41.


+++++


『ロジェ・ウォーレン様ですね?』


 雨が降りしきる中で、声を掛けられたのを覚えている。

 

 狩り小屋からルキウスが消え、ロジェは外套だけを身に着けて外へ出た。そこに男が待ち構えていたのだ。

 最初に襲撃してきた男と同じく仮面を付け、髪もターバンで隠している。明らかに襲撃者の一味だが、彼はロジェに向かって手を伸ばした。


『俺はルキウス殿下の部下です。あなたを迎えに来ました』


 男は胸元からペンダントを引き出し、ロジェの前へと垂らした。そこにあった紋章は、確かにルキウスが身に着けている服に刺繍されているものだ。


『あのお方がお待ちです。行きましょう』

『行きましょうって、どこへ?』


 掴まれそうになった手を振り払って、ロジェは狩り小屋の壁を背にした。

 武器は小屋の中に置いてきてしまった。無防備に出てきた自分を呪うも、今はそれどころではない。

 ルキウスに会いたい。しかしこの男が信用できるのかは分からない。

 遠くからはまだ、魔獣の叫び声のようなものが聞こえる。何かが起きているこの状況で、知らない男に身を預けるわけにはいかない。


 じり、と踵を動かすと、男も身構えるように腰を落とした。


『あなたは、あの方に選ばれた。……怪我をさせたくない。大人しくついて来なさい』

『……あの方って、誰だ?』


 最初の襲撃者も口にしていた『あの方』という言葉。その言葉はルキウスを指してはいない。

 あの方の為にロジェを人質にして、彼らはルキウスを手に入れようとしている。その人物は一体誰なのか、ルキウスの為に知らなければならない気がした。


 その為には、この男から何としても逃れなければならない。手の内に落ちることだけは避けなければならなかった。

 しかしロジェは完全に退路を絶たれていた。この狩り小屋の先に道はなく、崖になっているのだ。


 裸足の指に、泥になった土が纏わりつく。どうにか逃げ切れるだろうか。そう思った時だった。


 けたたましい咆哮と共に、男の後方に火柱が上がった。その中から現れたのは、聳え立つ木々よりも大きな体躯を持つ、火龍だった。

 目の玉が赤く濁った火龍は、狂ったように暴れ回る。獲物を狩ろうとしている仕草はなく、ただ苦しそうにのたうち回っているように見えた。


 男は剣を抜きながら振り返ったが、もう遅かった。火龍の鋭い爪が男を襲い、受けきれなかった身体は横へと吹き飛んだ。

 火龍の意識が男に向かっているうちに、ロジェは全速力で走り出す。


 この先は崖だが、その側面はぼこぼこと隆起している場所が多い。運が良ければ横穴などに身を隠せるかもしれない。危険な賭けだが、これしか選択肢は浮かばなかった。


 ロジェは崖まで来ると、岩肌を覗き込む。

 視界が悪くて見えないが、足場になりそうな凹凸はいくつか見つけた。木も生えていて掴まる場所も多そうだ。


 崖を背にすると、もうそこまで火龍が迫っているのが見えた。あの男はどうなったか、考える余地もない。

 全身から冷たい汗が吹き出し、ロジェは外套を握り締める。咄嗟に自分のものではなく、愛しい男の外套を着てきてしまったが、今はそれがロジェの救いになっていた。

 ルキウスの匂いがふわりと香り、ロジェに力を与えてくれる。


 ぐっと足に力を入れたところで、なんと火龍に変化が現れた。その身体が傾ぎ、苦悶の声を上げはじめたのだ。

 何事かと目を凝らしてみれば、木々の間から白銀に光る何かが見えた。

 火龍が暴れて木々を薙ぎ倒すと、次第にその正体が明らかになってきた。


(……なんだ、あれ……狼……? いや、狼にしては大きすぎるし……)


 白銀の毛を持つ巨大な狼は、火龍の喉笛に食らいついていた。暴れ回る火龍をものともせず、その首を噛みちぎろうとせんばかりだ。

 美しい毛並みを乱し、必死で火龍へと食らいつく。その姿を見ていると、どうしてか涙が溢れそうになった。


 ついに火龍の身体が崩れ落ち、凄まじい衝撃音が鳴り響く。白銀の狼はひらりと火龍の身体から降り、ロジェの目の前に降り立った。

 獣毛はきらきらと光を放ち、凛とした佇まいは堂々としたものだ。ただの獣や魔獣ではないことが分かる。しかし得体の知れない生物であることは明らかだ。


 ロジェは咄嗟に狼へと背を向け、崖に向けて走り出した。しかしどうしてもその狼が気になる。

 振り返ってはいけない、と自分に言い聞かせた、その時だった。


「ろ、じぇ」


 拙い発音だったが、ロジェには理解できた。ルキウスの声だ。


 振り返ろうとした所で、目の前が真っ赤に染まる。それが火龍のフレアだと気付いた時には、衝撃で崖に放り出されていた。

 項と背中が焼けつくように痛み、意識が白んでいく。ロジェの名を呼ぶ悲痛なルキウスの声を聞きながら、身体は崖の底へ引き込まれていった。



++++++


 はっと目を覚まし、ロジェは寝台から身を起こした。

 心臓はばくばくと暴れ、全身から汗が吹き出している。目元に手を遣ると、びっしょりと濡れていた。

 久しぶりに見た夢だった。ルキウスとの別れの夢だ。


 あの白銀の狼は、獣化したルキウスだったのだろう。スコル族の末裔である彼はあの日、獣化して火龍に立ち向かっていたのだ。

 そうとは知らず、ロジェはルキウスに背を向けた。助けに来てくれた彼から逃げようとしたのだ。


(……姿が変わっても、気付くべきだったんだ。……番になったっていうのに、俺は彼の事を分からなかった……)


 ロジェに背を向けられたルキウスは、どんな気持ちだっただろうか。それを思うと自分を呪い殺したくなる。 

 あの時背を向けなければ、攻撃を受けることも無かった。ルキウスとの繋がりである、項の傷を守ることも出来たかもしれない。


「……っ、ごめん……」


 ぼろりと涙が溢れ出し、毛布に染みが広がる。


 番を裏切り背を向けたロジェは、本来なら彼の前に姿を現すべきではない者だ。

 しかしロジェは、彼を諦めきれなかった。

 ルキウスの記憶が無くなったのはショックだったが、一方で『裏切者のロジェでも彼に近付けるかもしれない』という期待も抱いてしまった。


「……最低だ……俺は、本当に……」


 このまま記憶がもどらなければいい。

 文官となってここに来てから、何度も思ったことだ。最低な想いだという事は、ロジェが一番分かっていた。

 ルキウスのために生きると言っておきながら、ロジェは結局、自分本位の生き方しか出来ていなかったのだ。


 ここ最近のルキウスは、自分の記憶が戻ることを本当に望んでいるように見える。少しずつ感情も戻ってきているのか、ダンを見る目は本当に優しい。


(……偽のロジェが……本当のロジェになるのかもな……)


 16年も前の記憶だ。どういう状況で元に戻るか分からない。現状に引っ張られ、ねじ曲がって思い出される可能性もある。

 ダンがロジェと認識される可能性だってゼロではない。

 そうなった場合、自分はどうするべきだろうか。


(……ダンを愛したルキウスを、俺は見ていられるのか? それでも支えていけるだろうか?)


 ぐっと吐き気が込み上げてきて、ロジェは洗面所へ走った。胃の中の物を全て吐き出しながら、情けなく嗚咽を上げる。


「……むり、だ……それだけは………できない……!」


 これまで、ルキウスの為なら何だって出来ていた。

 どんな辛い事も乗り越えられた。

 だけどルキウスの隣で偽の自分ロジェが笑っているなんて、きっと耐えられない。


(……帰ろう。……アカツキに帰るんだ……)


 ちょうど契約期間が終わるタイミングでもある。残った仕事を同僚たちに申し送りして、少しずつ荷造りもしていこう。

 やる事が定まれば、いつものように身体だけは動いてくれる。思考はどこかに捨てておいて、動くだけだ。


 涙と汗と、色んなもので汚れた顔を洗って、ロジェは顔を上げた。

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