9.

 執務室の隅には小さなテーブルがあり、ルキウスはそこで酒を呷っていた。

 テーブルにはいつも酒が常備してあって、朝まで飲む彼を見たことは一度や二度ではない。

 時には酒を飲みながら行為に及ぶ、ということもままあった。

 

「……飲みすぎですよ」

「なんだと?」

「いつも飲んでますよね? 身体に悪い」


 こちらを振り返ったルキウスは、眉根に深い皺を刻んでいた。『不快』という言葉を貼り付けたような表情だ。

 ルキウスが飲んでいる銘柄はアルコール度数も高い。いくら魔族と言えど、飲み過ぎは良くないだろう。


「……お前は、本当に何なんだ」

「真っ当な事を言っています。酒量が多すぎるのでは?」

「俺を気遣う芝居など、不快になるだけだ」


 吐き捨てて、ルキウスは見せつけるようにグラスへと酒を注ぐ。そして舌打ちを鳴らした口へと流し込むようにして酒を飲む。その姿はいつもよりどこか感情的だ。


 ロジェの胸がつんと痛む。その隣で酒を飲めたら、どれだけ良いだろう。

 ルキウスの話に耳を傾けて、その肚に溜まったものを吐き出させたら、少しは酒量も減るのだろうか。


「……閣下……。僕には気を遣わなくて、大丈夫ですよ」

「……なに?」

「殿下に取り入るつもりはないし、あなたに懸想することもない。だからその事を恐れて、牽制する必要はありません。疲れるでしょう?」


 ルキウスの瞳が、少しだけ揺れて見えた。そこには確かに昔の面影がある。

 持っていたグラスを静かに降ろして、ルキウスは吐息と共に声を漏らした。


「……お前は……本当に得体が知れないな……」

「その得体が知れない男のケツに、毎夜突っ込んでる閣下もどうかと思いますけど」

「……チッ……しかも言う事は言う」


 再度落とされた舌打ちは、先ほどとは違って軽いものだった。心なしか表情も緩んでいる。

 ロジェは心底嬉しかった。こうしたくだらない会話のやりとりが、胸躍るほど懐かしい。頬が緩みそうになるのを、必死で、本当に必死に耐える。

 ルキウスはそんなロジェに気付かないまま、視線を足元へと落とす。


「……鬼将軍、鬼畜、冷酷皇子……俺は確かに、それらの名をつけられるほどの男だ。生物として重要な何かが欠落している。情というものが一切湧かない。だから情を向けられても、煩わしさしか感じない」

「……」


 ルキウスが本格的に『冷酷』などと言われ始めたのは、ちょうど11年ほど前。彼がアンリール妃と離縁した時からだ。

 結婚して僅か2年で離縁し、二人の間に出来た娘もアンリール妃に引き取られた。

 離縁の理由は、主にルキウスにあった。彼が子供ができるなり別居し、母子との関わりを絶ったからだ。


「俺は子供にも情を向けられない。……生まれる前は、子供が出来れば変わると思っていた。……子供には愛を注げるだろうと。しかし俺は……微塵も情を抱けなかった。とんだ欠陥品だ」

「……う~ん、確かに。それはそうかもしれませんね」

「……っふ、やはり言うな。お前は……」


 顔を上げたルキウスは、口元に自嘲的な笑みを湛えていた。ロジェの不遜ともいえる言葉に憤慨する様子もない。

 少し疲れたようにも見えるその顔に、ロジェは手を伸ばしたくてたまらなかった。

 ルキウスはこれまで何度、こうして自分を責めてきたのだろう。


「でも……でもですね、閣下……」

「……?」

「あなたは別居と言う道を選んだ。それはひとえに、奥様に辛い想いをさせたくなかったからじゃないですか? 娘に愛情を示さない父親を見れば、産後の奥様は気を病むでしょう。愛情あふれるご実家で過ごされる方が、心は健やかで過ごせるかもしれないと、あなたは思ったのでは?」


 ルキウスほどの立場であれば、愛情不足を理由とした離縁を受け入れることはない。仮面夫婦で過ごすことも出来たはずだ。しかし彼はそれを選ばなかった。


 アンリールとルキウスは離縁したが、ウィンコット家は変わらず彼女の実家を援助していると聞く。没落しかけていた彼女の一族は、ルキウスによって盛り返したのだ。

 アンリールの娘はルキウスの実子として認められているので、その地位は他の令嬢よりも高いものになるだろう。


「それに閣下は……自身が欠陥を抱えていることを憂いているじゃないですか。あなたは冷酷なんかじゃないと、俺は、いや僕は思いますけど」

「……」

「……落ち着いたんで、帰ります。深酒は避けてくださいよ」


 ルキウスの手元にあったグラスに視線を落とし、ロジェは肩を竦めてみせた。そして踵を返そうとしたところで、呼び止められる。


「アースター」

「はい、閣下」

「明日から二日間、俺は公務でトクナ地方へ行く」

「……っ! はい……!」


 喜びの声を押し殺し、ロジェは姿勢を正した。素晴らしき日々の再来だ。ルキウスを拝めなくなるのは寂しいが、まともに睡眠を確保できる日々が訪れる。

 続く言葉を待っていると、目の前のルキウスが眉山をついと上げた。


「お前も同行しろ」

「はい、喜ん…………え……?」

「通達は明日一番に出しておく。……早く下がれ」


 言い捨てると、ルキウスはにやりと口端を吊り上げた。

 一気に積み上がった希望が、がらがらと崩れ落ちる。その場にへたり込まなかった事を褒めて欲しい。

 かくしてロジェは、明日からルキウスの公務に同行することとなってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る