33.
*
長い廊下には部屋が並び、突き当りには中庭が広がっている。いくつか間口が開いていて、それぞれにテラスが設けられていた。
酔いを覚ます魔族もちらほら見かけるが、ルキウスの姿はない。
ロジェは空いているテラスから、中庭へと降りてみた。冷たい空気が身体を包み、上着を持ってこなかったことを少し後悔する。
(……寒くなったなぁ。王都に着た頃は、少し汗ばむくらいだったのに……)
本格的な冬が、もうそこまで来ているようだ。雪がちらついてもおかしくないほどの寒さに、ロジェはほうっと肺から息を吐き出す。
白い息がふわりと舞い、少しだけ気分が晴れた気がした。
中庭には立派な噴水があり、中央には水の精霊の石像が水瓶を傾けている。精霊の名前は知らないが、女性体の美しい石像だ。背中から生えている羽は小さく、四つに分かれている。
しばし目を奪われていると、遠くから複数人の話し声が聞こえた。声を落として話しているようで、その会話の内容は聞き取れない。
(……内緒話か。盗み聞きは失礼だよな……)
かじかんだ手に息を吹きかけ、ロジェは踵を返そうとした。しかし耳が、信じられない言葉を拾う。
「…………ロジェ……ウォー……見つけなさ……」
(……ロジェ・ウォーレン……?)
聞き間違いではなかった。かつての自分の名前に、ロジェの全身が一瞬にして警戒態勢になる。剣の柄に手を掛けて、ロジェは声の方向へ静かに歩み寄った。
噴水の向こうには垣根があり、その向こうから声が聞こえてくるようだ。息すら抑えて、ロジェは聞き耳を立てる。
「……今が絶好の……よ……ロジェ・ウォーレンが……にあれば……」
「しかし……は……」
会話している一人は女性だ。更に近づけばもっと聞こえるだろうが、これ以上は危険かもしれない。
更に会話へ集中しようとした所で、背後に気配を感じた。
ロジェが振り返ると、目の前にはもう白刃が迫っていた。身を反らしながらかろうじて避け、ロジェも剣を抜き去る。
目の前には体格の良い騎士が二人立っていた。揃って抜刀しており、ロジェに向ける殺気も隠す気はないようだ。
「誰かと思ったら、さっきの半魔か」
「……お前らは……」
「おい半魔、お前抜刀してるな? 騎士に剣を向けることがどういうことか、分かっているんだろうな?」
「勿論。……でも先に手を出したのはお前らだろ」
武官は戦う意志が無い限り、抜刀しない。そして剣を抜き合えば、何をされても文句は言えないのだ。手合わせとみなされ、例えそれで殺されても、殺した者の罪にはならない。
しかしそれは、同意のうえでお互いに抜刀した場合だ。ロジェのように攻撃を仕掛けられた場合は、相手側に責がある。
目の前の騎士には見覚えがあった。スヴェラの側にいた護衛騎士だ。
「目撃者が居ないんじゃ、ただの立ち合いにしか見えないだろうなぁ」
「いいや、不審者を始末したと言えばいいだろ? 護衛対象の近くに潜んでいたんだ。斬られても文句は言えんさ」
「……っ」
確かにこの状況はロジェに不利だ。いくら会話に気になる点があったとはいえ、近付いて身を潜めていた時点で、不審者と見なされても仕方がない。
ロジェは剣を納め、柄からも手を放す。
「暗闇で声を潜めて話す者がいたから、不審者かと思って近付いた。それだけだ」
「……嘘だな。お前は恐れ多くもお嬢様に懸想して、人気のない場所へ連れ込んで乱暴しようとした。そして俺たちに粛清されるんだ」
「……っ、ふざけるな……」
「半魔のお前の言う事など、誰も信じないさ。ルキウス殿下は、お嬢様を実の妹のように思ってらっしゃるんだ。いざとなれば、お嬢様を選ぶに決まっている」
じりじりと騎士らが迫って来る。
ロジェは剣帯ベルトから剣を鞘ごと抜き去って、その場に投げ捨てた。それを合図に、騎士らがこちらへと飛び掛かって来る。
魔族の騎士は魔族軍の中でも精鋭だ。その中で腕の立つ者だけが、貴族の護衛に選ばれる。半魔のロジェと騎士二人では、力の差は明らかだ。
仮に抵抗したとして、ねじ伏せられるだけだろう。そして抵抗すればするほど、ルキウスに迷惑がかかる。
ロジェに残された選択肢は一択だった。
*****
指に挟んだ煙草が、ちりちりと音を立てる。立ち昇る紫煙を見上げて、ルキウスは呑気に浮かぶ月を、バルコニーから睨みつけた。
腹が立った。などという並みの言葉では言い表せないほど、先ほどの怒りは凄まじかった。まるで腹の中の臓物が煮えたぎるようだったのだ。
しかしその後、シンの笑顔を見た時、胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。そして怒りが一瞬のうちに消えてしまった。
シンが見せた笑顔は、決して美しいものではなかった。締まりのない馬鹿丸出しの笑顔だ。それでもルキウスは目を離せなかった。
(……この感情は、初めてじゃない。懐かしい……)
ずっと昔に、あんな笑顔を向けて来る者がいたような気がする。朗らかで太陽のような、真っ直ぐな笑顔を。
ずき、と鈍い痛みが頭に走り、ルキウスは顔を顰める。深く息を吐いて痛みを逃すと、頭が逆にすっきりとしてきた。
(……そういえば……シンには護衛を付けていなかったな……)
ルキウスはこの晩餐会に限って、護衛を付けないようにしていた。主催者が信用でき、参加者も厳選されているからだ。しかしそれはルキウスに限ってのことで、シンは違う。
魔族の中には半魔に良くない感情を持つ者もいる。ルキウスの同伴者に手を出す愚か者はいないとは思うが、万が一がある。
先ほどの怒りで、そんな事すらを失念していた。舌打ちを零していると、背後から複数の気配を感じる。
「まぁ煙草? 兄さまは何をしても様になるわね。格好いいわ」
「……スヴェラ」
護衛をぞろぞろと引き連れたスヴェラは、先ほどの事など無かったかのように、ルキウスへと笑顔を向ける。
穏やかな義兄とは違い、スヴェラは気が強く傲慢だ。母に似ていると世間では言われているが、スヴェラの母は豪傑を絵に描いたような女だった。こうしてルキウスに媚びるスヴェラからは、その素質は見受けられない。
ルキウスは煙草を消し、スヴェラへと向き合った。そしてバルコニーを塞ぐように立っている護衛をぐるりと見渡す。
「退け。連れを探しに行く」
「兄さま、先ほどの事を怒っているの? ……ねぇ、大事な話があるの。半魔なんて放っておいて」
「……どちらが大事か、俺が決める事だ」
顎を上げて威圧的に言い放つと、護衛らがたじろぐのが見えた。
スヴェラは片方の頬を引き攣らせながら、それでもルキウスへと食い下がる。
「兄さまにとって、大事な話よ。聞いて」
「退けと言ってる」
「……16年前の、事件の話なの」
「何だと?」
ルキウスが問うと、護衛がスヴェラへと一歩踏み出した。その手にはぼろぼろになった服が置かれている。それには見覚えがあった。
目を眇めて、ルキウスは言い放つ。
「……合同訓練の制服だろう。何度も見た」
「では、これはどうです?」
スヴェラが手を伸ばし、まるで汚いものを扱うかのように、服の中からなにかを摘まみ上げる。
元は銀色だっただろうそれは血で変色し、所々腐食しているように見えた。軍人なら誰でも知っている、認識票と呼ばれるものだ。
二枚とも揃っているが、持ち主は恐らく死んでいるのだろう。
スヴェラは人差し指と親指で認識票を摘まみ、目の高さまで上げる。
「……兄さま。ロジェ・ウォーレンという名を知ってる? この認識票の持ち主なのだけど」
「……ロジェ……ウォーレン……」
ずき、と激しく頭が痛む。思わず頭を抱えると、スヴェラが興奮したように言う。
「やはり。この人を兄さまはご存じなのだわ。……実はこの人と兄さまは、とても親しくしていたようなの」
「……どういう事だ?」
「秘密裏に手に入れた情報だけど、兄さまはこの男を魔族軍に引き入れようとしていたらしいわ」
「……軍に……?」
痛みは直ぐに引き、ルキウスは記憶を辿る。しかし、やはり何も思い出せない。
16年前の事件は、ルキウスにとって空白の出来事だ。あの事件から感情が失われているが、だからこそ当時の事に興味はなかった。
当時のルキウスは19歳になったばかりの若造だ。そんな自分が軍に入れようとした者など、取るに足らない人物だろう。
ルキウスにとって過去の話よりも、今は一人にしてしまったシンの方が気になっていた。
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