20.

「聞け、アースター。……返事はいらん。……眠くなるまで、黙って聞いてくれるだけで良い」

「……?」

「お前に対して行った、理不尽で非道な仕打ちを……詫びたい。お前の尊厳を傷つけ……そして肉体まで追い込んでしまった。……本当にすまない」

「……っ、か」

「黙って聞けと言ってる」


 ルキウスの大きな手が、ロジェの額を優しく撫でる。言葉は厳しく聞こえるが、声色と彼の手は穏やかで優しかった。

 うっとりと瞼を閉じると、ルキウスの親指がロジェの眉毛をさりさりと撫でる。


「……俺は……意固地になっていた。……もともと夜伽役など、俺は望んでいない。……アンリールの後釜にと、貴族の娘たちが次々と送り込まれて来たこときっかけで、今ではこんなくだらないものに変化してしまった」

「……」

「俺は誰にも情を抱けない。貴族の娘にもまったく反応しなかった。……そもそも怯える生娘を抱くなど、趣味ではない」


 確かにルキウスのお手付きとなれば、その恩恵は計り知れない。上手くすれば妃として迎え入れられ、その地位は実家もろとも約束される。

 だからこそ貴族らは、娘をルキウスへ差し出すのだ。まだ男を知らない、手折りたくなるような娘を。

 しかし娘らは、ついこの間まで少女だったような女性たちだ。知らない男に抱かれるなど、恐怖以外の何物でもないだろう。


 ルキウスが重くため息を吐く。ロジェの眉を辿っていた指も、力を失くしたようにぴたりと止まった。


「そして……俺が娘らに手を出さないと分かると、今度は経験豊富な女が来るようになった。……俺が不能になったと思ったらしい」

「……」

「腹が立ったから抱き潰せば、次の日は娘が来る……。その繰り返しだ。……次第に俺は、面倒になってきた」

「……」


 ルキウスがロジェの瞳を覗き込む。まるで、言いつけ通りに黙しているロジェの心を、読み解こうとしているようだった。

 ロジェもそんなルキウスの顔を見据え続けた。彼の表情の一つでさえ見逃したくはなかったからだ。


「娘らは、少しでも手荒に扱えば泣き出す。後は突き放せばいい。……娼婦や男娼には、容赦しなかった。大抵の奴は途中で許しを乞う。……だからお前にも……。お前みたいな文官は、直ぐに逃げ出すだろうと……」

「……か……」


 窓から風が入り込んで来て、ルキウスの白銀の髪が揺れる。ロジェは少しだけ腕を浮かせて、その毛先に触れた。懐かしい感触が襲ってきて、ぐっと喉が詰まる。

 触れなければ良かった、とロジェは後悔した。笑顔を浮かべようとしたが、唇が震えて叶わない。


「……ああ……だか、ら……怒っていたんですね……」

「……誰がだ?」

「……閣下です。……そりゃ、いらいらも……します……」


 望んでもいない妃候補の娘や、余計なお世話ともいえる夜伽役。アンリールと別れてから約10年間、ルキウスはこの面倒ごとに文句も垂れず、真剣に向き合っていたのだろう。

 もっと他に対処の仕方があっただろうに、ルキウスの不器用とも言える態度は、周りの誤解や恐怖を呼んでしまったのかもしれない。


「だからといって、お前に怒りをぶつける理由にはならん。……? アースター?」

「……よ、かった……おれ……」


 ずきずきと痛んでいた頭が、じんわりと痺れ始めた。ずっと気になっていたのだ。

 具合は最悪なのに、くすくすと笑いすら零れてしまう。


「……ごめん、なさい……。ふふ……あなた、の事を……まるで、しきじょうま……のように……」

「しき、じょうま?」

「……よかった。……だれかれ、かまわず……なんて……うたがって……。そうだ、おれ……ほんとうに、ごめ……」


 そうだ。彼を信じてあげられなかった。

 毎夜のように夜伽役を用意していたのは、ルキウスの指示ではない。周囲の忖度でしかなかったのだ。

 それなのにロジェは、ルキウスが色情魔のようになってしまったと嘆いていた。彼の気持ちも考えず、自分の事だけを憂いていたのだ。

 それに気づくと、後悔が高波のように襲ってきた。視界を歪ませた涙が、ぼろぼろと絶え間なく零れ落ちる。


「アースター……どうして泣く? どうして謝る?」

「あなた、を……しんじて、あげられなかった……」

「何を言う! 俺が、お前に何をしたと……!」

「……ひぐ、ごめん……なさ……」

「ああ、まったく……お前は……本当に……くそっ、胸が痛い! 何だこれは!」


 ルキウスはロジェの頬を両手で包み、困惑と共に顔を歪ませる。その顔が徐々に霞んでいき、ロジェはぱくぱくと唇だけを動かした。


「……むね、いたい……? はやく、ざざどさん……いしゃ……」

「違う! 俺を気遣うな! お前が……」


「はいはい、ちょっと落ち着きましょうか」


 視界にザザドが現れ、ロジェはほっと胸を撫でおろす。途端に重くなった瞼は、意識と共に閉じて行った。

 

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