22.


「熱が下がった途端にうろつくな!」

「あ……」


 肩に落ちてきたのは、柔らかくふっくらとしたマフラーだった。

 ふわふわの毛糸で編み込まれたマフラーは、末端に猫の刺繍が施してある。尻尾を模した飾りも付いていて、ロジェの心を一直線に撃ち抜いた。


「……っかわいい!! 猫!」


 興奮してルキウスを見上げれば、彼はこちらを見据えたまま動かなくなった。二の句を継ごうと思っていたであろう唇も、ぽっかりと開いたままだ。


 ルキウスの異変に気付かないまま、ロジェは肩に掛けられた猫のマフラーをさすさす撫でまわす。


 ロジェの猫好きは幼いころからだ。実家は豪商で、広い屋敷にはたくさんの野良猫がいた。

 愛人の子として生まれたロジェは冷遇されていたので、相手をしてくれるのは猫ぐらいしかいなかったのだ。

 野良猫でもロジェにとっては家族で、唯一癒しを与えてくれる存在だった。


「……これ、閣下のものですか⁉ いや、違うか……明らかに趣向が違うし……」

「あ、ああ。……これはスヴェラへの………」

「スヴェラ……。ああ、ガイナス殿下の御令嬢ですね。……って、そんな大事な物……!」


 慌てて肩からマフラーを外し、綺麗に折りたたむ。

 ルキウスへと差し出すが、彼はマフラーとロジェの顔を交互に見ては、眉根に皺を寄せた。納得できないといった顔だ。


 寒いだろうと思って差し出したものを返されたからだろう。しかしこれは人様のものなのだ。

 ロジェは首筋に手をやって、ふわりとファーを撫でる。


「貸してくださったこの上着のお陰で、首元は暖かいんです。……それより、人様のマフラーを、他人に巻きつけちゃ駄目じゃないですか。しかも女性の物でしょう?」

「……」


「……ンン、ごほん」


 ザザドから、お手本のような咳払いが漏れる。


 ルキウスはザザドを振り返り、ロジェは無言のまま二人の姿を眺めた。振り返ってしまったルキウスの顔は見えないが、二人は会話もないまま見つめ合っている。

 暫くの間のあと、ルキウスの視線がロジェへと戻ってきた。そしてザザドと同じように、こほんと喉を鳴らす。


「……そのマフラーは、試作品だ。スヴェラの誕生日のために、職人らにいくつか作らせている最中だ。だからそれは、おまえにやる」

「え?」

「やると言っている。人間の言葉がわからないのか、華奢猫め」


 ルキウスはロジェからマフラーを奪い、一歩近づいた。そしてロジェの首に優しくマフラーを巻き直す。

 猫の尻尾の部分をもう片方の末端にある穴へと通すと、ちょうど猫が首に巻き付いているような形になった。

 その仕組みにまた胸を撃ち抜かれていると、ルキウスが舌打ちを零す。


「お前は肉がついていないから、代わりに着込め。見ているこっちが寒くなる」

「……ん、とに……?」

「あぁ?」


 ルキウスの怪訝な返答が気にならないくらい、ロジェは嬉しかった。満面の笑みを浮かべて、マフラーをぎゅっと握り締める。


「ほんとうに、頂けるのですか? うわ、嬉しい! 大事にします!」

「………っ」

「ありがとうございます!」


 ルキウスからのプレゼントだ。正真正銘、『おまえにやる』と言ってくれた。

 しかもロジェが大好きな猫のマフラーだ。


 マフラーを引き上げて顔を埋めると、ほのかにルキウスの香りがした。とろりと頭が蕩けそうになり、振り払うように顔をマフラーへと擦りつける。

 結果、もっと多幸感に包まれてしまったので、諦めて思うがまま噛み締めた。


「ひょあ、しあわせ……」

「…………」

「かさねがさね、かんしゃいたします……」


 ぺこりと頭を下げて、またマフラーの匂いを吸い込む。

 幸せだ。これ以上の幸せがあるだろうか。

 このまま部屋に持ち帰って、この幸せを堪能したい。

 「ではこれで」と踵を返そうとしたところで、ルキウスに呼び止められた。


「……お、お前…………い、いや、そうだ。……今日の昼食は、俺につけ。この屋敷で食う」

「え? ああ、はい」

「昼前に迎えを寄越すから、それまで寝てろ」

「……こちらから伺いますよ。遠いでしょう?」

「遠い?」


 ルキウスは視線を上げ、庭に隣接された私邸の二階を見遣る。ルキウスの主寝室がある場所だ。

 ロジェは今朝までルキウスの寝室で療養させてもらっていた。どうしてゲストルームじゃなかったのか疑問だったが、何かしらの理由があったのだろう。単に主治医が呼びやすかっただけなのかも知れない。

 ロジェはルキウスの視線を辿って、「ああ」と声を漏らした。


「僕は今から自室へ戻りますが、何か不都合が? 服はもう居室へと届けてあると聞いたので、身一つで戻ろうかと思っていたんですが……」

「居室へ……戻る」

「はい。熱も下がりましたし、あとは自室で療養します。本当にお世話になりました。後日、改めてお礼に伺います」


 ルキウスの匂いの溢れた主寝室を去るのは寂しいが、ロジェにはこのマフラーがある。

 

「では昼食の際、こちらに来させていただきます」

「……」


 何か言いたげなルキウスと、何故か頭を抱えるザザドを置いて、ロジェは軽い足取りで自室へ向けて歩き出した。

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