21.
*****
ルキウスの寝室がある私邸は、敷地の端にあった。ひっそりと建てられたその屋敷は、屋敷と言うよりも別荘に近い。
最低限の部屋と、数人しかいない使用人。無駄なものを好まないルキウスらしい私邸だ。
ロジェは併設された庭を歩きながら、隣のザザドへ声を掛ける。
「いや……ザザドさん……ほんっとうに、この間は……申し訳ありませんでした」
「何を謝る必要がありますか。……俺は心底嬉しかったです。あんな殿下を見るのは初めてでしたから」
「面目ない。閣下の前であんな醜態を晒して……」
ロジェは自分の醜態を思い出し、叫び出したいのをぐっと堪える。やっと下がった熱が再燃しそうだ。
ザザドは朗らかに笑いながら、何かを噛み締めるように何度も頷いた。
「醜態? まさか。熱に浮かされたアースター様と、訳が分からなくなった殿下は、尊いの一言だったので、もっと頂きたいものです」
「……? ……ザザドさんって、たまに良く分からないこと言いますよね?」
「分からないままが最高ですので。是非、そのままで」
ロジェが首を傾げると、ザザドは傷痕だらけの顔に満点の笑みを浮かべた。良く分からないが、楽しそうなので良しとする。
ルキウスから謝罪されたあの時、ロジェの思考はまともではなかった。
熱に浮かされて感情が暴走し、言葉選びを盛大に間違った自覚がある。とにかくまともではなかったのだ。
そして腹立たしいことに、自分の言ったことを一言一句思い出せてしまう。そこは記憶を失くして欲しかった。
「……閣下はさぞかしお怒りでしょうね。病人の妄言など、聞き流して頂ければいいのですが……真面目なあの方は、僕の言うことを真っ向受け止めてしまったのでしょう?」
ロジェが言うと、ザザドは露骨に驚いた表情を浮かべた。最近彼は、ここぞとばかりに表情筋を動かしてくる。
「……う~ん、いやぁ、はぁ……やはりアースター様は素晴らしい。あの殿下を『真面目』だなんて、誰も思いますまい。大抵の方は『鉄仮面』やら『鬼畜』やら……特に『無機物』なんて例えは、俺も秀逸だと思いましたよ」
「……ザ、ザザドさん、言いますねぇ」
「言いますよ。俺は30年以上も、殿下の側にいるんですから。……殿下は特に16年前から、まるで血が通っていないかのように生きてらっしゃいましたので」
「……16、年前……」
「はい。……アースター様はご存じでしょうか。16年前に起こった、火龍によるスタンピードを。……あの事件がきっかけで、殿下は変わってしまわれました」
ロジェは小さく顎を引き、ファーの付いた上着をぎゅっと掻き寄せた。
それは16年前、他種族合同訓練で起こった痛ましい事件だ。
ロジェとルキウスが引き裂かれることとなった事件でもある。
「タルンバ地方では毎年、他種族合同訓練が行われていました。そこに火龍のスタンピードが起こり、訓練生、教官共に全滅。それどころか、近隣の村まで焼き尽くされました。……唯一の生き残りは、ルキウス殿下たった一人です」
ロジェも後になって知ったが、あの事件は魔獣による暴走として世間には認識されている。
数百年に一度起こる火龍の
しかしあれは王座争いによって起こったものだ。火龍の暴走も人為的なものだった。
その真相は王族にだけ周知され、今となっては闇に葬られている。
「……閣下は……訓練生だったのですか……?」
「ええ、表向きは。……しかし本来の目的は、王都で激化していた王座争いから遠ざけるためでした。当時19歳だったルキウス殿下ですが、支持者も多かったのです」
魔族の後継者争いは武力が全てだ。強いものが王座に就くという理は、太古から続く魔族のしきたりだった。
現魔王も争いを好み、王座争いには口出しをしない。それどころか目立った活躍をした皇子には賞賛さえ送っているのだという。
「特に第六皇子のガイナス殿下は、ルキウス殿下を王座にと推し進めてらっしゃいました。他種族合同訓練に参加するように勧めたのもガイナス殿下ですが……まさかあのような事になるとは……」
「ガイナス殿下……確かお身体が……」
「はい。ガイナス殿下は生まれつき足が悪いのですが、その知力はこの国随一と言われているほどです。……ルキウス殿下とは、幼いころから親しい間柄なんですよ」
「そうなんですか」
16年前、ルキウスからガイナスの話を聞いたことがある。
彼が曇りのない顔で『ガイナス兄さまが』と誇らしげに語るのを見た。思えばあの頃からガイナスは、ルキウスが心を許せる数少ない人物だったのかもしれない。
ザザドが足を止め、足元へと視線を落とす。
「……事件があって……ただ一人生き残ったルキウス殿下は、訓練期間中の記憶の全てを失っておられました。そしてそれに伴って、怒り以外の感情も忘れておいでだったのです。……それから数年間は、空っぽになった自分を持て余して過ごされていました」
「……悲しんだりは……」
「しておられません。記憶も、情も無くなっておられましたから」
「……そう、ですか……」
当時の事を忘れているのであれば、失った人々の事を悼んで心を痛めることも無かったかもしれない。
しかし感情を失った喪失感は、耐え難いものだったのではないだろうか。自分の一部が消えてしまったようなものなのだから。
ずき、と胸が痛んで、ロジェは顔を歪めた。その様子を見てか、ザザドが表情を改める。
「ああ、そんな顔をしないで頂きたい。アースター様は殿下の救世主なのですから」
「救世主?」
「ええ。あのように感情を昂らせる殿下は、久しぶりに見ましたから」
「……えーっと……あれは『怒り』では? 怒ってましたよね?」
「いいえ、どちらかといえば『焦燥』でしょうね。素晴らしい変化ですよ。焦りは何かに執着しないと生まれない感情ですから」
「焦燥? 一体何に執着していたんです?」
きょとりと背の高いザザドを見上げれば、彼は困ったように笑った。
「これは困った……アースター様も大概ですね」
「……?」
「アースター! この馬鹿猫!」
咄嗟に跳ね上げた肩の後ろから、とてつもない威圧感が迫って来る。ロジェはザザドへと視線を固めたまま、眼球だけを横へと動かした。姿は見えないが、きっとルキウスだ。
この流れだと、また首根っこを掴まれる。肩を竦めたまま構えていたが、感じたのはふわりと暖かい感触だった。
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