42.
*****
仕事の合間を縫って第三科を訪れたロジェは、自身の机を軽く整理した。引継ぎしなければならない事項を書き出していると、コーレンが身を乗り出してくる。
「なぁ、アースター。アカツキに戻るって本気か?」
「本気か、って……出向元に帰るだけだろ?」
「いやお前、閣下に許可取ったの?」
「? 許可はいらないだろ。そもそもそういう契約なんだから」
書類をとんとんと机に落としていると、コーレンが困惑の表情を浮かべる。
どうして困惑しているのか分からず、ロジェは首を傾げた。すると彼は、今度はわたわたと慌て始める。
「いやいや、全然分かってねぇな。アースターさ、お前ほいほい出て行けるような立場じゃないんだぞ?」
「……コーレン……この間言ったろ? 閣下の寵愛を受けているフリだったんだって。実際に好かれてる訳じゃない」
「本気で言ってる?」
「……言ってる。それに今は……ロジェ様がいるだろ?」
自分で言っておいて、喉元がぎゅっと絞られた。
ルキウスとダンは、あれからずっと一緒にいる。
初めは緊張していたダンも、今は我が物顔で執務室へやってくる。ルキウスもダンが来れば仕事の手を止め、ソファの隣に座って彼の相手をするのだ。
ダンがする昔話は、当然のことながら嘘ばかりだ。
馬から落ちそうになった時に助けてくれただとか、獣人に負けて泣いていたところを慰められただとか、ロジェにとっては鳥肌が立つものばかりだった。
本来の『無鉄砲で粗雑なロジェ』とは間逆の人物像だ。しかしダンの中でのロジェは、『ルキウスに守られるか弱いヒト族』というイメージなのだろう。
ダンの嘘を聞くと、清らかだった過去の記憶がじわじわと濁っていくような気がした。まるで侵食されていくかのように。
「……お似合いのお二人だ。コーレンもそう思うだろ?」
「いや、まったく思わない」
「……おいおい、見事なほどの即答だな」
「当たり前だろ。アースターと一緒にいる閣下と、あのロジェとかいうヒト族と一緒にいる閣下は別人だぞ。……お願いだ、アースター。もう少し待ってみたらどうだ?」
ロジェは否定するように首を横に振り、書類の整理に戻った。
待ってみても、ロジェの未来は変わらない。その先が見えないのだ。
ルキウスからもらった愛の言葉さえも、そのうち覆されそうで怖かった。だからその前に、ここを去りたいと思ったのだ。
(……やっぱり……離れて支えるのが一番だったんだ。側に近づこうなんて思うから……)
離れていても支える方法はいくつもある。今までもそうしてきたじゃないか。
小さなことしか出来ないが、積み重ねていけばルキウスの助けになるかもしれない。
まだ何か言いたげなコーレンの視線を避けていると、今度は違う同僚に声を掛けられた。
「アースター。ザザド様が来てる」
「ザザドさんが? 今行く」
思えばダンが来てから、ザザドともあまり話していない。文官室から出ると、ザザドはいつものように穏やかな態度で迎えてくれた。
「アースター様。お疲れ様です」
「お疲れ様です。……ザザドさん、どうしました? 何か御用ですか?」
「久しぶりに馬小屋に来ませんか? そのあと食事でもどうかと、殿下が仰られています」
「閣下が? いいんですか?」
ロジェが問うと、ザザドは眉根を寄せて顔を曇らせた。
「当たり前ではないですか。良いんですかなんて、聞かないで下さい」
「でも閣下は……ロジェ様と……」
「あの馬小屋は、お二人の隠れ家でしょう? 馬と猫と、お二人の」
「……っはは……。そうか、確かにそうですね」
干し草と土の匂いと、薄暗い照明。決して華やかな場所ではないが、大きな安らぎを得られる場所だった。
子猫たちも少し大きくなっているかもしれない。会いに行きたい気持ちがむくむくと育っていく。
「はい。行くと知らせて下さい」
「承知しました」
ザザドが去ると、ロジェは一層引き継ぎに力を入れる。
余計なことは何も考えないように仕事に打ち込んでいると、もう陽は傾き始めていた。
急いで支度をし、猫のマフラーを巻いて外へ出る。
本格的に寒くなってきたせいか、薄い外套では心許ない。もっと着込んで来れば良かったと、ロジェはその場で足踏みをした。
居室に厚手の外套を取りに戻るかどうか迷ったが、ロジェは走って馬小屋へ向かう事にした。走れば身体が温まるし、着いた先の馬小屋は篝火のお陰でほっこり温かい場所だ。
『決意したら即決行型』のロジェは、マフラーを外して外套の懐へと突っ込む。その場で軽く準備体操をすると、迷うことなく走り出した。
人の行き交う場所で走るのは流石に憚れ、馬の走行路である敷地の外周へと向かう。
走り出すと、懐かしい感覚に頬が緩んだ。ロジェは本来、身体を動かすのが大好きだ。
若い頃は体力づくりとして良く走り、それはアカツキに住んでいた時も変わらなかった。ここに来てからは多忙で走っていなかったが、身体は覚えていたようだ。
呼吸を均し、一定のリズムで足を運ぶ。すいすい流れていく景色が夕陽に染まって行くと、その美しさに心が癒された。
しばらく走ると、外来宿舎の裏手に出た。
ふと視線を移すと、ちょうど裏口から人が出てきて、本棟の方へと向かって行くところだった。その後ろ姿には見覚えがあった。
(……ダンと……ルトルク……?)
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