48.
「何をしてる⁉」
こんな時だというのに、ルキウスの声は甘美な響きをもってロジェの耳に届く。
馬に跨ったルキウスは、ロジェたちを見つけるなり馬を飛び降りた。きらきらと揺れる白銀の髪を見て、ロジェは口の端を強く結ぶ。
ルキウスの姿を見たら、張り詰めていた気持ちが一気に気持ちが緩んでいく。
スヴェラにナイフを突きつけている今の状況は、とても言い逃れできるものでは無い。しかしロジェは、彼の姿を見て呑気に喜んでしまう。
「助けてください、兄さま!」
スヴェラが縋るような表情を浮かべ、ルキウスへと訴える。
「この男は、裏切り者です! 第三騎士団長と密会し、何かをやり取りしていたのも目撃されています! あのロブルースとの繋がりもあったんですよ⁉」
「……」
ルキウスはスヴェラの言葉を受け、眉根に深い皺を寄せる。
きっとルキウスも、ロジェを信じてはくれない。確たる証拠はないが、ロジェに疑わしい部分があるのは明らかだ。
自分が無実だという事を証明するためにも、ここは大人しく身柄を拘束される方が賢明だろう。しかしどうしても、ロジェは捕まるわけにはいかなかった。
じり、とロジェが後ずさりすると、ルキウスが結んでいた唇を解いた。
「ロブルース」と「第三騎士団長」という言葉を呟いたあと、確信を持った顔でロジェを見返した。
「シン……やはりお前……『小さな守護者』か?」
「……っ⁉」
「やはりそうか。……少し前に、ザザドが気付いたんだ。お前の筆跡の癖が、『小さな守護者』に似ていると」
違う、と言いたかったが、声が出なかった。動揺を隠せず、目の前がぐらぐらと揺れる。
そんなロジェを宥めるように、ルキウスはいつも以上に穏やかな声色で話す。
「俺への襲撃の情報を、密に第三騎士団長へ流してくれるのが、匿名の支援者『小さな守護者』だ。確か……ロブルースからの情報もあったはずだ。……ずっとその正体が知りたかったが……お前だったんだな、シン」
「……っ、ちが、」
「お前は俺に嘘を吐けない。……認めろ、シン」
頭を横に振りながら、ロジェはスヴェラに突きつけていたナイフを離した。スヴェラを解放し、今度は自分の喉元にナイフを突きつける。
ルキウスの雰囲気が、一気に張り詰めるのを感じた。
「シン、どうしてだ。どうしてお前は、本当の自分を隠そうとする?」
「……それ以上近付くと、僕は死にます」
ぐっと喉元にナイフを近付け、ロジェは力強く言い放つ。ルキウスは足を止めたあと、平然と言い放った。
「お前が死ねば、俺も後を追うが、それで良いか?」
「……っ、なにを馬鹿な事を……!」
「馬鹿はお前だ、シン。さっさと俺の事を信じて、身を任せろ!」
ルキウスが噛みつくように言い、一歩踏み出した。ロジェは頭を振りながら、少しずつ後ろへ下がる。
自分だって分からない。全てをルキウスに話して、受け入れてもらえば良いのかもしれない。
けれど、離れていた期間が長過ぎた。
何もかも諦めて、自分を納得させていた期間が重すぎた。
『ルキウスの隣にはいられない』という自身に掛けた呪いが、どうしても解けない。
「……っお願いです、ルキウス様……。アカツキに帰らせてください……どうか……」
「嫌だ、と言ったら?」
「消えます。何としても。どんな手を使っても」
狡い言い方だ、と自分でも嫌気がさす。
『俺の前から消えるな』
ルキウスがずっとロジェに言い聞かせてきた言葉だ。その言葉を質にして、ロジェは彼を脅している。
しかしロジェは、どうしても頭を整理させて欲しかったのだ。16年間を過ごした、今や故郷ともいえるあの場所で。
ルキウスへの想いは、いつだってあそこで消化してきた。帰ればきっと、この葛藤にも決着がつく。
様子を窺っていたスヴェラだったが、ここに来て我慢ならないとばかりに声を上げる。
「兄さま、まさかその男を逃がすおつもりですか⁉ まだ彼の疑いは晴れていないんですよ!」
「彼だけは違うと断言できる」
「いいえ、疑わしい部分があるのであれば、追及すべきです! これだけの怪しい人物に秘書官をさせていたのですから、あの第六班の情報も流しているかもしれません」
「……第六班?」
ルキウスの声が一層低くなり、スヴェラは肩をびくりと揺らす。近くにいたロジェさえ冷やりとするぐらい、それは冷たい声だった。
「第六班を知っているのか?」
「……え、ええ。幼い頃、母上と父上が話しているのを聞いたのです。……最強の隠密部隊『第六班』ですよね? 母は死ぬ間際、その恐ろしさと重要性を私に訴えていました」
「なるほど、姉上が……。そうか。……お陰で……確信が持てた」
ルキウスの視線がロジェへと移る。その瞳はどうしてか寂しげで、いつも凛々しい眉は力を失くしているように見えた。
「ルキウス、様……?」
「シン。……お前は気付いていたんだな。何年も情報を送ってくれていたお前であれば、何かを掴んでいても不思議ではない」
「……え?」
「16年前の襲撃に、フィオナ姉上が……そしてガイナス卿が関わっているという事についてだ」
「………っ……」
思わず喉を動かしてしまい、ナイフが喉元の包帯を切り裂いた。はらりと包帯が解かれ落ち、項が冷たい空気に触れる。
魔族が嫌いだと言っていた彼が、唯一慕っていた人物。それがガイナスだった。
主導が違うと言えど、彼が襲撃に関わっていたとしたら。そしてそれを今まで黙っていたとしたら、ルキウスにとって大きな裏切りだろう。
ロジェもその件について、どう解決すべきか迷っていた。しかしフィオナは病死し、ガイナスはあれからルキウスの味方を貫いている。
真実を無理やり明らかにしなくても良いのではないか。そう思ったことがある。しかしスヴェラが偽のロジェを連れて来てしまった。
過去にあった出来事とガイナス家の繋がりを、彼女がまた結んでしまったのだ。
「ザザド」
「はい、ここに」
ルキウスの横に、ザザドが並ぶ。いつもと雰囲気が違うザザドに、ロジェは背筋をぞくりと粟立たせた。
その顔には表情が無く、逞しい身体からは冷たい空気だけが漂ってくる。
二人が放つ圧倒的なオーラを前にしては、どんな猛者も平伏してしまうだろう。
ルキウスははスヴェラへ向けて、氷のような視線を送る。
「スヴェラ、第六班なんてものはないんだ。……この『ザザド・ロクハン』こそが、俺に敵対する者たちが恐れる人物なんだよ」
「……あなたのお母さまは恐らく、16年前のあの地で私を見たのでしょうね。王兄一派を殲滅させている私を目撃し、恐ろしくなってその場から逃げ去ったのでしょう」
「これに目を付けられたら、終わりだからな。……幸いな事に、ザザドはフィオナに気付かなかったようだが」
「慚愧に堪えませんね。見つけて皆殺しにしておけば、こうはならなかったかもしれません」
視線をさ迷わせるスヴェラは、状況を未だ理解していないように見えた。彼女は16年前、まだ3歳の子供だったのだ。両親が話している内容を、正しく記憶しているはずがなかった。
しかしその記憶を頼りに人を陥れようとしたのは、稚拙以外の何物でもない。
ルキウスは小さくため息を吐き、スヴェラを見下ろす。
「スヴェラ……。この件については、今ここで全て解決できる案件ではない。お前を我が屋敷で拘束する。いいな?」
「……っ、でも……」
「ロジェの件についても聞きたい。彼も共に拘束する。……ザザド、フェルグス家に連絡を」
ザザドは頷くと、こちらへと視線を向けた。
その表情は先ほどとは違い、いつもの親し気なものだ。しかし少しだけ寂しげで、何かを懇願しているようにも見える。
ザザドが去ると、今度はルキウスがロジェを捉えた。
「……分かったよ、シン」
「? ルキウス様?」
「アカツキ領へ……帰っていい」
そう言葉を零すと、ルキウスの顔がまるで苦痛に耐えるかのように歪む。彼にとって、その言葉は一番言いたくなかったものに違いない。
ルキウスは自分の考えを曲げる人ではない。
相手を抑え込んでまで自分の意志を通すのが常であり、それが許されるのは彼の強さがあるからだ。無論、自分が許容できない要求など呑みはしない。
しかし今、ルキウスは自分を抑えてロジェの要求を呑んだのだ。
「正直、許容できない」
ルキウスが本音を零す。
「しかし、思い出した。……お前はこれまで、俺の為に何度も耐えていることを。……俺も、お前のために耐えなければならない」
「……いや……俺は……」
「シン、聞け。……お前は、俺の不利になることは一切してこなかった。晩餐会でのあの時も、暴力を振るわれてなお、抵抗しなかっただろう? ……しかしロジェには食って掛かった。あれがずっと気になっていた。……きっとお前は、ロジェ・ウォーレンについても何か知っているな?」
「……っ」
言葉を詰まらせるロジェに、ルキウスは手を伸ばす。未だ喉元にナイフを突きつけているロジェの手をそっと握り、ナイフを取り上げる。
そしてナイフを遠くに放り投げ、ルキウスはロジェの旋毛に鼻を埋めた。
「シン、お前の事を知りたい。だがその前に、この件を片付ける。……お前がアカツキ領に戻っている間、全部解決させる」
「……はい……」
「お前の懸念を、全部晴らしてやるから……。いいな?」
「はい……」
俯いた先に、ロジェはぽつぽつと涙の雨を降らせる。
ずっと不穏に揺れていた胸が、じんわりと暖かくなっていく。しかしロジェの心に反して、ルキウスの心は今、焦燥感や疑念で満ちているだろう。
彼は全てを請け負ってくれたのだ。そしてそれにロジェは甘んじた。
なんて卑怯な、とシン・アースターが言う。
しかしロジェ・ウォーレンは、いつだって彼の温もりに包まれていたかった。
守られるのは心地が良い。しかしルキウスを守りたいという気持ちはまだ強いままだ。
この二つの感情のせめぎあいに、どう折り合いをつけたらいいか、ロジェにはまだ分からなかった。
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