23.
*
実に5日ぶりの仕事場は、まるで葬式の最中のようだった。
扉を開いても誰も反応せず、灯りが点いているはずなのにどこか薄暗い。
淀んだ空気が澱のように沈んで、同僚たちはさながら毒沼に浸かっているかのようだった。
自分が療養している間、同僚達には随分迷惑をかけたようだ。売店で買ってきた菓子や回復薬を掲げたまま、ロジェは腰を折った。
「申し訳ない! ただいま!!」
「…………」
「…………」
同僚たちの視線が一気に集まり、ロジェは視線を上げたのちに唖然とする。
誰も彼も酷い顔色で、まるでアンデッドのようだ。療養中のロジェよりも酷い状態ではないだろうか。
文官長が椅子からふらり立ち上がり、コーレンが叫ぶ。
「……ああああ、アースターぁああ⁉」
「うわぁ、ごめんて! この埋め合わせはするから!」
「ちが、おま……! 戻ってこれたのか⁉ そ、それとも……幽霊?」
「いやいや、生きてる。生存してるよ俺は」
失礼な、とロジェは折っていた腰を戻す。少なくとも目の前の同僚たちよりも健康である。ルキウスの部屋でたっぷり寝たのだから。
文官長が眼鏡を取って、ぶるぶる震えながら首を傾げた。
「……あ、アースターくん……? なんでここ、いるの?」
「何でって、俺はクビっすか?」
「……いや、いていいの? 閣下から許可頂いた?」
「…………ええ、まぁ」
文官長と同じ方向に首を傾げ、ロジェは思い返す。
思えば許可を取っていないが、そもそも命令されてあの場にいた訳ではない。むしろ寝台を独占され、迷惑極まりなかったはずである。
『出ていけ』と言われるのも時間の問題だっただろう。
いつの間にか同僚らは立ち上がり、お互いに視線を通わせて、何やら意思疎通を図っていた。そしてロジェを戸惑いの目を持って見据える。
「な、なに? なんなんですか、文官長?」
ロジェが助けを求めるように文官長を見れば、彼は不自然な笑みを浮かべながら、やはりぶるぶると震えていた。
「……と、とりあえず……アースターくんさ。……今日の所は帰りなさい? 身体を大事に、ね? ね?」
「文官長、そのことなんですが。今日の昼食の際、俺は閣下に付き添わなければならないのですが……何か報告ありますか? ついでに済ませてしまいしょうか」
「……昼食……? いや、報告なんてないよ。大丈夫! ああ、そうだ、アースターくん! 君宛ての荷物が来ていたから、机の上に置いてあるよ」
「荷物?」といいつつ机を見れば、そこには小さな小箱があった。ロジェは手に持っていた菓子をコーレンに押し付け、机へと駆け寄る。
「早く帰りなさいねー」という声を遠くに聞きながら、ロジェは期待を持って小箱を手に取った。持ち上げると、中からカラリと音がする。差出人は見なくとも分かっていた。
(……助かったぁ。さすがマグウェルさん、分かってるぅ……)
ロジェは小箱をペーパーナイフで開封し、中に入っていた手紙を取り出した。
癖のある文字が懐かしい。開いてみると、マグウェルらしい簡潔な文章が並んでいた。
『____ やぁ、シン。元気かい、とか言うつもりはないよ。君は絶対に無理をしているだろうから。
私から伝えたいことは、もう分かっているよね。でも一応、とても面倒だけど、医者として書き記しておく。
今月分の薬を同封するが、決して多用はしないこと。
抑制剤の副作用は、怖いものなんだよ。体調の悪い時は尚更ね。そして、何度も言ってるけど、我慢すればいいってもんじゃないからね!
面倒だけどもう一度。多用はしないこと! そして仕事量を考えなさい!
一番の予防は、彼から離れて仕事をすることだよ。
早く帰ってきなさい。 マグウェル』
頬を緩めながら読んで、ロジェはそれをそっと折りたたむ。この手紙は用箋挟みには挟んでおけないから、自室にある鍵付きの引き出しに入れなければならない。
同僚らに一言掛けて、ロジェは自室へと足を向けた。
マグウェルと出会ったのは16年前。あの事件の日だ。
ロジェとルキウスが愛し合った狩り小屋で、ロジェはひとり目を覚ました。そこにルキウスはおらず、いくら待っても帰って来なかったのだ。
そしてそこに二度目の襲撃が来て、ロジェは一人で応戦した。辛くも回避できたが、重症を負ってしまった。
そして逃げ惑って力尽きたところを、医者のマグウェルに拾われたのである。
(____ 懐かしいな。マグウェルさん、最初は俺の事……性暴力の被害者と思ってたんだっけ……)
ロジェは裸に外套を巻き付けただけという姿で、行き倒れていた。狩り小屋では裸で過ごしていたし、急襲されて服を着る暇など無かったのだ。
ぼろぼろの身体に上着一つを身に着け、おまけに下半身には行為の後がしっかりと残っている。そんな男が倒れていれば、当然性被害者だと思うだろう。
自室に戻ったロジェは、鍵をしっかりと掛けた。そして姿見の前に立ち、ファーのついた上着を脱ぐ。
襟足まで伸ばした髪をかき上げて、項を露わにする。そこにあったのは火傷のような痕だ。
ロジェの身体には項から右の肩甲骨にかけて、この傷痕が付いている。あの日、二度目の襲撃者と戦った時にできた傷だ。
この傷を、ルキウスにだけは見られたくなかった。だから着衣での行為を望んだのに、倒れたお陰で見られてしまったかもしれない。
この傷は通常のものとは違い、魔法攻撃で出来た『魔傷』というものだ。治りにくく、後遺症も残りやすい。
ロジェのこの傷も、未だに痛むことがある。その度に、ルキウスがつけてくれた『印』を守れなかったという罪悪感に苛まれるのだ。
ロジェは傷痕をなぞって、どこに歯形が付いていたのか想像する。ルキウスの口の大きさなら、と指で辿ると、ぐっと涙が溢れそうになった。
(……ごめん、ごめんな、ルキウス……)
彼がどんな想いで項を噛んでくれたのか、今となっては分からない。しかし過去の彼の眼差しや、後になって分かったことで、ロジェは強く生きてこれた。
マグウェルに拾われたロジェは、その後生死の境をさまよった。意識も浮いたり沈んだりを繰り返していたのだ。
しかし不思議と、その時の記憶ははっきりと思い出せる。
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