10.


 そして翌朝。

 朝一番に通達を読んだロジェは、昨晩の絶望から一転、妙に落ち着きながら身支度をしていた。今回の公務はトクナ地方の視察だ。


 トクナ地方は例のソーリャ地方と同じく、古株の貴族が力を持つ地域だ。案の定同じような案件があり、先日ロジェからルキウスへ報告をしたばかりだった。 


 今回、直々にルキウスが視察へ出向くのは、トクナの当該貴族にアンリール元妃の実家も含まれているからだ。

 貴族によって行われてきた悪習を、ばっさり断ち切るのは容易ではない。元身内なら尚更だろう。

 ルキウスも今回ばかりは、文書一つで済ませる訳にはいかなかったようだ。


(……俺の出向元はトクナに近いし……報告したのも俺だしな。文官を連れて行くなら俺で妥当かも)


 公務はあらかじめ予定されていたもので、視察に文官が付いていくのも不自然ではない。今回はたまたまロジェに白羽の矢が立ったのだろう。 

 鞄に荷物を詰め込んで、ロジェは安堵ともつかない息を吐き出した。


「……生意気な口利いた罰かと思ったが、違ったか……」


 昨晩の会話には、ルキウスの地雷を踏み抜く要素がたんまりとあった。

 道中どんな目に合わせられるかとロジェは恐れていたが、杞憂に終わるかもしれない。穏やかな小旅行であることを願うばかりである。



 集合場所の門前に着くと、側近二人はもう到着していた。ルキウスが来る前に、一通り挨拶を済ませておく。


「シン・アースターです。今日からよろしくお願いします」

「ザザドです。殿下の側近兼、護衛を務めております」


 初めに挨拶をしたのは、例の雄々しくも優し気な側近だ。

 今日は公務という事もあり、略礼式の軍服をきっちりと着こなしている。その姿はまさに戦士で、戦場で対峙したら身震いするほど精悍さだ。


 もう一人の側近は、肩まである黒髪を一つに束ねている男だった。

 ザザドと比べると細身だが、手足が長くしなやかな印象だ。顔立ちは整っているが、垂れ目がどことなく頼りなさげで、常に眠そうな雰囲気を受ける。

 

「ル、トルク、です。よろ、しく」

「よろしくお願いします」


 ルトルクの声は、喉から絞り出したような掠れ声だった。ロジェの戸惑いを感じたのか、ザザドが代わりに口を開く。


「聞きづらいでしょう。ルトルクは戦場で喉をやられてしまって、あまり声が出ないのです。もしも聞きたいことがあれば、私に聞いてください」

「そうなんですね。承知しました」

「ところでアースター様、それ……」


 ザザドが指差す先を見て、ロジェは「ああ」と声を漏らした。外套の内ポケットから小さな銀板を出して、ザザドへと差し出す。


「これ、帯剣許可証です」


 ザザドの前に差し出すと、彼だけでなくルトルクも目を丸くする。

 ロジェは今日、腰に細身の剣をいていた。軽くて使いやすい自慢の愛剣だ。


 この国では、帯剣許可証がなければ武器を身につけられない。許可証の種類は細分化されていて、持っていい武器や用途も限られてくる。違反すると罰金を取られるか、牢屋に直行だ。

 ザザドに差し出していた許可証が、ひょいと誰かの手に奪われる。


「……意外だな」


 見上げると、そこには黒い外套に身を包んだルキウスが立っていた。彼が持っている銀板が、陽を浴びてきらりと光る。


 公務仕様なのか、ルキウスの髪には編み込みが施されていた。顔の造形美が際立って、男前っぷりがこれでもかと前面に出てしまっている。

 ロジェとしては、懐かしい銀髪の房が編み込まれているとちょっとだけ寂しい。


 ザザドはルキウスへ軽く頭を下げたあと、また驚きの顔へと戻った。


「しかも銀板ですか。我々が持っているものと同じですね」

「まぁ、一応。あまり使う機会はないですが」

「……武官の試験を受けたのですか?」

「はい。辛くも受かったという所だったので、文官の道を選びました」


 ロジェは笑みを浮かべて、腰に下げていた剣を指でぱちりと弾く。


 ヒト族だったロジェは、ある事情があって魔族の国で暮らすことを余儀なくされた。

 実際に暮らし始めたとき、最初にぶつかったのが帯剣許可証の取得である。

 ロジェには身を守る武器が必要だったが、武装しなければならない理由を提示できない。

 冒険者にでもなれれば良かったが、環境が許さなかった。一番都合が良かったのが、武官という道だ。


「文官という道を選びましたが、僕は戦にも出れる立ち位置にいます。だから道中、自分の身は自分で守りますので、側近のお二人は閣下に集中してもらって結構です」

「聞いてはいましたが……アースター様は本当に優秀ですね。武官と文官の試験を併願する者もいると聞きましたが、どちらも合格する者など、ごく僅かと聞きます」

「いや、武官の方は本当にギリギリだったんですよ」


 相当努力したが、武官の方の成績は本当に散々だったのだ。

 はにかみながら答えると、額に何かがぺちりと貼り付いた。視線を上げてみると、許可証が額の上で輝いている。

 ロジェが慌てて許可証を取ると、ルキウスの蔑みを含んだ声が降ってくる。


「戦だと? 馬鹿が。お前のような奴が戦場など行けば、初陣も叶わないまま、昂った魔族にヤり殺されるぞ。引っ込んでおけ」 

「……なっ!」


 ルキウスを睨み上げると、彼は呆れたような表情でロジェを見下ろしていた。

 そんなことも分からないとでも言いたげだが、ロジェの強さは武官試験で少なからず証明されている。

 見た目で弱いもの扱いするのは気に食わない。何よりルキウスにだけは言われたくない言葉だ。


 猫のように鼻梁へ皺を寄せていると、ルキウスはふいと顔を背けた。そしてそのまま踵を返し、用意してあった馬車へと乗り込む。

 ルトルクは慌てて後を追い、馬へと飛び乗る。しかしザザドは慌てる素振りを見せず、身を屈ませると、ロジェへと囁いた。


「デレましたね、殿下」

「え? は? あれ、デレですか? どこが? 辛辣過ぎません?」


 先ほどのルキウスの言葉は、労わりや優しさは微塵も含まれていない言葉だった。

 あれがデレだとすればツンが末恐ろしい。少しも癒されないデレなど、最早デレとは言えないのではないか。 


 呆れ顔を隠さないロジェを見ても、ザザドは穏やかな雰囲気のままだ。そしてロジェの問いには答えず、なぜか満足げに微笑んだあと、馬へと乗り込んだ。

 仕方なくロジェも馬へ乗り、一番後ろを進む。


(……何だったんだ、あれ。ザザドさん、なんか嬉しそうだったけど……。あ、そうだ……薬! ったく、辛辣デレで忘れるところだった)


 ロジェは手綱から片手を外し、腰につけていた鞄から薬瓶を取り出した。片手で器用に蓋を外し、口へと流し込む。

 独特の風味が口に広がるが、もう慣れてしまった。寝不足による頭痛がこれで良くなれば最高なのだが。生憎それは望めないだろう。


 ロジェはひとつ息を吐いて、ぽんぽんと馬を撫でる。心得たとばかりに速度を上げた馬に揺られながら、ロジェは馬車を追った。

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