23.


 実に5日ぶりの仕事場は、まるで葬式の最中のようだった。


 扉を開いても誰も反応せず、灯りが点いているはずなのにどこか薄暗い。

 淀んだ空気が澱のように沈んで、同僚たちはさながら毒沼に浸かっているかのようだった。


 自分が療養している間、同僚達には随分迷惑をかけたようだ。売店で買ってきた菓子や回復薬を掲げたまま、ロジェは腰を折った。


「申し訳ない! ただいま!!」

「…………」

「…………」


 同僚たちの視線が一気に集まり、ロジェは視線を上げたのちに唖然とする。

 誰も彼も酷い顔色で、まるでアンデッドのようだ。療養中のロジェよりも酷い状態ではないだろうか。

 文官長が椅子からふらり立ち上がり、コーレンが叫ぶ。


「……ああああ、アースターぁああ⁉」

「うわぁ、ごめんて! この埋め合わせはするから!」

「ちが、おま……! 戻ってこれたのか⁉ そ、それとも……幽霊?」

「いやいや、生きてる。生存してるよ俺は」


 失礼な、とロジェは折っていた腰を戻す。少なくとも目の前の同僚たちよりも健康である。ルキウスの部屋でたっぷり寝たのだから。

 文官長が眼鏡を取って、ぶるぶる震えながら首を傾げた。


「……あ、アースターくん……? なんでここ、いるの?」

「何でって、俺はクビっすか?」

「……いや、いていいの? 閣下から許可頂いた?」

「…………ええ、まぁ」


 文官長と同じ方向に首を傾げ、ロジェは思い返す。


 思えば許可を取っていないが、そもそも命令されてあの場にいた訳ではない。むしろ寝台を独占され、迷惑極まりなかったはずである。

 『出ていけ』と言われるのも時間の問題だっただろう。


 いつの間にか同僚らは立ち上がり、お互いに視線を通わせて、何やら意思疎通を図っていた。そしてロジェを戸惑いの目を持って見据える。


「な、なに? なんなんですか、文官長?」


 ロジェが助けを求めるように文官長を見れば、彼は不自然な笑みを浮かべながら、やはりぶるぶると震えていた。


「……と、とりあえず……アースターくんさ。……今日の所は帰りなさい? 身体を大事に、ね? ね?」

「文官長、そのことなんですが。今日の昼食の際、俺は閣下に付き添わなければならないのですが……何か報告ありますか? ついでに済ませてしまいしょうか」

「……昼食……? いや、報告なんてないよ。大丈夫! ああ、そうだ、アースターくん! 君宛ての荷物が来ていたから、机の上に置いてあるよ」


 「荷物?」といいつつ机を見れば、そこには小さな小箱があった。ロジェは手に持っていた菓子をコーレンに押し付け、机へと駆け寄る。


 「早く帰りなさいねー」という声を遠くに聞きながら、ロジェは期待を持って小箱を手に取った。持ち上げると、中からカラリと音がする。差出人は見なくとも分かっていた。


(……助かったぁ。さすがマグウェルさん、分かってるぅ……)


 ロジェは小箱をペーパーナイフで開封し、中に入っていた手紙を取り出した。

 癖のある文字が懐かしい。開いてみると、マグウェルらしい簡潔な文章が並んでいた。


『____ やぁ、シン。元気かい、とか言うつもりはないよ。君は絶対に無理をしているだろうから。

私から伝えたいことは、もう分かっているよね。でも一応、とても面倒だけど、医者として書き記しておく。

今月分の薬を同封するが、決して多用はしないこと。

抑制剤の副作用は、怖いものなんだよ。体調の悪い時は尚更ね。そして、何度も言ってるけど、我慢すればいいってもんじゃないからね!

面倒だけどもう一度。多用はしないこと! そして仕事量を考えなさい!

一番の予防は、彼から離れて仕事をすることだよ。

早く帰ってきなさい。  マグウェル』


 頬を緩めながら読んで、ロジェはそれをそっと折りたたむ。この手紙は用箋挟みには挟んでおけないから、自室にある鍵付きの引き出しに入れなければならない。

 同僚らに一言掛けて、ロジェは自室へと足を向けた。



 マグウェルと出会ったのは16年前。あの事件の日だ。

 

 ロジェとルキウスが愛し合った狩り小屋で、ロジェはひとり目を覚ました。そこにルキウスはおらず、いくら待っても帰って来なかったのだ。

 そしてそこに二度目の襲撃が来て、ロジェは一人で応戦した。辛くも回避できたが、重症を負ってしまった。

 そして逃げ惑って力尽きたところを、医者のマグウェルに拾われたのである。

 


(____ 懐かしいな。マグウェルさん、最初は俺の事……性暴力の被害者と思ってたんだっけ……)


 ロジェは裸に外套を巻き付けただけという姿で、行き倒れていた。狩り小屋では裸で過ごしていたし、急襲されて服を着る暇など無かったのだ。

 ぼろぼろの身体に上着一つを身に着け、おまけに下半身には行為の後がしっかりと残っている。そんな男が倒れていれば、当然性被害者だと思うだろう。



 自室に戻ったロジェは、鍵をしっかりと掛けた。そして姿見の前に立ち、ファーのついた上着を脱ぐ。

 襟足まで伸ばした髪をかき上げて、項を露わにする。そこにあったのは火傷のような痕だ。


 ロジェの身体には項から右の肩甲骨にかけて、この傷痕が付いている。あの日、二度目の襲撃者と戦った時にできた傷だ。

 この傷を、ルキウスにだけは見られたくなかった。だから着衣での行為を望んだのに、倒れたお陰で見られてしまったかもしれない。


 この傷は通常のものとは違い、魔法攻撃で出来た『魔傷』というものだ。治りにくく、後遺症も残りやすい。

 ロジェのこの傷も、未だに痛むことがある。その度に、ルキウスがつけてくれた『印』を守れなかったという罪悪感に苛まれるのだ。


 ロジェは傷痕をなぞって、どこに歯形が付いていたのか想像する。ルキウスの口の大きさなら、と指で辿ると、ぐっと涙が溢れそうになった。


(……ごめん、ごめんな、ルキウス……)


 彼がどんな想いで項を噛んでくれたのか、今となっては分からない。しかし過去の彼の眼差しや、後になって分かったことで、ロジェは強く生きてこれた。


 マグウェルに拾われたロジェは、その後生死の境をさまよった。意識も浮いたり沈んだりを繰り返していたのだ。

 しかし不思議と、その時の記憶ははっきりと思い出せる。

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