19.


*****


 意識を取り戻したロジェは、自分のいる場所の違和感に気が付いた。

 未だにがんがんと鳴り響く頭で、周りをぐるりと見渡す。


 円形のだだっ広い寝台、天蓋には薄布が幾重にも掛けてある。明らかに自分の部屋ではない。

 見上げれば、天蓋のど真ん中に魔王族の紋章が描かれていた。

 ここが誰の部屋か当たりを付けた所で、次いで湧き上がったのは焦りである。


(……えっと、俺……どうしてルキウスの寝所で……?)


 ここに来るまでの記憶は、朧げすぎてはっきりとしない。

 視察から戻ってきて報告書を作成した所までは覚えている。しかしその時点で発熱していて、記憶は途切れ途切れだ。


 ロジェは回らない思考を掻き回し、自身の身体の状況を把握しようと努めた。冷静に状況を判断しないと、大変な事になりそうだからだ。


 発熱のせいか関節は痛むが、尻に違和感はない。つまり事後、ここにいる訳ではないようだ。

 そもそもルキウスが、ロジェを寝台まで運んでくれる訳がない。それどころか犯されるのはいつも執務室で、寝室など来たこともなく、ましてやそれがどこにあるのかさえ知らない。


(……俺の事だから、いつものように『はい』って返事したのかな……)


 予測だが、ルキウスから今日も夜の相手をするように指示されたのだろう。


 熱で朦朧としていたため記憶が無いが、ロジェはきっと『はい』と返事をしたはずだ。

 ロジェは、ルキウスからの頼みは断らないと胸に決めている。彼の望みでロジェが出来る事ならば、是としか言わないだろう。


 しかし如何せん、今日は体調が思わしくない。今の状態で抱かれれば、確実に限界を超えるだろう。


(いや、いつも限界は超えてるけど……今日は何と言うか……生命の危機? って感じか?)

 

 大げさだろうか。と深く息を吐けば、そのまま意識を失いそうになる。やはり無理そうだと思う反面、これまでも失神した状態で抱かれてきた事を思い出す。

 スタート時点から失神状態でも良いのなら、抱かれても問題ないかもしれない。

 しかし……。


「……目が覚めたのか?」

「……閣下……」


 気が付けば、扉の前にルキウスが立っていた。風呂上がりであるのか、白い髪がしっとりと垂れて、銀の房はいつもより濃い線を描いている。


 ガウンの合わせ目からは、男らしい鎖骨と盛り上がった胸筋が覗く。

 ロジェが万全だったら悩殺されていたが、今は生命の危機だからだろう。冷静にその姿を見つめることができた。

 ロジェは身体に鞭打って上体を起こすが、前のめりに倒れてしまう。しかし必死に腕を伸ばし、ルキウスを制止するように手を突き出した。


「……っ閣下……おねが、いが……」

「何だ、どうした?」

「……あ、あなは……穴はさしだせます……っしかし……」

「……は……?」

「……今日は、じりきで……かえれないかもしれません……。たぶん……たてない……」


 それは、熱で朦朧としている頭で導き出した、ロジェの答えだった。


 このまま抱かれるのは可能かもしれないが、きっと暫くは動けなくなるだろう。いつものように自力で歩いて帰ることが、今日はきっと出来ない。


 必死に訴えながら、背中にぞくりと寒気が走る。

 突っ伏しているためルキウスの顔は見えないが、怒っているのかもしれない。しかし熱で朦朧としているせいか、考えていることを上手く言葉で表せない。


「……こ、ここは……しつむしつでは、ないので……ばしょ、わかんないし……清掃するひとが………はいって……? あれ? もしかして、ここ……きんじょ……」

「この馬鹿猫が。いいから早く寝ろ」 


 肩を掴まれ、突っ伏していた毛布から引き剥がされる。背中を支えられて枕へと戻されると、ルキウスから舌打ちが降ってきた。


「ッチ、まだ熱いな。……震えてるが、寒いのか?」

「……でん……かの、ひえひえおーらが……さむい……」

「ああ、もう喋るな。寝ろ。いや待て、何か食えそうか?」

「…………はい……くいます」


 枕に後頭部を埋めながら、少しだけ顎を引いて返事を返す。しかし目の前のルキウスは、珍しく困惑した表情をしていた。

 どうしてそんな顔をするのか分からず、ロジェは自分の発言を考え直す。

 ルキウスの求めていた回答は、果たしてなんだったのか。


「……くうって、もしかして……くちで、ほうしする、ってこと……? それなら、おれ……じしんがな」

「ああ、もう黙れっ! おい、ルトルク!」

 

 少しの間の後、ルトルクが盆を手にやってきた。相変わらず眠そうにしていて、その表情は読めない。しかしロジェを見下ろすと、ぱちぱちと瞬きを早めた。


「くえ、ます?」

「知らん。しかしもう三日も食ってない。このままではアンデッドのようになってしまう」


 枕の下に枕が追加され、ロジェの上体が少しだけ上がる。


 スープボウルを手にしたルキウスが、寝台の端へと座った。

 ぎし、と寝台が沈んだと思うと、口元に匙が差し出される。ロジェは素直に口を開き、匙に口をつけた。

 薄く味付けされたスープが、寒気の走る身体に染み渡る。根菜をくたくたに煮たものなのか、意外と食べ応えがあった。


 こくりと喉を鳴らして飲み込めば、ルキウスの困惑顔が僅かに緩んだ。


 そうか、これが正解か。ロジェは嬉しくなり、今度は自ら口を開ける。するとルキウスは驚いたことに、引き結んでいた唇を緩めた。

 嬉々として匙を差し出してくるようになり、ロジェもほっと胸を撫でおろす。しかしながら、徐々に胸が詰まるようになってきた。

 ルキウスがぴたりと匙を止める。


「……お前……」

「……っぅぷ……」

「この馬鹿! 無理して食えとは言っていない! ルトルク、屑かごを取れ!」


 目の前に屑かごが見えると、決壊は早かった。今しがた食べたばかりのスープを戻すも、その量はほんの僅かだ。結果、思うように吐けなくて背中が痙攣する。

 ルキウスはその背を優しく撫でながらも、困惑を隠せないようだった。


「お前は、本当に、どうして……っくそ、何なんだ!」

「……」


 ルキウスの声に焦りや怒りを感じて、ロジェの視界がじわりと歪んだ。

 彼の言う事は、願う事は、なんでも聞いて叶えてやりたい。その真意を汲んで、会話して、彼が許すなら支えたい。

 そう思ってずっと生きてきたのに、こんな小さな事でさえ間違えてしまう。

 ほろほろと涙が屑かごに落ちると、背中を撫でていたルキウスの手が止まった。


「……泣いて、いるのか?」

「……もうし、わけ……」

「謝るな」


 目の前にあった屑かごが消え、代わりに感じたのは温もりだった。ルキウスの胸に抱き込まれると、懐かしい香りが包み込むようにロジェに纏う。

 ロジェを抱き込んだルキウスは、その旋毛に鼻を埋め、ひとつ息を吐いた。その吐息がくすぐったくて、懐かしくて、ロジェはまたぼろりと涙を流した。


「……すまなかった」

「……? かっか……?」


 ルキウスはロジェの頭を抱き込んだまま、ゆっくりと後ろへ身体を倒す。優しく、まるで大事なものを扱うように、ルキウスはロジェの身体を横たえた。

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