18.


「____ 殿下、遅くなりました。これを」

「……手に入ったか」


 ザザドから書類を受け取り、ルキウスは食い入るように文字へと目を走らせる。数日前からザザドに依頼していた、シン・アースターの身辺調査書だ。

 斜め後ろで控えているザザドは、捕捉するために口を開く。 


「孤児だったアースター様は、10歳の時にアカツキ家の家令に引き取られています」

「アカツキ家の家令には息子がいただろう。どうして引き取った?」

「アースター様が捨て置けないほど秀でていたから、と聞いています。アカツ公爵からの後押しもあり、シンはアースター家の末っ子となりました」


 アカツキ家は慈善事業に重きを置いている一族だ。半魔の孤児たちのために屋敷の近くに施設を建て、私財を投じて活動をしていると聞く。

 その施設にいたシンが、アカツキ公爵の目に留まったのだという。


 孤児から名のある家令の息子になったのだ。幸運だと言えるだろう。しかしルキウスは、彼の無茶な生き方が気になっていた。


「……環境はまともなのか? どうやったらあんな育ち方をする? 何かを強制的にさせられていたという過去は?」

「さぁ、そこまでは調べがつきませんでしたが……アカツキ家はアースター様を随分大事にしているようですよ」


 ザザドからもう一枚書類が差し出される。それは通信履歴だった。

 この世界の連絡手段は、通信士の通信魔法によって行われる。文書も魔法によって目的地へ飛ばされるが、この屋敷では必ず履歴を残すことになっていた。

 シンを宛先にした履歴には、ずらっと同じような差出人が並んでいる。 


「アースター様への手紙の履歴です。殆どがアカツキ家からのものですね」

「すごい量だな」

「アースター様からの返信はそう多くはありません。返事が届かぬとも一方的に送って来るといった感じでしょうか。……内容は、主にアースター様の身体を気遣うものでした」

「見たのか?」

「ええ。アースター様が用箋挟に挟んで、職場のデスクの上に置いていましたから」

「不用心な……」

「いつでも読み返せるようにしていたのかもしれません」


 机に向かうシンの姿が、ルキウスの頭に思い浮かぶ。見たことなどないはずなのに、容易に想像できた。

 激務の最中に家族からの手紙を読んでは、頬を緩ませていたのかもしれない。


 ルキウスは手元の書類を無意識に睨みつけた。資料にあるシンは、ルキウスの知らないシンだ。

 ルキウスのいないところで生き、そして違う誰かに笑顔を向けていた。これまでの人生で、彼はどれだけのものを他人に与えてきたのだろう。


 あの自らを顧みない献身を、アカツキ公爵にも向けていたのかもしれない。そう思うと、腸がふつふつと茹りそうだった。

 

「……あの猫は、俺のものだ」

「……殿下……」


 ザザドが驚いたように目を見開く。そして彼は何かを噛み締めるように口を結び、ルキウスへと一歩踏み出した。 


「殿下、こちらをご覧ください」


 ザザドが手を伸ばし、ルキウスの持っていた資料を捲る。そしてそこに記されていた一文を指で差し示す。


 ____ 国民剣技大会、特別賞を受賞。半魔でありながら上位入賞を果たす。


「……この大会、殿下は毎年観戦されています。……シンを覚えていらっしゃいますか? ちょうど、14年前です」

「……あの頃……俺は……」

「分かっております。しかし……」

「いや、待て……」


 じわり、と当時の情景がルキウスの頭に浮かぶ。

 熱気に包まれた闘技場。反して冷めきった自分の心。

 そしてルキウスの前に、一人の男が現れる。


『殿下、ご無沙汰しております。アカツキ領のジョルノでございます。この度、うちの家令の子が上位入賞を果たしまして……感謝の意を込めてご挨拶に参りました。……さ、シン。ご挨拶を』

『……殿下……』


 アカツキの後ろから、小柄な青年が顔を出した。

 ふわりと柔らかそうな金の髪。愛らしい琥珀色の瞳と、控えめな鼻。

 ルキウスは彼を怪訝な顔で据え、アカツキを見返した。


『___ 女のようだな。それに……半魔の身で、良く上位に食い込んだものだ』

『恐れ入ります。……シン、……お褒めの言葉を頂いたよ。……お礼を』

『……っ、お…………恐れ入ります……』


 その時の青年の顔を、ルキウスは覚えている。

 褒められているというのに、どうしてか彼は打ちひしがれたような表情を浮かべたのだ。

 その絶望といってもいい表情が、縋るようにルキウスを見上げる顔が、酷く美しかったのを覚えている。



「____ そうか。あの時の……」

「あの時の殿下が覚えているという事は、やはりアースター様は特別だったのかもしれませんね」

「……そうだな……」


 ルキウスは指の力を抜いて、手元の書類をその場に落とす。


 16年前、ある出来事があってから、ルキウスは感情の一部を失った。同時に半年分の記憶もすっぽりと抜け落ちている。

 喪失感に苛まれ、それから数年は『ただ生かされていた』という記憶しかない。がらんどうの毎日だった。


 そんなルキウスが自我を取り戻し始めたのが、ちょうど14年前だ。

 それがシンと会ったことに関連しているかどうかは、今となっては分からない。


 ただ、今しがた甦ったばかりのシンの表情が、ルキウスの頭から離れなくなっていた。

 何かとてつもない間違いを冒している。そんな気がしてならない。

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