49.
*****
「_____ ルトルク。お前を謹慎処分とする。……裁判が始まるまで、知っていることは全部吐き出せ。いいな?」
「……おおせの、ままに……。そして、ねがわくば、牢に、いれてください……」
目の前に跪くルトルクは頭を深く垂れて、その表情は見えない。
ルトルクとルキウスは、幼いころから一緒だった。ザザドと同じく、家族のような存在だ。
そんな彼が、見事なまでにルキウスを裏切っていた。フィオナを神のように崇拝する一派に所属していた彼は、その想いを押し殺してルキウスの側に仕えていたのだ。
フェルグス家が何を企んでいたのかは想像がつく。フィオナはいつも、ルキウスを配下に加えようと画策していたからだ。
合同訓練の時、ルキウスには密かに護衛が付けられていた。それにルトルクとザザドも含まれていた。
王兄一派の襲撃にも彼らがいち早く対処してくれたと聞いていたが、ルトルクはルキウスを救うでもなく、フィオナの為に動いていたのだ。
フェルグス家が王兄一派と組んでいたとは考えにくい。恐らく襲撃に乗じて、何かを仕掛けようとしていたのだろう。
事の真相は、ほろほろと少しずつ明らかになって行っている。
ダンやスヴェラからは証言はとれており、寝室での騒ぎの報告も聞いた。ルトルクは今や完全に黒だ。
(……しかし……今思い返してもみても、こいつに不審な動きはなかった……)
雄弁なザザドとは違って、ルトルクは寡黙だった。しかし言葉の代わりに、目で物を言う人物だったのだ。
ルキウスやザザドへ向ける視線は、家族に向けるような親し気な物であったし、今でも彼が間者だったことを信じられないほどだ。
「では牢に入れ」
ルキウスの代わりに、ザザドが言い捨てる。ザザドもルキウスと同じく、彼の裏切りに気付かなかった。
感情がある限り、どこかで綻びが生まれるものだ。ルトルクにはその綻びが、驚くほどなかった。
俯いていた顔をさらに下げ、ルトルクは頷いた。そのまま衛兵に連行される姿を見ても、まだ実感が湧かない。
ルキウスはため息を吐いて、頭を抱える。
「……家族と思っていたのは、俺だけだったか」
「そうですね。だと思います」
「随分とはっきり言いやがって。……お前だってそうだろうが」
「……殿下。ルトルクが裏切ったとお思いでしょう?」
ルキウスは思わず顔を上げ、隣にいるザザドを見た。彼はまっすぐ前を見据えたまま、こちらと視線を合わせない。
「裏切っていたから、こうして処分したんだろ。お前は何を言っている?」
「……推しが結ばれる相手は、推しが良いんですよ」
「は?」
「裏切っているつもりなんか更々なくて、ただ推しと推しをくっつけたかったんだと思います。俺はそう解釈しました。……やっていることは許されませんが、気持ちは少しだけわかります」
「全然理解が追いつかん。その解釈、合ってるのか?」
ザザドの視線がルキウスへ移り、二人の目がかち合う。二人して執務机に腰を引っ掻け、緊張感のない会話はまだ続く。
「ルトルクはフィオナを崇拝していましたが、同時にあなたの事も愛していたんですよ。フィオナの側にはあなたしか当てはまらず、あなたの主になる人はフィオナしか認めなかった。そのためには手段を選ばない。狂っていますが、この解釈で正解かと」
「……」
「ルトルクからのあなたへの忠誠は、真の物だったと、俺は思います」
腕を組んで、ザザドは納得したように頷く。あたかも真実を話しているかのように語っているが、これはザザドの想定に過ぎない。
ルキウスは呆れ顔を呈しながら笑うと、ザザドも穏やかな笑い声を零した。
「……誰かを愛するという事は、無限の力を与えます。それが失われれば、正に虚無ですよ。あいつは今から辛いでしょうね」
「虚無か……」
ルキウスがロジェ・ウォーレンを愛していたのか。その答えは得られないままだった。
彼を失ったから、ルキウスは心を失ったのかもしれない。
しかし今、ルキウスの心には、シン・アースターがいる。みっちりと隙間なく、彼一色だ。
(……もしも今……16年前のようなことが起き、シンがいなくなってしまったら……。……ああ、無理だな……)
未だ記憶は戻らないが、あの頃の感情がどんなものであったかは想像できる。
これもまた、シンのお陰であった。彼がいなかったら、ルキウスの感情は欠如したままだっただろう。
16年前の自分は、耐えられなかったのかもしれない。記憶も感情も打ち捨ててしまいたいほどに。
「ところで殿下。いつアースター様奪還へ乗り出されるのですか?」
「奪還とは聞こえが悪い。まぁそろそろ、俺も限界だ」
「では休みの申請をして参ります」
ザザドは颯爽と執務机から腰を上げ、扉へと向かう。あまりの行動の速さに驚いていると、彼は嬉しそうに振り返った。
「俺も推しと推しの幸せには、尽力しますよ」
「……ふ、馬鹿が。だが全力で頼む」
「イエッサー」
軽口を叩き、ザザドは執務室を出て行く。
この様子をもしシンが見ていたら、彼は目を見開いた後、けらけらと笑い転げるだろう。
その顔が見たかった。今ではそう素直に思う。
(……アカツキに発つ前に、シンの部屋から荷物を回収しておくか……)
シンはあの騒動の後、そのままアカツキへ帰って行った。第三棟にあったシンの部屋は、まだ手付かずのまま残っている。
必要なものがあれば持って行こうかと思ったが、ただの興味本位の方が大きい。
執務室の横にあった仮眠室ではなく、本来のシンの寝床だ。何かしらの秘密が隠されているかもしれない。
ルキウスは荷造りをした後、第三棟へ向かう。
地図を頼りに宿舎を歩き、ルキウスはシンの部屋までたどり着いた。鍵を開けて中へ入ると、愛おしい番の香りが鼻へと届く。
部屋の入り口でいったん静止し、ルキウスは匂いを堪能した。実に一か月ぶりの匂いに、気持ちが蕩けていく。
部屋を見渡すと、予想以上に物が散らかっていた。
本や書類、書きかけのメモ、食品の包み紙、猫の置物。そこら中に散乱していて、ルキウスは我知らず笑みを溢れさせる。
まさにシンを体現したような部屋だ。忙しなくて雑然としているが、不思議と不快感が無い。そんな部屋だ。
ルキウスは部屋を見渡すが、それといって重要なものはないような気がした。
床に転がっていた木箱は空であったし、机の引き出しには鍵がかかっている。かなり怪しいとは思ったが、机の鍵までは借りていない。
引き出しは諦めて、ルキウスは奥の部屋に近づく。恐らく寝室だろうが、ルキウスは躊躇なくその扉を開いた。そして後悔する。
先ほどとは比べ物にならないほどの匂いに包まれ、ルキウスは思わず息を呑んだ。愛おしい匂いがどんどん外へ抜けていくような気がして、ルキウスは慌てて部屋へと入り、扉を閉める。
随分と薄くなった香りを残念に思いながら、ルキウスは部屋を見回す。そしてその寝台周りの特殊さに気付いた。
(……っこれは、まさか……。嘘だろう……?)
ルキウスの目の前にあるのは、小ぶりな寝台だった。そこにはこんもりと、寝具ではないものたちで小さな山が出来ている。
最初に目についたのは、ルキウスの外套だ。その外套には覚えがあった。
シンを乱暴に抱き、彼に掛けた外套だ。そこに情など無く、ただ事後の醜悪さを消すためだけに掛けた外套だった。
捨てていいと言ったはずなのに、どうしてここにあるのか。
他は手巾や浴巾の類だった。どれも使用済みで、微かに自分の匂いが残っている。
ルキウスは手の甲で口を覆い、目の前の光景を凝視する。
(……す、巣作り……?)
番を定めたオメガは、アルファへの愛情表現の一つとして巣を作る。番の匂いの移ったものをせっせと集め、文字通り愛の巣を作るのだ。
そこに番を招き、彼らはこれ以上ない幸せに包まれるのだという。
一番最初に湧いてきたのは、言い知れぬ歓喜だった。ルキウスは天を仰いで、一度も祈ったことの無かった神に感謝を告げる。
嬉しさと愛おしさから、胸が熱くなる。笑い声が漏れ出し、目の前もじんわりと滲み始めた。
一体いつの間に、こんなものを作っていたのか。
あんなにせかせかと一日を過ごし、最後にこの巣へ戻って休んでいたとすれば、愛おしすぎてこちらが死にそうだ。
ルキウスは寝台の側に膝を付き、巣を壊さないように頬ずりする。自分の匂いとシンの匂いが混じって、そこは最高の住処になっていた。
一日の終わりにシンとここで休めたら、どんなに幸せだろうか。
「……覚えていろよ、シン……」
決めかねていた心が、かちりと固まった。
シン・アースターに何が隠されていようとも、彼は自分の側にいるべきだ。
横にいて、笑っているべきなのだと。
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