43.

 歩調を緩め、ロジェは宿舎の裏手に身を隠す。そして周囲を警戒しながら、耳を聳てた。

 盗み聞きで痛い目にあったばかりだが、少しでも情報が得られるかもしれない。

 

「……っさいなぁ、なに⁉」


 ダンの声だ。随分と棘のある声色に、ロジェは少し驚く。

 ルキウスの前では終始穏やかな彼だったが、耳に入る今の声はひどく苛立っているように思えた。


「今更何言ってんだよ! 髪色なんて変えれるわけないだろ⁉」

「……しかし、ちがう……くろ、じゃない……」

「だから聞き取り辛いんだって!」


 ルトルクの声は、確かに聞き取り辛い。

 声を出すことが困難なほど声帯が損傷しているのだろう。普段の彼が口にする言葉と言えば返事くらいだ。

 それなのに今、ルトルクは必死で何かをダンに訴えている。


「……るき、う、でんか……おもい、だす」

「殿下が思い出すかもって? そんなとあるわけないだろ。思い出す要素がどこにある?」


 ダンは周りを見渡し、誰も居ないと分かるとルトルクへ詰め寄った。少し声を落として、ダンは捲し立てる。


「偽りの友人に偽りの昔話をされて、本来の記憶を取り戻せると思うか? 万が一思い出したとしても、それは僕の思い出に影響を受けた『新しい記憶』だよ。……それにさ、16年もの間思い出さなかったのなら、それはあの人にとって要らない記憶だったんじゃない?」

「……し、かし」

「うるっさいなぁ。お前、本当に無能だよな。あの時の生き残りじゃないなら、とっくにお払い箱だったんじゃない? いいから早く、ルキウス殿下の所に連れて行けよ」


(……やっぱり……そうだったんだ……)


 鳴りそうになる喉を必死に堪え、ロジェは気配を押し殺した。


 ロジェはずっと、ルトルクに既視感を覚えていたのだ。彼の特徴的な佇まいが、あの時の襲撃者にそっくりだったからだ。

 そしてたった今、彼がダンにロジェとの髪色の違いを伝えている事で、それは確信に変わった。

 あの頃のロジェを知っているのは、生き残りであるルキウスと、生死が確認できていない襲撃者だけだ。

 あの日は酷い雨で、ロジェが襲撃者と対峙したのも夜だった。人の顔すら認識し辛い状況だったが、髪色だけは印象に残っていたのだろう。

 

 ルトルクとダンが、今まさにルキウスを欺く会話をしている。ロジェが抱いていた疑惑が、恐ろしい事に真実になろうとしていた。


(あの時の襲撃者は、やっぱりルトルクだったんだ……! そして今……何もなかったかのように彼の側にいる……)


 どうしてルキウスに当時の事を教えないまま、彼は当たり前のように側にいるのか。そんな事、分かり切っている。

 ロジェの頭に、ずっと疑い続けていた『内通者』という言葉が過る。


 ルトルクは幼いころからルキウスの護衛だったと聞く。いったいいつから、彼はずっとルキウスを裏切っていたのだろう。


(……襲撃者が言う『あのお方』は、恐らくスヴェラお嬢様の母上である、フィオナ殿下だ。……そしてダンは恐らくフェルグス家が用意した偽物……そしてルトルクはきっと、フェルグスの内通者だ)


 繋がっていなかった線が、一本になっていく。長年追い続けてきた疑惑は、最悪の方向に傾いてしまった。


 ダンの声が遠くなっていって、やがて消えていく。二人が去っても、ロジェはその場から動けないでいた。



 走る気にはなれなくて、ロジェは歩いて馬小屋へと向かった。馬小屋の前にはザザドが待っており、心配顔で近寄って来る。


「良かった。遅いので、何かあったかと思いました」

「すみません、ザザドさん。……閣下は? 来てます?」

「ええ。しかし……」

「シン!」


 ルキウスの声が割って入り、ロジェは前方へと目を移す。 

 そこには険しい顔をしたルキウスと、ダンが立っていた。奥にはルトルクの姿も見える。

 とぼとぼ歩いてきたロジェより、中庭を馬で突っ切った彼らの方が早かったのだろう。


 ルキウスは目を切り上げて、ロジェの両肩を掴んだ。


「お前は馬鹿か! どうしてそんな薄手で出てきた⁉」

「あ……いや……走ろうと……」

「走る? いや待て、何でこんなに冷えてる?」


 ロジェの両頬が、温かいルキウスの手で包まれる。強張っていた気持ちまで溶けて行きそうで、ロジェはほっと息を吐いた。

 ルキウスは外套を脱ぎ、ロジェの身体を覆う。


「まったく、これからは着る物も管理する必要があるな、馬鹿猫。マフラーはどうした? 忘れたのか?」

「あ、マフラーはここに……」

「どうしてそんなところに入れている? マフラーの役割も知らないとか言うなよ? まったくお前は本当に……」


 ロジェの外套からマフラーを引き出したルキウスは、丁寧な手つきで巻き付けていく。その手つきは優しくて、確かな愛情が感じられた。

 目の前が潤んで、思わず縋りつきそうになる。それをぐっと堪えたのは、ルキウスの後ろにダンがいるからだ。



 彼らは恐らく、16年前と同じ事をしようとしている。ダンという偽のロジェを使って、ルキウスの弱みを掌握しようとしているのだろう。

 ルキウスはずっと、自分に情が無いのを憂いていた。ダンによってそれが解決する可能性があるのなら、彼を手放さないだろう。


 ダンはもうフェルグス姓を与えられている。もうフェルグスの掌握下にあり、目論見は半ば叶ったようなものだ。

 ダンと添い遂げたいとルキウスが願えば、嫌でもフェルグス家が関わって来る状況が作り上げられている。

 16年前の状況より、ずっと優利な立ち位置だと言える。


 彼らの最終目的は、フィオナの血を継ぐスヴェラが、ルキウスと結ばれることなのだろう。ダンを側室に迎えることを条件に、婚姻を結ばせる気なのかもしれない。

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