26.
両手をついて四つん這いの体勢になり、ロジェは子猫たちにゆっくりと近付く。
魔獣の血を継いでいるだけあって、子猫たちはロジェをまったく恐れない。むしろ興味を持ったのか、転がるようにロジェへと近付いてくる。
手を伸ばすと、まるで絡みつくように子猫らが擦り寄って来た。
「……っは……⁉ あぁああ……ここは、もしや、てんごくでは……?」
「……」
「ふっわふわで、あったかくて、あぁ……かわい……」
子猫らはロジェの手を甘噛みし、げしげしと後ろ足で手の平を叩く。
ロジェの手を玩具とでも思っているのか、容赦ない責めである。しかしロジェにとっては至福の時間だった。
適度に手をちょいちょいと動かし、元気よく向かってくる子猫らを堪能する。
「……はぁ、かあいい、いやされる……」
こんな場所があるなら、早めに教えて欲しかったものである。文官ではなく厩舎の管理係にでもなれば良かったかもしれない。
親猫を見てみれば、「やれやれ」といった風に自身の毛づくろいに勤しんでいた。子育てが大変なのはどの種族も同じだ。
「ママ猫さん、頑張ったなぁ」
「……母は偉大だな」
「ですね」
側に来ていたルキウスは母猫を見下ろしながら言う。その顔にどこか陰があるような気がして、ロジェはつい口走ってしまった。
「父も偉大ですよ。……あんなに可愛いお子さんをお持ちじゃないですか」
「……ノレイアの事なら……違う。あれは俺の子じゃない」
「そうなんですか。……って、えぇ⁉」
「ノレイアの本当の父は、俺の部下だった男だ。公にはしていないが」
狼狽えるロジェの隣に、ルキウスがしゃがみ込む。目線は母猫に向いたままで、何かを思い出しているようにも見えた。
「俺の部下とアンリールは幼馴染でな。身分違いではあったが、二人が愛し合っていることも、俺も知っていた。……しかし王都で発生した襲撃事件に巻き込まれて、その部下が重傷を負ってしまったんだ。その部下から、アンリールを嫁に貰ってくれと頼まれた。腹に子がいると分かったのは、その後だ」
「……え、えっと……」
ルキウスは軽く話しているが、これが公になれば大事である。
恐らくその部下は、身分の違いからアンリールとは結ばれないと悟っていたのだろう。しかしそんな自分の子を、アンリールは身籠ってしまった。
いくら貴族の娘と言えど、子が出来てしまえば誰からも貰い手は来ないだろう。それどころか、アンリールの実家の名誉も危うい。
藁にも縋る、いや、鬼に縋る思いで、部下はルキウスに相談したのかもしれない。まさかまさかで了承され、さぞ驚いたことだろう。
「……そ、その……部下の方は……?」
「生きている。片脚を失ったが、アンリールの実家で庭師をしているよ」
「……それって……」
ロジェは言葉を引っ込めて、ザザドを見上げた。彼は困ったように微笑んでおり、その表情でロジェは何となくわかってしまった。
アンリールに実家へ帰るよう指示したのは、ルキウスの愛情不足を懸念しただけではなかったのだ。アンリールの実家で働く部下に、娘を会わせるためだったのだのだろう。
驚愕するロジェに気付くことなく、ルキウスは独りごとのように零す。
「結果的に良かったとは言えど、娘には愛を注ぐべきだったと思っている。公には俺の子だからな。……アンリールにも、『彼の事は気にせず、愛して欲しい』とは言われていたんだが……」
「……閣下……」
「何だ?」
「あなたは冷徹なんかじゃない。馬鹿みたいに優しいじゃないですか」
「馬鹿だと?」
眉根を寄せるルキウスを見つめて、ロジェは「ええ、大馬鹿です」と微笑む。しかしルキウスはロジェを咎めることなく、まるで自らを嘲るかのように鼻で笑った。
(……ほんとルキウスには、驚かされることばかりだな……)
アカツキで聞く彼の噂は、総じて酷いものばかりだった。ここに来てもなお『鬼将軍』などと呼ばれているが、本当の彼はこんなにもまっすぐで優しい。意外性で溢れていた昔にそっくりだ。
心の底から嬉しくて、つい満面の笑みが零れる。こちらの顔をじっと見つめるルキウスに、ロジェは問いかけた。
「閣下は猫がお好きですか?」
「……いや、特に何とも思わん」
「そうですか。……こんなに可愛いのに……」
手を少しだけ傾けると、体勢を崩した子猫がロジェの手に必死で掴まる。そのまま手の平で掬い上げ、親指の腹で耳の裏を掻いてやった。
すると子猫は気持ちよさそうに目を細め、みぃみぃと可愛らしい声を上げる。
「んふふ、きもちいい? はぁー……かぁーあいいー」
「……なるほどな」
「?」
ルキウスの方へ視線を移すと、彼は神妙な顔で頷いていた。長い指で自身の唇を撫でて、納得したように口を開く。
「……理解した。これが、可愛いか」
「……! そうでしょう? かわいいんですよ、こいつら……」
ルキウスにも子猫を触ってもらおうと、ロジェが両手で子猫を抱いた時だった。ぽん、とロジェの頭にルキウスの大きな手が乗る。
視線を上げると、ルキウスの緑の双眸とぶつかった。そして彼の唇が、緩く弧を描く。
「ああ、かわいいな」
「……っ」
久しぶりに見たルキウスの笑顔は、それはそれはささやかなものだった。
微笑にも満たない笑みを浮かべて、彼はロジェの頭を何度も撫でる。目線は猫ではなく、ロジェを見据えたままだ。
「かわいい、かわいい」
「……か、閣下?」
ロジェが固まっていると、両手にはどんどん猫が集まってきた。手の上では子猫らがだまを作り、頭はルキウスに撫でまわされる。
逆ハーレム状態になったロジェは、ぽかんと口を開けたまま、暫く動けなかった。
ルキウスはロジェの癖っ毛を弄びながら、いつものように淡々と言葉を続ける。
「それと、華奢猫。夜伽役はもう用意しなくていい。今までここへ通っていた娼館の者らには特別に手当を与え、もう招くな」
「……? 分かりました。では、夜にご訪問される御令嬢たちは如何いたしましょうか」
「……それについては……面倒だが、追い返す訳にもいかん」
冷酷と言われるルキウスだが、その権力から取り入ろうとするものは後を絶たない。最近は正式な縁談の申し込みも多く、社交界にもしつこいほど誘われているようだ。
「どなたかを寵愛すればよろしいのでは?」
そう口にしたのはザザドだ。いつのまにか真後ろに来ていた彼は、ロジェの手で遊ぶ子猫を覗き込みつつ、言葉を続ける。
「殿下は早急に結婚しなければならない身ではありませんし、魔族は長命なので今すぐに跡継ぎをという訳でもありません。どなたかを側に置き、寵愛を示せば、暫くは安泰だと思いますが」
「……なるほど。確かに面倒事は減りそうですね。では……相手を見つけなくてはいけませんね」
「その通りですね、アースター様」
ザザドが柔和な笑みを浮かべ、ロジェの顔を覗き込む。そしてそのままルキウスへと視線を移した。
「そのお相手は……殿下が人前でも寵愛を示せる者しか務まりませんね」
「………」
ロジェはルキウスを仰ぎ見て、彼の顔色を伺った。その表情には変化がないが、何やら考え込んでいるようにも見える。
寵愛していることを示すためには、それなりの態度が必要となるだろう。感情表現を苦手としているルキウスが、人前で誰かを愛でる振りが出来るのだろうか。
ルキウスはこんなに可愛い猫の前でも口角一つ上がらない男なのだ。
「……う~ん。やっぱり無理じゃないですか?」
「吊るされたいか、馬鹿猫」
「だって、出来るんですか? 人前でデレデレしなきゃいけないんですよ? ですよね、ザザドさん?」
「デレデレしろとは言いませんが、誰が見ても寵愛しているという雰囲気があった方がいいでしょうね」
ロジェは子猫をあやしながら、思考を働かせた。
昔のルキウスならともかく、今のルキウスが誰かを側に置いているイメージがまったく湧かない。最低でも微笑み合ったりするぐらいはしないと、信憑性がないだろう。
「………あ! ものすごく積極的なお相手だったら、大丈夫なんじゃないですか? 甘え上手な方だったら、閣下もその方に合わせるだけで良いですし!」
我ながら名案だ、とロジェは満面の笑みを浮かべた。しかしいつものことながら、隣にいるルキウスに変化はない。
白銀の髪をしゃらりと垂らして、ルキウスは口元を緩める。
「では頼んだぞ、華奢猫」
「……? お相手の手配ですか?」
「いいや、お前が相手だ」
「??」
助けを求めるようにザザドを見上げると、彼も満面の笑みを浮かべながら頷いていた。
「アースター様なら大丈夫ですね。殿下をよろしくお願いします」
「……えっと、もしかしてだけど……相手役を僕に、って言ってます? 冗談ですよね?」
「俺の事はルキウスと呼べ」
「いやいや、話進めないでくださいよ!」
子猫を抱いたまま立ち上がり、ロジェはルキウスとザザドを交互に見る。
自慢ではないが、ロジェは恋愛面に絶望的に疎い。初恋はルキウスであり、その手の何もかもは彼のリードに任せていた。
「僕は積極的になんて無理ですし、そもそも恋愛経験が乏しいんです!」
首を横へと振りながら訴えると、ザザドは変わらず穏やかな態度で言う。
「アースター様。そんなに難しく考えずとも大丈夫ですよ。……そうですね……殿下を甘やかす。という感覚で臨んでみては如何でしょうか」
「……甘やかす……?」
ザザドの言葉を反芻して、ロジェは再び考えを巡らせる。
恐らくロジェは、ルキウスを甘やかす事なら喜んでやれる。この16年間、ロジェはルキウスの役に立ちたいと願っていたのだから。
更に彼の側について何かをしてあげられるなんて、願ってもないことだ。
「それなら出来ます! おまかせを!」
胸を張って言うと、ルキウスが一瞬だけたじろいだように見えた。ロジェの反応が意外だったのだろうか、驚いたような顔には、困惑の色も混じっている。
しかしロジェは、期せずして舞い込んだ好機に湧いていた。
ルキウスとその側近の公認の上で、彼を甘やかせるのである。これ以上の幸せがあるだろうか。
ロジェはルキウスへぐっと近付き、力強く頷いてみせた。
「閣下。僕があなたを幸せにします!」
「……」
ルキウスの美しい瞳が、ロジェを見下ろす。馬小屋の篝火が、光の粒になって彼の瞳を彩っていた。
なんて綺麗な瞳だろうと、ロジェは何度も思う。見る度に魅了され、その瞳に自分が映ることすら憚れてしまう。
この瞳が曇ることの無いよう、ずっと守りたい。それはロジェの悲願だ。
(……抑制剤も手に入ったし、きっと大丈夫だ。残りの期間は、彼の側にいたい)
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