、私たちは判断しています。……しかしながら、あなたがまた、あの子を傷つけるというのであれば、全力で排除いたしますので……ご覚悟を」

「……また?」

「おっと、口が滑りました」


 ジョルノは口元に笑みを浮かべ、自身の唇に人差し指を押し当てた。垂れ目の奥は剣呑な光が灯っていて、心の奥底では何を考えているか分からない。

 ルキウスは踵を返し、中庭を突っ切る。


『____ ルシオ』


 シンの声が胸に過る。

 もしもそれが、シンの一番愛おしい男だとしたら。そしてそいつがもし、第三騎士団にいたとしたら。

 夢中になったのはルキウスだけで、彼を強制的に番にしてしまったとしたら。

 愛に溢れていた『巣』でさえ、本能に抗えずやってしまったことだとしたら。


「……っくそ、胸が痛い……っ」


 シンを愛するようになって、救いようのない痛みを胸に覚えるようになった。呪いのような痛みは、きっとシンにしか癒せないのだろう。

 そんな彼に拒否されたらと考えると、言いようのない恐怖が湧き上がって来る。

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