34.
「……話はそれだけか? 俺は急ぐんだ」
「お待ちになって、兄さま。……もしその方に会えたら、兄さまの感情も戻るかもしれない。そうは思いませんか?」
「くだらん。……当時の訓練生は全滅した」
「ヒトの国に『俺は合同訓練の生き残りだ』と語っている者がいると聞きました。ロジェ・ウォーレンもヒト族でしたから、その男がロジェという可能性は高いでしょう」
「良いから退け。俺にはその誰かより、連れが気になるんだ」
言い放つと、スヴェラの顔があからさまに歪んだ。
「あの男なら……粛清しましたわ」
「……何?」
スヴェラの眦に、涙が溜まっていく。弱々しく震えながら、彼女は自身の腕を抱きしめた。
「私の事を追い回して、中庭で襲おうとしたんです……。護衛が気付いてくれなかったら、どうなっていたか……」
スヴェラは涙を流しながら、ルキウスの胸へ縋りついた。ルキウスはその両肩を荒々しく掴み、スヴェラの双眸を覗き込む。
ひ、と悲鳴を飲み込んだスヴェラに、ルキウスは低く言い放った。
「中庭か」
「……っ」
護衛にスヴェラの身体を押し付け、ルキウスは躊躇なくバルコニーの柵を飛び越えた。
柔らかな芝に着地すると、すぅ、と鼻から息を吸う。
スコル族の血を継いだルキウスは、通常の魔族よりも感覚が鋭い。特に匂いは敏感に感じ取れる。日常生活では抑えているが、いつでも能力は引き出すことができた。
(……あっちか。……くそ、血の匂いもするな……)
匂いの元を辿ると、噴水のある中庭に行きつく。そこには騎士が二人、下品に笑っている。
「っはは、ったく話になんねぇよな。半魔のくせに、帯剣なんかしやがって」
「ああ、さみぃ。早く入ろうぜ」
「……お前らか」
「……っ⁉」
騎士らが反応するよりも早く、ルキウスは剣を抜き払った。二人のうち一人の首が、ずるりと胴体から離れる。話を聞くなら、一人で十分だった。
「ひぃっ!」
引き攣るような悲鳴を上げ、騎士は剣の柄に手を掛けた。しかし相手がルキウスだと知ると、懇願するような表情を浮かべ、慌てて柄から手を放す。
「ル、ルキウス殿下……! なんて事をするのです! ……我々はただ、お嬢様を害そうとする者を……」
「黙れ。あいつはどこだ⁉」
「半魔の分際で、こいつは……」
騎士の目線が斜め下へ降り、噴水の土台がある場所へと移る。
ルキウスから死角になっていた場所だ。少し身体を傾けると、靴を履いていない足が見えた。
騎士の身体を押しのけ、ルキウスは目の前の光景に立ち尽くす。
芝生と横たわるシンは、ぐっしょりと濡れていた。履いていた長靴は近くに転がり、露わになった指先は血が通っていないほどに真っ白になっている。
濡れた髪が顔を覆って、その表情は見えない。しかし吐き出される白い息が、弱々しく漂っていた。
「……シン……?」
ルキウスは今すぐにでもシンに駆け寄り、彼を助け起こしたかった。
しかしルキウスの身体はどうしてか、恐怖に絡め取られているように動かない。
頭の中に、悲痛な男の叫び声が響く。
『____ ウォーレン! ああ、なんてことだ……!』
その声は、確かに自分のものだ。
そして残像が、まるでそこにあるように揺らめく。
濡れた身体、血の匂い。いつかの記憶がまさに目の前にある。
そして横たわる身体から立ち昇る、狂おしいほど愛しい匂い。
「……ル、キウス……様……」
「……っ!」
か細い声に、はっと意識が戻る。残像が消え、ルキウスの目の前の光景に鮮明に戻った。
ルキウスはシンへと駆け寄り、その顔に掛かる髪を払いのけた。そして頬の冷たさに、息を吞む。
シンはぐったりと横たわり、唇だけを動かす。
「……っおれが、わるいん、です……。ご令嬢だとは、しりませんでしたが……はなしごえが、きこえて……」
「いいから、もう喋るな」
ルキウスはコートを脱ぎ、シンの身体に巻き付ける。そのまま抱えあげると、足元に彼の剣が見えた。剣は鞘に入ったままで、濡れている様子もない。
「剣を……抜かなかったのか?」
「……もうし、わけ……」
「謝るな」
シンの腕ならば、騎士二人相手でも問題なかったはずだ。
騒ぎを起こせばルキウスの耳にも入り、助けだって呼ぶことが出来ただろう。しかしシンは剣を捨て、騎士らの粛清を甘んじて受けた。
「……こいつが、何をした……?」
ルキウスが言うと、騎士が一歩後退した。
騒ぎを聞きつけた観衆が、ぞろぞろと建物から中庭へと出て来る。中には衛兵の姿も見えた。
騎士はじりじりとルキウスから後退しつつ、口を動かす。
「そ、その半魔は……スヴェラお嬢様を付けまわし……害しようと……」
「嘘を吐くな! 護衛がぞろぞろ付いている女を、追いかけ回せるものか!」
「……そ、それは……」
「……剣を捨て、抵抗を示さない男に……お前たちは何をした⁉」
「ルキウス!」
人混みが割れ、ガイナスが杖をついて中庭に現れた。毛布を持った使用人が、ルキウスの元に駆けてくる。
近寄ってきたガイナスの後ろから、護衛をぞろぞろと連れたスヴェラも現れた。
「……兄さま! どうか、うちの護衛をお許しください! わたくしの事を心配してやったことなのです!」
必死で訴えかけるスヴェラを睨みつけ、ルキウスはシンへと視線を落とす。
衛兵が持って来た松明で、先ほどまで分からなかったシンの様子が浮き彫りになった。頬にはいくつもの痣が浮かび、口の端には血が滲んでいる。
「スヴェラ……正気で物を言っているのか? それともフェルグス領では、疑わしいと思ったものは総じて攻撃して良いと、教育を受けているのか?」
「……た、確かにまずは拘束し、聴取すべきだったのかもしれません。……しかし彼らは騎士道に則って、彼を罰したのでしょう。正義感が先行してしまったのかもしれません……そんな彼らを、騎士らを罰することなんて出来ますか?」
胸に手を当てて、スヴェラがぐっと唇を引き結んだ。じわりと涙を浮かばせる様は、見る者が見れば、庇護欲を駆り立てるものだろう。
しかしルキウスにとっては神経を逆撫でされるものでしかない。
シンが濡れた状態で暴行を受けているのは、騎士らの悪習のせいだとルキウスは気付いていた。『騎士』という華やかな面の下には、驚くほど黒いものが渦巻いているのだ。
気に入らない新人がいれば、暴力で屈服させようとし、そのやり方は模倣を繰り返す傾向がある。加えて強大な後ろ盾があれば、やりたい放題だ。
「正義感? 笑わせる。……水辺に連れて行き靴を脱がせ、尊厳を削いでから暴行する。騎士団の教育隊では良く聞く私刑の方法だ。己の征服欲を満たしたに過ぎない行為だろう。どこに正義がある?」
「……っその男は半魔です。礼儀がなっていない半魔に、教育しただけです」
「……教育だと……?」
「お待ちください!」
割って入ったのはクラディルだった。彼はルキウスの腕の中に居るシンを見て、痛みを耐えるかのように眉を寄せた。
「……ルキウス殿下。ここは私に任せて、シンを休ませて頂けますか? ガイナス公爵、部屋を用意して頂けますよね?」
「あ、ああ。もちろん」
狼狽えるガイナスと、どこまでも悪びれる様子の無いスヴェラを、クラディルは鋭く見据える。
「シン・アースターは、代々アカツキに仕える家令の子です。アースター家とは家族同然。……シンの事を、何も後ろ盾がない半魔とはお思いにならないようにして下さい」
「……なっ……」
「シンになにかあれば、アカツキ家は黙っていません」
クラディルの声を聞きながら、ルキウスは踵を返した。
腕の中を見下ろせば、シンは今にも落ちそうな瞼を必死に開いていた。震える唇は必死に何かを紡ごうとしている。
抵抗できたというのにしなかったのは、ルキウスに迷惑が掛からないようにするためだろう。スヴェラの護衛を傷つけてしまえば、問題が大きくなってしまう。
そして自らの過失を認めるために、シンは今でも必死で唇を動かそうとしているのだ。
「……馬鹿猫め。……分かっている。……これ以上悪い事は起きない」
「……あ、……あ……り……」
「良いから、眠れ」
感謝の言葉を口にしようとするシンを抱き込み、ルキウスは部屋へと急いだ。
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