13.


 トクナの巡衛隊が到着したのは、もう何もかもが済んだ後だった。ザザドらは魔術師だけを捕らえ、巡衛隊へと引き渡す。

 その間、ロジェは消火活動に加勢した。何かしていないと、みっともなく震え出しそうな気がしたからだ。

 幸いにも手の甲についた傷は浅く、毒も仕込まれてはいなかった。しかしナイフがルキウスに刺さっていたと思うと、腹の底から恐怖が滲み出してくる。


「その傷、大丈夫ですか?」


 はっとして振り向けば、そこにはノレイアが立っていた。癖のある赤い髪がゆらりと揺れ、澄み切った青の瞳がこちらを心配そうに見ている。

 ロジェは慌てて背筋を伸ばし、穏やかな笑顔を浮かべた。


「これはノレイアお嬢様。御心配には及びません。……それより、怖かったでしょう。馬車を守り切れず、申し訳ありません」

「い、いえ、私は。……お父様や、護衛の皆様が助けて下さったので……」

「ご無事で、本当に良かったです」


 笑顔のまま言うと、ノレイアの頬が微かに赤く染まった。まだ10代の少女だ。きっと怖かっただろう。


「あ、あの、よろしければ、お名前を……」

「名前? 僕のですか?」

「ええ。そう……です」


 俯くノレイアを見て、ロジェははっとした。顔合わせをした際に「文官です」とは伝えていたが、名前までは言っていなかったのだ。

 ザザドらも伝えていなかったから問題ないと思っていたが、彼らはもうノレイアとは知り合いだったのかもしれない。

 ロジェは慌てて腰を折って、名前を言おうと口を開く。しかし同時に、首根っこをがしりと掴まれた。


「おい、アースター。この暴走猫。……お前にはやっぱり躾が必要だな」

「……か、閣下……?」


 首根っこを掴まれたまま後ろを振り返るも、背後にいるルキウスの顔までは首が追いつかなかった。彼の逞しい胸板だけが見え、その無事な姿にほっと安堵する。

 ルキウスはノレイアに身体を向け、先ほどとは真逆の穏やかな声を零す。


「ノレイア。こいつは猫だ。名はない」

「ねこ、ですか……」

「躾のなってない猫だから、あまり近付くな。爪を立てられるぞ」

「……っ、そんな事しませ……っいて!」


 ぺしっと頭を叩かれ、本当に猫のような扱いを受ける。むっと鼻梁に皺を寄せるも、ノレイアの前で暴言を吐くわけにはいかない。

 無言で堪えていると、視界にノレイアの顔が映り込んだ。彼女はしゃがみ込み、ロジェを見上げている。


「ねこさん、ありがとうございました。お父さんを、よろしくお願いします」


 にっこりと微笑まれ、その柔らかさに心が癒される。

 そうだ、とロジェは再認識した。デレとは正にこうあるべきなのだ。ルキウスのあれは決してデレではない。

 そんなロジェの思考が読めたかのように、ルキウスは首根っこを掴む手に力を入れた。ロジェの身体は容易く宙に浮き、また猫のように運ばれる。


(……というか、猫って俺の事だったのか? さすがにひどくね……?)


 最早、獣としてしか扱ってもらえていないことに項垂れつつ、ロジェはぐったりと身体を弛緩させた。途端に疲労感が襲ってくる。

 ただでさえ疲労が蓄積していたのに、今日は戦闘にまで参加してしまった。この状態で、ロジェたちは王都まで帰らなくてはならない。


(……でも……報告書は早めに提出しておきたいな。記憶が新しいうちに、まとめたものを出したい……)


 こうなったら、馬上で報告書を纏めるしかない。深く溜息を吐くと、ルキウスから舌打ちが返ってきた。



*****


 次の日の朝、ルキウスは執務机に足を投げ出し、視察の報告書を読んでいた。


 良くまとめられていて、要点が分かりやすい。これをあの馬鹿猫が書いたとは、俄かに信じ難かった。加えてその仕事の速さにも、驚かされることが多い。

 昨日の夜更けに王都へ帰り着いたのに、翌日の朝には報告書が届いていることに、狂気すら感じる。


 数ヶ月前にこの司令部へと出向してきたその猫は、見目が良いと部下の間でも評判だった。

 儚げなで美しい容姿を持ちつつも、文官としての手腕はかなりのもの。人当たりも良く、容姿の割にさっぱりと付き合いやすいという。

 あまり噂の届かないルキウスの下へも、彼を賞賛する声が流れてきたほどだ。


 ため息を吐いて書類を投げると、側にいたザザドから笑い声が漏れる。


「なんだ、ザザド」

「いや、何でもありませんよ」

「……今回の視察、どう思う? 五兄の寄越した襲撃で曖昧になってしまったが……」

「どうもこうも……っはは。アースター様の印象が強烈すぎて、視察どころか襲撃も薄味でしたねぇ」

「……随分と楽しそうだな」

「ええ、楽しいです」


 頬を緩ませながらザザドが言い、ルキウスはついと片眉を引き上げる。


 ザザドとルキウスは、幼いころからの付き合いだ。しかし彼がこうも楽しそうに、特定の誰かについて語るのは珍しい。

 道中でも感じたが、ザザドはあの猫をいたく気に入っているようだ。

 むっと眉根に皺を寄せると、ザザドは緩く頭を振る。


「殿下から取ろうとは思ってませんよ。……ただ、あなたが感情を剥き出しにしていると、俺も嬉しいんです」

「…………あの猫の戦い方……どう思った?」

「そうですね。腕は確かですが、実戦に慣れているという感じではなかった気がします。しかし……複数人を相手にする訓練は、幾度も繰り返したんじゃないでしょうか。陣形の崩し方が上手かったので……」

「文官の身でありながら、どうしてそんな訓練をする必要がある」

「さぁ、そうせざるを得なかった……というところでしょうか」

「……」



 猫の名は『シン・アースター』

 彼は元々、半魔が多く住まうアカツキ領を統べる貴族、ジョルノ・アカツキに仕える文官だ。

 地方の文官が、王都から要請を受けて出向することは良くある。彼もその一人だった。


 本来なら出向者は、ルキウスに忠誠を誓っている地域からと決まっている。しかしアカツキ家は王座争いに加担せず、中立を突き通していた。


 アカツキは『半魔の街』と言われるだけあって、穏やかで争いを好まない地域性だ。しかしその土壌は豊富で、海も有している。この国で有数の豊かな地域なのだ。


 だからこそ、底が知れない。牙を向けば脅威にもなり得る。現にアカツキの衛兵は強者揃いと聞く。

 そんなアカツキ家からやってきた出向者に、司令部にいた者らは始めこそ警戒を強めていた。しかしそれも数日のことで、彼はあっという間に第一司令部の部下たちを虜にしてしまったのだ。

 まさしく魔族たらしと言ったところである。


 しかしルキウスは、シン・アースターの『ちぐはぐ』な部分が妙に気になっていた。


 柔らかな金の髪に、つるりとした陶器のような白い肌。女性のように尖った顎、小さな鼻と唇。

 そんな可憐な見た目から飛び出すのは、男らしい言葉遣い、そして粗雑な仕草だ。


 そして何より、庇護され愛されるに値するその身を、彼は危ういほどに軽んじている。まるで自分の身に何の感情もないようだ。 


「……どうやったら、あいつみたいな猫が仕上がるんだ……」

「そうですねぇ、気になりますねぇ……」

「無性に腹が立つ時がある」

「それは、許せないと思っているからでは?」

「何を?」

「自らを軽んじる彼を」

「俺が?」

「ええ、殿下が」


 ルキウスが矢継ぎ早に問うても、ザザドからは直ぐに返事が返ってくる。ザザドは穏やかに笑っているだけで、まるで当然かのように答えを紡ぐ。

 もう一度「俺が?」と口に含んで、ルキウスは黙り込んだ。


 奴隷が用意できなかったと執務室に来たシンを、ルキウスは手荒く抱いた。

 噂に聞いていた通り、シンの美しさは『可憐』の一言だった。とっくに成人しているはずなのに、まるで少年のような瑞々しさがある。

 しかし彼から飛び出す言葉は生意気そのもので、ルキウスは湧き出す嗜虐心に逆らえなかった。


 羊のふりをしたこの男の皮を剥ぎ、真の姿を暴きたい。可憐な花びらを散らし尽くせば、後に何が残るのか見てやろう。始めはそんな、蔑みを含んだ感情だった。

 しかし実際に剥いでみれば、残ったのはやんちゃな猫だった。制御できない、躾のなっていない子猫だ。


 ルキウスがシンに行った所業は、誰が聞いても眉を顰めるものだろう。相手がシンでなければ、二日と持たず精神を病んでいたかもしれない。

 そんなルキウスが、自らを軽んじるシンを咎められる訳がない。


 確かにルキウスは腹を立てたのだろう。

 酷く犯されておきながら、当然のように職務に励む彼に。

 飯も碌に食わずに視察場所を見回る彼に。

 身を呈してルキウスを守る彼に。

 

「……矛盾している」

「そこに気付きましたか」

「気付いていたのか」

「ええ」

「いつからだ」

「ご自分で考えてみては?」


 ルキウスは、自らの行いを思い起こす。ここ最近はシンに暴言を吐き、目も当てられないような所業を繰り返していた。それしか思い出せない。


「殿下。……例えば、アースター様がいなくなったら、どう思いますか?」

「いなくなったら?」

「ええ、目の前から消えたら」

「あいつは、呼べば絶対に来る」

 

 どんなに痛めつけても精神を削っても、ルキウスが呼べばシンはやってくる。

 行為の最中は涙を流すのに、それ以外は涙ひとつ見せない。その姿がますます嗜虐心を煽り、昼間の凛としたシンの姿すら打ち壊したくなる。

 その不屈の精神を汚したくて堪らなくなるのだ。


「今日の夜も、あいつを呼べ」

「分かりました。……ただ、たまには食事に誘ってみては?」

「……食事? 夕食か……」


 脳裏に、サンドイッチを掻き込むシンが過る。あんな食事の仕方をしているから、身体が華奢なままなのだろう。根っからの仕事好きは、飯を食う時間も仕事に当てるらしい。

 ゆっくり食事を取る時間も無いのであれば、強制的に作ればいいのかもしれない。


「分かった。夕食に誘え」

「では、本日は昼過ぎに、文官長へと指示を出します」


 頷くだけで返事を返し、ルキウスは違う書類を手に取った。違う文官が作成したものだが、どこか読みづらい。しかし確認を怠れば、トクナのような事案を見逃してしまう。


 眉根を解すように揉み込んで、ルキウスは書類へと意識を集める。

 『夕食はシンと』

 交わされていないその約束に、無意識に縋りながら。

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